四季・めぐりめぐりて

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歴史講座「山内上杉家の城館」

2024年12月05日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館 令和6年度 歴史講座3
 演 題:山内上杉家の城館 ー関東管領から戦国大名へー  
 講 師:齋藤 慎一 氏(東京都江戸東京博物館分館 江戸東京たてもの園 専門調査員(学芸員))
 日 時:令和6年12月5日(木)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 内 容:
埼玉県域を含む関東の中世史を物語るうえで欠かせない存在である山内上杉氏の城館に関する講座
  はじめに
  1 関東管領山内上杉家
  2 鉢形城
  3 上戸陣
  4 菅谷(須賀谷)城
  5 平井金山城
  おわりに
を聴講してきました。
五十子陣(いかっこじん)をはじめに、平井城から越後へ退去するまでの山内上杉家の本拠の変遷について
の解説を頂きました。

これら城館は1~数回訪れておりますので、その際の写真を載せておきます。

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鉢形城跡(大里郡寄居町) 国指定史跡                       2018.5.8撮影
文明10年(1478)から永生9年(1512)にいたる山内上杉家の本城
現在の城跡は後世に北条氏の支城として拡張整備されています 写真は本曲輪跡


上戸陣(川越市)  河越館跡として国指定史跡                   2019.4.15撮影
平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士である河越氏の居館跡で、明応6年
(1497)から山内上杉氏は、この河越館跡に上戸の陣を設け、対岸の河越城の扇谷上杉氏と対峙した。
このことから時代の異なる遺構があり、一部重なっている遺構もあります。写真は山内上杉氏時代の堀
を再現したものの



菅谷(須賀谷)城(比企郡嵐山町)  菅谷館跡として国指定史跡           2015.2.17撮影
武蔵武士の鑑と言われた平安末期から鎌倉初期にかけての武将畠山重忠の居館跡とされる
現在の姿は後世、北条氏や山内上杉氏によって拡張されたとされます  
写真は、本郭空堀と土塁で突き出た部分は出桝形土塁と呼ばれます



平井城跡(群馬県藤岡市) 群馬県指定史跡                     2024.5.9撮影
山内上杉氏の本城とされる 天文21年(1552)落城し山内上杉氏越後に退去 写真の土塁は復元土塁



平井金山城(平井詰城)跡 (群馬県藤岡市) 群馬県指定史跡             2010.2.9撮影
標高326mの金山に築かれた山城 山内上杉氏の本拠の山城  写真は井戸曲輪跡

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講座の聴講を終え帰路に就く聴講者


国立女性教育会館敷地内にある茶室周囲の紅葉が綺麗です

聴講日:令和6年(2024)12月5日(木)

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