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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

皇居(旧江戸城) 富士見多聞・富士見櫓(東京都千代田区)

2016年11月21日 | 日本100名城
■ 国指定特別史跡 江戸城跡



今月15日から皇居(旧江戸城)の富士見多聞の内部が一般公開されるとともに、富士見櫓が以前より近くから見られるようになりましたので、
早速、(6日も経っているので早速でもないか)昨20日行ってきました。




中之門跡の石垣前に置かれた標識 
江戸城跡には何度か行っていますので富士見多聞、富士見櫓の場所は一応知っていますが、初めての方も多いようです。




普段は見ることが出来ない皇居・乾通りから見た富士見多聞  (2014年12月3日乾通り公開の際に撮影)
石垣の下は「蓮池濠」となっています

富士見多聞は1606年(慶長11年)に造られたが、1657年(明暦3年)の大火により焼失 1659年(万治2年)に再建




これが普段でも東御苑から見ることのできる富士見多聞の姿




日曜日ということで心配していた入場制限にはかかりませんでしたが、次から次と見学が訪れて列をなしていました。




外国人観光客の増加を目指し政府が進める国の施設の一般公開の一環ですが、目論見通り?外国の方の姿が多く見られます。




富士見多聞内の様子 パネル展示もあったようですが、格子窓から外を観ようという気持ちが先立ちパネル展示はスルー(気付かなかった)




幾つかある格子窓のうち、窓際まで行けるのは2ヵ所だけ
次々とくる見学者がいるため長居はできずに流れるように出口方向に




多聞内のほんの一部ですが・・・




格子の隙間は15センチくらいでしょうか? メートル法に依らない時代のことですので、4寸もしくは5寸くらいと言った方がよいのかも知れません。




どうにか窓際に近づいてもこの程度




更に近づき格子の間から  瓦屋根の建物は「門長屋」で、その昔は江戸城の施設の修理整備をする人たちが詰めていたとも、家臣の居所であったとも




ずーと下に向けて蓮池濠を




富士見櫓は、富士見多聞同様に明暦の大火(1657年)により天守も焼失したが、天守は再建されなかったことから天守の代わりとして使われた。
現在の富士見櫓は1659年(万治2年)に再建にされたもの




普段は見ることが出来ない皇居・乾通りから見た富士見櫓  (2004年(平成16年)1月2日 一般参賀の際に撮影)




以前はここまでしか近付けませんでした  2014年(平成26年)12月3日撮影
このころは、ここまでくる方は少なかったようで、何度か行きましたが人とかち会うことはなかった記憶があります




フェンスの位置が25メートル後退し、12メートルのところまで近づけます。また、フェンス前も整備されて広場もできていますので、複数の方が訪れても余裕です。




だいぶアップで写真が撮れるようになりました




ここにも大勢の方が。外国の方も沢山いました。かつてこんな光景はありませんでした




小さな扱いですが11月9日の新聞記事です

散策日:2016年(平成28年)11月20日(日)

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