
豊臣秀吉は、秀吉に従わなかった小田原北条氏を名胡桃城の事件を大義名分にし、天正18年(1590)小田原攻めを行った。支城で北条氏邦が城主の「鉢形城」にも
前田利家を総大将とする5万余の豊臣連合軍が攻め入り、氏邦軍は3500余で籠城応戦するも約1か月した6月14日に開城するに至った。
そんな鉢形城における豊臣連合軍との攻防戦を再現して、本日、寄居町の玉淀河原で行われた「第53回寄居北條まつり」を見学してきました。
この戦国絵巻のほかにも、色々な催しものもありましたが、ほとんどスルー状態でした。

出陣式のため、武者たちの入陣が始まりました。まずは「北条氏邦隊」です。「大福御前隊」、「東国丸隊」・・・と、北条衆の各隊や郵便局隊、町議会隊など祭りのための隊が続きます。

「大将は旗持ちを従えて御登壇されたし」と下知があるも、大将と旗持ちは上壇せずに並んでいる。意味が分からないのだろうか? 聞こえないのか?
いや、そんなことはない。スピーカーから耳が痛いほどのボリュームで聞こえる。何度同じことを繰り返されても登壇しない。見かねたスタッフが隊の
ところに行って促したようであるが、登壇したのは1隊のみで後に続かない。まあ、そのうちどうにかこうにか全隊の大将と旗持ちが壇上に並びましたが。

こんな具合なのですが、前列に座っているのは現代の部将さんたちです

武者が集合を終えました

来賓の挨拶等に続き、三献の儀。そして、出陣。

市中を行軍(パレード)する武者隊
篤さのせいでしょうか、とてもこれから戦いに行くという気概が全く感じられない武者隊がいくつも

馬上の氏邦公。かなりはしゃいでいましたが・・・

馬上の女武者ですが、誰でしょう? 大福御前ではないし・・・
武者隊は、市中パレードを終えて再び玉淀河原に戻っていきました。
攻防戦の時間が迫ってきたのに、入陣の準備が進んでいないようで、進行役の方が何度も急かしていましたが、どこ吹く風か

(途中は省略して)
攻防戦が始まりましたが、後方待機の兵たちは立ったまま。
この後ろで見物している客からは、立っている兵と兵の隙間から攻防戦の様子を見るしかありません。みんなブツブツ

暫くしてから、「お前ら座れ。そのくらい気がつけよ」
と、部隊の中のお偉い方(?)が一喝。
まあそれで、待機組は腰を下ろしたのですが、「旗が邪魔だ」などと、見物客の中から怒号が飛ぶ有様

攻防戦中は、大筒が火を噴いていました。無論、対岸の北條軍からも・・・


攻防戦の状況です
この攻防戦に参加したのは、集合した武者の中の一部ですが、やりたくてやりたくて仕方ない方たちばかりのようで、
本気モードで夢中になっていました。何本の槍の柄が折れたことか・・・

何度かの攻防戦や、大将同士の一騎打ちが終えると、和睦が行われ鉢形城は開城ということで終わりになりました。
和睦に導いたこの僧侶は、本当の僧侶(氏邦公の菩提寺の僧侶?)のようで、かなりの高齢のため、
とんでもないハプニングが起きてしまいましたが、その内容を記すのは控えておきましょう。
随分と雑で手を抜いた戦国合戦見学記になってしまいましたが・・・
散策日:2014年(平成26年)5月11日(日)