大宮区櫛引町の地名は、伝承によれば昔素戔嗚尊とその妻、奇稲田姫尊が出雲からこの地にやってきた際、当地で休み、素戔嗚尊が奇稲田姫尊の髪を櫛で整えたことに由来するという。大宮の氷川神社を勧請したものとされ、創建の年代は不明であるが、末社に荒脛社を含むところが実に興味深い。大宮氷川神社摂社には「門前客神社」が鎮座するがこの門前客とは、そもそも古来より土着していた古い神社で、氷川神社御祭神に従わなかった故、門番として仕えた神として祀られた経緯を持つ。この神が所謂アラハバキ神と言われ、関東から東北にかけて多く見られるという。氷川神社の創建の歴史を忠実に引き継いだ神社と言えるだろう。かつて社の丑寅に小池ありと記されていたが現在その姿は見られない。埼玉の中心地大宮の住宅街に位置し、通りから中に入って見られない分、この地の氏子から大切にされてきた歴史がある。
明治四十年、当時の合祀政策により隣の地区である「日進神社」に合祀されている。大正三年現在地に遥拝所を設け祭祀を継続し氏子の要望で社殿を再建した経緯を持つ。よって宗教法人として登記されたのは昭和五十一年になってからで、日進神社より神霊をほうかんしたという。
幕末から明治初期に神職を務めた渋谷勝平は幼少より書を納め和歌を学び、平田篤胤の門人藤原直彦に師事し平正彦と称した。また平春堂という私塾を開いて、地域の教育に貢献したという。境内にはその平正彦の筆碑が残っている。
氏子の伝統芸能に「おむらい流」の囃子がある。文政二年から続くもので「鎌倉」「岡崎」「数え歌」などの曲がある。武蔵一宮氷川神社の八月の例大祭の折、神賑わいとして櫛引町の山車に乗って演奏されるという。
文政八年、平成二年に奉納された新旧二基の燈篭が並び、当時から現代に続く地域の信仰が見て取れる。
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