第二章(10)
観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時
「観音(観世音)」を「観自在」と書いた。
ゲンちゃん(玄奘)はポイントをここに置いた。
だから、本文の最初にもってきた。
超優しいから、素直なのだ。
「観自在」をどう訳すかで、心経全体が変わる。
「偉大な観音様が、アレコレ・・・」
と訳すと、一部のマニア心経になってしまう。
心経は幅広く、奥や底が深く、上も高い。
どんな訳も間違いではないけど・・・
「観音」は偉大とか、聖なるとかは関係ない。
「自在」という事実を「観る」行いだ。
誰でも、どの中も同じに「在る」モノだ。
妖怪や夜叉や鬼の中にも同じくある。
三十三化身という言葉で「観音経」に書いてある。
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