上町愛宕神社入り口鳥居の右に建つ「代官所跡」。昭和五十三年市議会議員一同の名で建てられている。
忍藩の領地は行田一帯に限らず、秩父、影森、定峰などの秩父領、皆野、風布等の鉢形領、別府、東方の柿木領、そして遠く播州(兵庫県)に四郡七一か村、伊勢領(三重県)と各地にあったため、それらの年貢の取り立ては大変であった。帳簿も膨大で代官所で整理したといわれている。要するに当時の代官所は領地数百か所の登記所としての機能を果たしていた。また税収を確保する税務署でもあったのだという。そうした膨大な業務を下級武士二十数人で果たしていたのである。当時としても相当な激務であったことが想像できる。
代官所のあった通りを「北谷通り」といい、古く鎌倉時代から開けた場所であったという。八幡太郎源義家が奥州征伐の際行田を通ったのはこの道と伝わり、北条時頼(時頼の父)は佐野源左衛門出会い、鎌倉へ帰ったのは白川戸からこの道を通ったともされる(鉢の木物語)。
西行法師は平泉の藤原秀衡を訪ねる際、埼玉の前玉神社に泊まって、翌日ここを通って白川戸から利根川を渡ったともいう。
「足袋蔵の町行田」日本遺産を記念し石畳として舗装されたこの「北谷通り」は数百年に渡る忍の行田の昔話を今に伝えている。
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