第三章(12)
照見五蘊皆空 度一切苦厄
「度一切苦厄」の部分はゲンちゃんのオリジナル。
原文にはない言葉らしい。
ゲンちゃん(玄奘)は何故この言葉を付け加えたか?
膨大な原文の心(しん)を書いているのだ。
余計な言葉など、通常なら挿入しない。
だが、ゲンちゃんは加えた。
それは、この心経が頭で書いたものではないからだ。
「観自在菩薩行深」は「深い冥想」だ。
ゲンちゃんは行深しながら書いた。
すると大元のブッちゃん(仏陀)と同調したのだ。
つまり、この言葉はブッちゃんの言葉だった。
それも抜かす事の出来ない言葉だったのだ。
原文を書いたのも高僧だろう。
だが、ゲンちゃんは原文を超えて心経にした。
直接ブッちゃんの言葉と繋がったのだ。
その証拠がこの「度一切苦厄」の部分なのだなぁ。
次章からは話言葉の部分になる。
何故、話言葉になるのかは、ここにヒントがあったのだ。
このとらえ方はワシの独解だ。
だが、ワシだけのオリジナルではないと思う。
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