境内まえは低湿地域で、かつては沼が広がり養魚がおこなわれ、その石碑も残っている。樹齢450年を越えた名木「舟着の松」もいまでは、切り株を残すだけになっている。御祭神は大山咋命。江戸の総氏神と呼ばれる東京千代田の日枝神社は太田道灌が川越から勧請したとされる。山王祭が有名だ。その川越の日枝神社は滋賀の日吉大社から勧請され、山王信仰の総本社とされる。神使は猿で小針の日枝神社の彫刻も猿が見られる。大山咋命の咋は杭という意味で山の神として祀られる。山の神の使いとして猿がいるのだろ。
小針の日枝神社がこの地に祀られた由来は残っていない。風土記稿の記載にもないという。口碑に鴻巣の三ツ木の山王社を分霊したという。縁結びの神として知られ、小針が男神、三ツ木の山王様が女神として伝えられ、女性が婿を探す時には小針へ、男性が嫁を探すには三ツ木へ祈願したという。
七月に獅子舞の奉納があり、騎西の玉敷神社へ獅子を借りにいくという。現在続いているかは不明だ。
天明六年(1786)から四年間石燈籠が続けて奉納されている。丁度天明の大飢饉の頃で神への願いが強まったのだろか。氏子の禁忌に麻を作らないとある。昔山王様が釣りに行って時に麻で目を突いたという。こうした禁忌は市内各地に残っている。御鎮守様は麻が嫌い、麻の着物は着ないという話だ。
またキュウリは切り口が神紋ににていることから輪切りにして食べてはならないという。キュウリの禁忌も北埼玉に多く残っているようだ。
こうした禁忌や口碑が伝えようとしたものはなんなのか、思いを馳せると益々地域の神社が奥深く感じられる。