早いもので、八月も終わりを迎えます。例年であれば夏休みの最終日はそこはかとなく寂しさを感じ、明日からの新学期を様々な思いを胸に迎えるところですが、コロナ禍に於いてはいっそう複雑な気持ちであったか方が多いのではないでしょうか。学校は大丈夫か、子供のワクチンはどうしたらよいのか。いつまでこうした先の見えない状態が続くのか。
『明かりは見えつつある』と言った政治家がおいでですが、むしろどんな光明か聞きたくなるような気持ちではありました。
夏も終わりに近づくと、野に咲く花も終いが見えて、本格的な秋を迎えるまでは花手水もなかなか苦労します。
今年の二百十日は八月晦日の本日でした。立春から数えて二百十日目を稲作農耕の三大厄日のひとつとして数えます。富山のおわら風の盆が有名で、明日から三日間、本来であれば無言の踊り手が風情溢れる舞いを披露するところですが、今年も中止になったようです。
おわら風の盆についてはサラリーマンのバイブル『課長島耕作』のなかで紹介されていて、その刊は数あるエピソードのなかでも傑作ではないかと思っています。
今年一年も三分の二は終わってしまいました。立春から数えて二百十日ではありますが、残りを数えると120日しか残っていないのです。
年の始めに、十二才になる息子の誕生日の折り、『一日一日を大事に過ごそう。必ず結果が変わるよ』と話しました。親子共々なかなか結果が伴っていないのは、そうしたことの実践がなかったからの証拠と戒めつつ、秋、長月を迎えます。
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