死んだ人も生きてる人も同じだ。
ワシはそう思った。
違和感は無かった。
みんな・・・結構・・・大変なのね・・・
同じだから、いろいろなのがいる。
陽気なのもいる。
鼻歌を歌いながら、踊るのが好きなのもいる。
若ぇネ~チャンが野太い声を出すのは、
少し違和感があるかなぁ・・・
御師匠様を観ていて気づく事がある。
デタラメの部分が無かった。
「いいかげん」と「デタラメ」の違いだ。
「自由」と「無秩序」の違いだ。
自然(秩序)の大きさを広げるのが「いいかげん」
自然(秩序)が理解できないのが「デタラメ」だ。
佐渡先生も御師匠様も節操が無いが、
実に自然体(秩序体)なのだ。
そして、結果も自然に沿っているのだ。
しかも、ずっと大きな自然になっている。
自然の大きさを改めて知る。
自分の小ささを改めて知る。
常識と常識外。
節操は常識内にこだわる生き方だ。
節操が無いのはデタラメではなく、
常識内と常識外を自由に行き来できることだ。
そして、それはホンモノの自然(秩序)でもある。
垣根、壁、殻。
それらは必要な時だけあればいい。
いつでも、取り払えるし、消せる。
自分を囲うモノではない。
自分を縛るモノでもない。
壁や殻(区別)がある。
必要な時は必要だ。
だが、邪魔な時は邪魔なのだ。
だから自由に活用すればいい。
いつでも自由というのは、
区別をしない事じゃなくて、
区別を適切に使える事だと思う。
普段は区別を意識しない事がコツだと思う。
常識の中に区別をいれるから苦しむ。
無区別を普段の状態にして、
必要時のみ、壁や殻を使えばいい。
今までの壁や殻の使い方は逆だと思う。
区別が無ければ、差別もない。
平和は壁が無い状態だ。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」