
唐沢山城 別名:根古屋城・栃本城・牛ヶ城 国指定史跡(平成26年3月18日指定) 所在:栃木県佐野市富士町
唐沢山城は関東七名城の一つに数えられ、関東では珍しい石垣がある中世の城跡として有名です。
城は、平将門の乱の鎮圧に活躍した藤原秀郷が天慶3(940)年に築城したとされます。その後、しばらく廃城となっていた
唐沢山城を、秀郷の子孫とされる佐野氏が再興・改修を行い代々佐野氏の居城とされてきました。
戦国時代に入っても佐野氏の統治は変わりませんでしたが、上杉謙信の攻撃を受けたり、後北条氏の傘下に組み入れらりたりと巨大勢力の狭間で翻弄しました。
天正18(1590)年の小田原の役で、佐野氏の血をひく房綱が秀吉勢力として戦った戦功で、再び唐沢山の地を安堵、房綱の跡は
秀吉家臣の富田将監の子・信種が佐野信吉として継ぎ、激動の歴史を見た唐沢山に平穏な時代が訪れましたが、平穏は長くは続かず
秀吉の死後、徳川政権に入ると信吉は、佐野城へ移転、唐沢山城は廃城となり、暫くして、理由は諸説あるようですが佐野氏も改易処分を受けてしまいました。
現在、唐沢城跡本丸跡には唐沢山神社の本殿が建立されています。そんな唐沢山城跡を攻めてきました。

唐沢山城は、標高241m・比高200mの唐沢山の山頂に本丸が築かれた山城です。

城門跡前に建立されている「国指定史跡唐沢山城跡」石碑 国指定を受けた後に新しく建立したようです。

駐車場・レストハウス・トイレもあり、山城跡でも麓から攻城しないで済みますので楽です。

唐沢山城の沿革が書かれています

喰い違い小口 (桝形)

天狗岩

天狗岩

天狗岩からの眺望 江戸(東京)方面も見えるとか

唐沢山城祉案内図

「大炊井」 築城の際、厳島大明神に祈願をしその霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出たとのことである。
深さ9m、直径8mあり、今日まで水が枯れたことはない。

「神橋」 旧名は曳橋 四つ目の堀に架けられていた元は曳橋

四つ目堀

帯郭跡

「三の丸跡」 本城では大きな曲輪で、賓客の応接間があったとされる

武者詰跡

二の丸小口

「二の丸跡」 奥にあるのは神楽殿

二の丸跡から本丸跡(唐沢山神社本殿)へ

「本丸跡」 右の社が本殿

「引局跡」(南局跡) かつては奥女中の詰所であったとも

唐沢山神社

唐沢山神社由緒板

本丸南斜面の高石垣と表御殿跡 ①

本丸南斜面の高石垣と表御殿跡 ②

高石垣

三つ目堀

「さくらの馬場跡」 昔、武士が馬を訓練した場所

「南城跡」 ① 手前は社務所

「南城跡」 ②

南城跡について

南城跡からの眺望 ①

南城跡からの眺望 ② 東京スカイツリーや東京タワーも見えるとのことでしたが残念ながら

南城跡の石垣

南城跡の石垣 一つ目堀 物見櫓跡

車井戸

「長門丸跡」(お花畑跡) 弓道場として使われている?

「金の丸跡」 今は、金の丸ロッジのようだが使われていない様子

御姫御殿跡 唐沢青年の家があったようだが今は更地に

堀切

北城跡?

大手門跡

鏡石
攻城日:2015年(平成27年)3月10日(火) 続日本100名城選定前