京都の北奥深い峰々の中を鞍馬川と貴船川が流れています。その二つの川の合流地点から約二キロほど遡ったところに貴船神社は鎮座します。木船とも書き、ご祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。龗=レイと読みすなわち竜が司る水の神を表しているそうです。
日本書紀によれば伊邪那美命は火の神加具土命を産んだ時女陰を焼かれて身罷ります。伊弉諾命はその死を悼み、加具土命を切りつけその際に飛び散った血液などから様々な神が生まれます。雷の神、山の神である大山祇神、そして水の神である高龗神です。
律令期より大和朝廷は雨乞いの政事を行い、平安時代には貴船神社がその崇敬を受けたとされます。
雨を祈るときは黒馬。止ませる時には白馬か赤馬を献上したそうです。時代が経つと生き馬の代わりに馬型の板を使った『板立て馬』として奉納します。これが現在の絵馬の原型となりました。
女流歌人として知られる和泉式部。
夫との仲がうまくいかずに貴船神社を頼ってお参りし、次の句を詠んでいます。
ものおもえば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞみる
(訳)あれこれと思い悩んで貴船神社に参拝してみると、蛍が乱舞していてその蛍は自分の魂が抜け出たものではないか
これに対して貴船大神が返した歌が
奥山に たぎりて落つる 滝っ瀬の 玉ちるばかり ものなおおもいそ
あまり思い悩んではいけないよ。貴船川の激しい流れが玉のようなしぶきをあげて流れ落ちるように
この後夫婦仲はよくなり、和泉式部は女流歌人としてその名声を高めていきます。
全国に勧請された貴船神社は多くの文芸作品にも登場する高貴で荘厳なお社で、現在でも縁結びの神としても信仰されている。
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