(1)戦後70年の夏、NHK放送センターは、ついに(やはり)“愚者の砦”と化してしまった。
7月15日、「安全保障関連法案」に関する衆議院特別委員会の最終日、強行採決が予想されたもっとも重大な日に、NHKはテレビ中継をしなかった。これは、国民の知る権利を大いに侵害する愚挙だった。
55年前(1960年5月19日)、安倍首相の祖父(岸信介・首相)は日米安保条約改定の強行採決を行った。それを上回る暴挙が予想されたにもかかわらず、新聞のテレビ欄に9時開始予定の「安保法案特別委員会・中継」の文字はなかった。
(2)実際には、正午過ぎの強行採決の瞬間だけが生中継された。
実は、委員会では長妻昭・議員が、安保法案の前提として首相の歴史認識を尋ねる場面があった。長妻議員が「先の大戦を過りと認めるか」となんど問うても、安倍首相は「先の戦争の反省に立って」としか答えなかった。
反省の前提となる「なにをなぜ過ったか」という歴史認識にふれることを徹底して避けたのだ。
首相は、「まだ十分に理解されていないかもしれないが、今後も丁寧に説明していきたい」と受け流し、さっさと強行採決を断行した。
かくて、「丁寧に」は「押しの一手」の同義語となり果てた。
(3)90%以上もの憲法学者が「違憲」または「違憲の疑い」を指摘し、1万人もの学識者が法案に反対している。
しかし、首相とその取り巻きは、「学者と政治家の責任は違う」と、まったく聞く耳を持たない。
200年以上も昔、カントは<実務にたずさわる政治家は、理論的な政治学者を(中略)机上の空論家と蔑視>すると書き(『永遠平和のために』)、学者の意見を聞かない政治家たちが、戦の種を残す平和条約を結んでは戦争を繰り返す愚を批判した。
中谷防衛相は、答弁を二転三転、時間を空費し、安倍首相は軽薄なヤジを飛ばし、自分の出番には長広舌をふるい、時間を潰す。場外では、アベ親衛隊がメディアを「懲らしめろ」「潰せ」などと喚き、その収拾で貴重な時間を横奪した。
浜田委員長は、消化試合をこなした後、「法律10本を束ねたのはいかがなものか」と記者団に答え、「十把一絡げ」を認めた。
(4)中継しなかった理由を、NHK広報は「総合的判断」による、と答えた。答弁に窮した首相がよく使う遁辞だ。
かくて、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」籾井会長の任期も長引く。
後代の史家は、NHKが安倍政治の“惨劇”をメディアウォールで覆い隠すという愚かな選択をした日と記述するであろう。
(5)深夜の「NEWS WEB24」は、画面下に視聴者のツイートを載せる。SNS連動型のニュースだ。
昼間の強行採決に対する視聴者の反応は、特筆すべき意見も情報もなかったが、採決の瞬間、野党議員たちが怒号とともに「アベ政治を許さない」などのプラカードを掲げる映像が流れると、ツイートに変化が生じた。
「政治家が国会でプラカードで主張って、なんか違うと思う」
「テレビカメラを意識したパフォーマンスに見えちゃって」
などと冷ややかな反応が目立った。
世論の傾向と微妙にズレている。
次に、国会を取り囲む人びとの夜の空撮が流れると、
「国民の声なき声に耳を傾けてもらいたい」
と誰かがツイートした。これは60年代安保の強行採決のとき、岸首相が連日のデモの「声ある声」に対して、プロ野球に興じ、銀ブラを楽しむ男女の「声なき声」に耳を傾けたい、と言ったのを髣髴させる。
55年前は、プラカードを持ったデモ隊が国会正門を破って議事堂前に乱入、血を流した。
今度は、人びとのプラカードが大量にコピーされ、委員会室に溢れた。民衆は、映像によって“国会乱入”を果たしたと言えなくもない。
(6)メディアとしてのNHKは何をしたか。
大量のツイートを流すことで、見せかけの民主主義を装いながら、自説を絶対に述べない政治部記者が、「なぜ国会の議論がかみ合わなかったのか」という問いに答えた。
答その一、「自衛隊の機密に関わることなので、具体的に語ることはできなかったから」
答その二、「憲法との整合性というそもそも論が出て、個別具体的な部分に議論が進まなかったから」
結局何も答えていない。
記者が自信を持って語ったのは、「60日ルール」【注】だけだった。
NHKは、視聴者参加型ニュースを演出しながら、「もはや何をしても無駄」という政治的アパシーを撒き散らした。これは、「声なき声」につけこんだ「不作為の作為」に他ならない。
【注】参院で60日たって採決されない場合、衆院の3分の2以上の賛成で再可決し成立できる。
□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(1)“愚者の砦”と化したNHK」
