先日息子が千葉から帰省した折、将棋を指そうということで、1局楽しんだ。人間相手の将棋は何年振りだろうか。両者居玉のまま終盤に入り、親父が一時間の戦いでプライドを守った。
昔のことを思い出す。子供の頃、5歳上の兄貴とは夜布団の上で、よく将棋を指した。買ったり負けたりだったように思う。父親とは本当に稀にしか対戦しなかったが絶対勝てなかった。父の将棋は定石とはかけ離れていた。金が前にあがってきていつの間にか押しつぶされる将棋だった。ある時(高校生の頃だったと思う)久しぶりに父が将棋をやろうと言い出した。ところが3回やって、3回とも負かしてしまった。この時めったに感情を表さない父のムキになった表情をよく覚えている。そのあと一度も対戦することはなかった。
息子との対戦のあと、子供の頃よく暇をつぶした一人ゲームを思い出しトライしてみた。2時間ほど久しぶりに頭を使って、ようやく完遂させることが出来た。しかしそれにしても、将棋というものの絶妙さを感じる。駒の数が一つでも異なれば、又利きが少しでも違えば、盤の枡の数が一つでも違えば成立しない。将棋というゲームを作った時は、このことを知っていたのか、自分の中では最大のミステリー。
そのゲームとは、『将棋盤の81枡に、駒40枚を、互いに取ったり取られたりせずに同一方向に並べる。但し、禁じ手の「2歩」「一段目の香、一及び二段目の桂」は許容』というもの。下記の写真のような感じで、駒40枚を並べきる。
大駒の飛車、角の置き場所が定まれば、9割完成したも同然。それでもそのあと数時間は完遂までにかかる。
因みにこの写真の将棋盤は、40年前大金をはたいて買った桂三寸、将棋駒は弟が庭にあった柿の木?から削りだして作ってくれた貴重なもの。