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城 名:諏訪城(すわじょう)
別 名:蓼沼城・大野原城
形 態:平城(崖端城)
時 期:南北朝時代
城 主:諏訪民部
遺 構:郭・土塁・空堀
指 定:県選定重要遺跡(諏訪城跡・昭和44年(1969)10月1日選定)
現 状:諏訪神社
所在地:埼玉県秩父市大野原蓼沼(旧・秩父市)
諏訪城は、荒川と横瀬川が合流する地点の比高約30mの急崖山にあり、城主は、北条氏邦家臣諏訪民部と伝える。
秩父市大野原に所在するそんな諏訪城跡を訪ねてみました。城跡内を秩父鉄道が横断し、郭の一部を分断しています。
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諏訪城跡縄張図 (梅沢太久夫著「埼玉の城 127城の歴史と縄張」より)
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諏訪城跡入口の標柱
標柱左脇の道をそのまま進めば諏訪城跡に着きますが、ここに至るまでが大変です。道(侵入口)が分らず地元の方に教えてい
ただいた所を入って車1台がやっとの細い曲がりくねった道を数百m走りました。
この写真では写っていませんが、標柱の東側には土塁跡らしきものがあります。
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内郭(主郭)跡へ向かいます。左の麦畑は西郭(2廓)の一部
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内郭(主郭)には諏訪神社が建立されています
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「諏訪神社」の扁額のある鳥居
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石灯篭と社殿 左側のフェンスの外側は荒川側の急崖です
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諏訪城跡の説明板の類はありませんでした、あったのは神社の由来の書かれた看板ですがほとんど読めません
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社殿 社務所と一体になっています
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「諏訪神社」扁額
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社殿前から見た主郭内
滑り台、ブランコ、鉄棒の遊具の脇に盛土がありますが、遊び場として盛ったもので土塁ではないと思います。
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同じく社殿前から見た内郭(主郭)内東側
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鳥居東側にある土塁空堀跡?
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内郭(主郭)から外郭に出ました 右側が西郭(2廓)
丁度秩父鉄道の電車が走ってきました。線路の向こうが東郭(3郭)跡ですが遺構の確認ができません。
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西郭(2廓)跡には太陽光発電のパネルが並べられています。まだ稼働前の準備中のようですが、準備作業に来ていた所有者の
話しですと、地山を壊すことは禁止されていることから盛り土をして地山は保護したとのことでした。
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西郭(2廓)外郭の折れのある土塁
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水田跡の窪地
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秩父鉄道の線路と水路
線路左側(東側)は東郭(3郭)跡 水路は内郭部に入って、深さ4~6m上幅6~8mの谷になる
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ここ辺りも東郭(3郭)跡ですがやはり太陽光発電のパネルが並んでいます。
最近はあちらこちらに太陽光パネルが見られます。エネルギー対策に重要なことなのでしょうが、景観が損なわれているのが
ちょっと残念です。
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諏訪神社社殿脇(東側)の谷 天然の水堀ですね。先ほどの水路はここに流れてきています。先の方で横瀬川に合流しています。
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社殿裏(北側)
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社殿裏 上記写真と反対方向に
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社殿裏の急崖の突端(北端) 青い橋が和同大橋 左側が荒川 右側が横瀬川
天然の要害でこちらから攻められることはないでしょうが、正面から攻められて追い込まれたときはこれ以上後退できません。
まさに文字通り背水の陣となります。
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木立でよく見えませんが中央のモスグリーンの部分が横瀬川
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荒川
実はこの諏訪城攻城でも大失敗をしています。秩父市内にはいくつもの諏訪神社があるようで、こことは別の諏訪神社の所在
地を調べてしまい、行ってみたら諏訪城跡の諏訪神社とは全く雰囲気の違う諏訪神社でした。幸い近くに公民館がありました
ので、そこで改めて調べていただきましたら、走行距離にして約10㎞も離れていました。
更に、上のほうでも触れましたが、付近に辿り着けど中々肝心の諏訪城跡に辿り着けずといった具合でした。更にさらに写真
の失敗で2日続けて攻城する羽目に・・・いつものことですが
散策日:平成30年(2018)3月28日(水)・29日(木)