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7月15日、「安全保障関連法案」に関する衆議院特別委員会の最終日、強行採決が予想されたもっとも重大な日に、NHKはテレビ中継をしなかった。これは、国民の知る権利を大いに侵害する愚挙だった。
55年前(1960年5月19日)、安倍首相の祖父(岸信介・首相)は日米安保条約改定の強行採決を行った。それを上回る暴挙が予想されたにもかかわらず、新聞のテレビ欄に9時開始予定の「安保法案特別委員会・中継」の文字はなかった。
(2)実際には、正午過ぎの強行採決の瞬間だけが生中継された。
実は、委員会では長妻昭・議員が、安保法案の前提として首相の歴史認識を尋ねる場面があった。長妻議員が「先の大戦を過りと認めるか」となんど問うても、安倍首相は「先の戦争の反省に立って」としか答えなかった。
反省の前提となる「なにをなぜ過ったか」という歴史認識にふれることを徹底して避けたのだ。
首相は、「まだ十分に理解されていないかもしれないが、今後も丁寧に説明していきたい」と受け流し、さっさと強行採決を断行した。
かくて、「丁寧に」は「押しの一手」の同義語となり果てた。
(3)90%以上もの憲法学者が「違憲」または「違憲の疑い」を指摘し、1万人もの学識者が法案に反対している。
しかし、首相とその取り巻きは、「学者と政治家の責任は違う」と、まったく聞く耳を持たない。
200年以上も昔、カントは<実務にたずさわる政治家は、理論的な政治学者を(中略)机上の空論家と蔑視>すると書き(『永遠平和のために』)、学者の意見を聞かない政治家たちが、戦の種を残す平和条約を結んでは戦争を繰り返す愚を批判した。
中谷防衛相は、答弁を二転三転、時間を空費し、安倍首相は軽薄なヤジを飛ばし、自分の出番には長広舌をふるい、時間を潰す。場外では、アベ親衛隊がメディアを「懲らしめろ」「潰せ」などと喚き、その収拾で貴重な時間を横奪した。
浜田委員長は、消化試合をこなした後、「法律10本を束ねたのはいかがなものか」と記者団に答え、「十把一絡げ」を認めた。
(4)中継しなかった理由を、NHK広報は「総合的判断」による、と答えた。答弁に窮した首相がよく使う遁辞だ。
かくて、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」籾井会長の任期も長引く。
後代の史家は、NHKが安倍政治の“惨劇”をメディアウォールで覆い隠すという愚かな選択をした日と記述するであろう。
(5)深夜の「NEWS WEB24」は、画面下に視聴者のツイートを載せる。SNS連動型のニュースだ。
昼間の強行採決に対する視聴者の反応は、特筆すべき意見も情報もなかったが、採決の瞬間、野党議員たちが怒号とともに「アベ政治を許さない」などのプラカードを掲げる映像が流れると、ツイートに変化が生じた。
「政治家が国会でプラカードで主張って、なんか違うと思う」
「テレビカメラを意識したパフォーマンスに見えちゃって」
などと冷ややかな反応が目立った。
世論の傾向と微妙にズレている。
次に、国会を取り囲む人びとの夜の空撮が流れると、
「国民の声なき声に耳を傾けてもらいたい」
と誰かがツイートした。これは60年代安保の強行採決のとき、岸首相が連日のデモの「声ある声」に対して、プロ野球に興じ、銀ブラを楽しむ男女の「声なき声」に耳を傾けたい、と言ったのを髣髴させる。
55年前は、プラカードを持ったデモ隊が国会正門を破って議事堂前に乱入、血を流した。
今度は、人びとのプラカードが大量にコピーされ、委員会室に溢れた。民衆は、映像によって“国会乱入”を果たしたと言えなくもない。
(6)メディアとしてのNHKは何をしたか。
大量のツイートを流すことで、見せかけの民主主義を装いながら、自説を絶対に述べない政治部記者が、「なぜ国会の議論がかみ合わなかったのか」という問いに答えた。
答その一、「自衛隊の機密に関わることなので、具体的に語ることはできなかったから」
答その二、「憲法との整合性というそもそも論が出て、個別具体的な部分に議論が進まなかったから」
結局何も答えていない。
記者が自信を持って語ったのは、「60日ルール」【注】だけだった。
NHKは、視聴者参加型ニュースを演出しながら、「もはや何をしても無駄」という政治的アパシーを撒き散らした。これは、「声なき声」につけこんだ「不作為の作為」に他ならない。
【注】参院で60日たって採決されない場合、衆院の3分の2以上の賛成で再可決し成立できる。
□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(1)“愚者の砦”と化したNHK」
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