タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

11月6日(火)のつぶやき

2012-11-07 | 植物

山里の 草のいほりに 来て見れば 垣根に残る つわぶきの花  (良 寛) goo.gl/mGPjd



山里の 草のいほりに 来て見れば 垣根に残る つわぶきの花  (良 寛)

2012-11-06 | 植物

この春、花見に行った宍道湖を望む高台の、広大な桜場にワンちゃん

の散歩を兼ねて行って見ました。

お天気も良く、同行のワンちゃんも思い切り走り回っています。

春には桜吹雪を演出していた桜の木も、今は淡くきれいに紅葉し、散

りはじめています

桜の木の足下、木陰を照らす様に真っ黄色のツワブキ(石蕗)の花が

が群生!

この花、元々は潮風の吹く海端の岩場や、日影等のどちらかと言えば

過酷な環境に育つ植物です。

当地方では、庭園の庭木や置石の足下を引き締めるための脇役とし

て、植えられているのをよく見掛けます。

春先に芽吹く若茎は、煮物や酢の物にすると香りも良く、とても美味し

いので、我が家では、春先にはよく「ツワブキ狩り」に出掛けます。

当県・津和野町(西の小京都・森鴎外の出身地)の、 町名の由来は

『石蕗(ツワブキ)の野』からきているている様ですが、これははじめて

知りました。

今の伊豆半島の様に、その昔、津和野もツワブキ(石蕗)の群生地の

一つでもあったでしょうか?

          ~今日も良い一日を~

 お天気もいいし、広くて眺めもいいから、今日のお散歩は最高だよ

 


11月5日(月)のつぶやき

2012-11-06 | 植物

~国宝「いずもおおやしろ」の本殿~

2012-11-05 | 風景

出雲大社(いずもおおやしろ)本殿(国宝)の修理を終えた部分が、八

足門(やつあしもん)と楼門、観祭楼越しに見られます。

勢溜から石畳の参道をしばらく進み、橋を渡って、長い松並

木の「松の馬場」を行くと、やがて左手の「手水舎」で身を清

め、胴鳥居を潜って進むと拝殿に至ります。

ここで「二拝四拍子一拝」の作法で拝礼をし、そして本殿へお

参りをす。

東・西十九社

島根の10月は「神在月」、旧暦10月11日から17日の間、

全国から八百万の神々が集まり神議を行い、この宿舎にお

泊まりになられ、その期間中は十九社の扉も開かれます。

(本殿に向かって左右の側面に、東・西十九社があります)

運勢を占う「おみくじ」が、杉の古木の葉先に幾重にも結ば

、願をかける「馬」も無数に架けられており、お正月や

進学期、はたまた縁結び等の、人々のお願いごとのなんと

いことでしょうか!

    ~今日も良い一日であります様に~

 

 


11月3日(土)のつぶやき

2012-11-04 | 植物

~~神話博しまね・天空の社~~

2012-11-03 | その他

「神話博しまね」は入場者数が当初の目標を上回り、先日60万人に達した様です。

出雲大社には時々お参りするのですが、神話博も終盤にきたので今日は出掛けて

きました。

映像館前の次から次へと行列が出来る盛況ぶりを横目に、今回は古代出雲歴史博

物館を一通り観ると、大社の境内を丁寧かつ隈なく(出雲教北島国造館も)歩いて、

神域の清浄で冷え冷えとした空気に触れ、身を清めて来ました。

本殿正面に来ると、石段下に記された「心御柱・宇豆柱」模様(跡)を指しながら、観

光の方から尋ねられたので、恥ずかしながら貧識を前置きし・・・

~出雲大社の本殿は、現在修理中ですが、この本殿は古代の高床式住居と同構造

っている関係で、大国主大神の御神座も西向きとなっているそうです。

現在の本殿は1744年に造られ、高さ24メートルあって、神社として破格の規模の

造物と言われています。

かつての(平安、鎌倉・大和時代頃)本殿は、、16~32丈(約48~99メートル)あった

伝承され、この事から想像される神殿は、まさに天空に向かって多数の柱が伸び、

その上に社が建つという、不思議な高層本殿であったようです。

しかし、2000年5月にその心御柱・宇豆柱が発掘された現状を目の当たりにしたり

何度も倒壊したとの伝承からしても、方としては単なる古代ロマンとは思えません。

(その後の検証で、1248年造殿の可能性が高いという)

古代、空に向かって伸びる柱は、人と神を結ぶ架け橋だったのでしょうか!~

こんな調子で、心もとないにわかガイドをする羽目になってしまいました。

             ~今日も良い一日を~


~栄光のダービー馬「キーストン物語」~

2012-11-01 | その他

今日は乗馬クラブを覗き馬を見て来ました。

いつも優しいあの目を見て、以前観た「ダービー馬・キーストン」のTVの映像が鮮やかに

りました。

競馬ファンの方には、是非とも一度観ておいて頂きたい映像です。(既に観てをられるだろうが!)

それは今も語り継がれる「キーストン物語」です。

競走馬「キーストン」は、デビュー戦以来山本正司騎手と苦楽を共にし、昭和40年の「東京

優駿」おいては栄光のダービー馬に輝いている。

快速馬・キーストンは、昭和42年・「阪神大賞典」に主戦騎手山本正司を背に、堂々の一番

気で走した。

常に先行でレースを引っ張りながら、4コーナーを回って最後の直線を先頭で快走、ここから

こまで伸びていくのか観客の期待を一心に集める中、突然つまずく様な形で前のめりにな

った。

山本騎手は、内側地面に叩きつけられるように落馬し、同時にキーストンも転倒してしまった

キーストンは立ち上がろうともがくが、左前足の完全脱臼(致命的重傷)で思う様に歩く事がで

きない、山本騎手も落馬の衝撃で投げ出され、そのまま気絶しピクリとも動かない。

それでもキーストンは、山本騎手の様子に気付き、激痛で立ち上がることも出来ないであろう、

そのブラリと垂れ下った足を引きずりながら、一歩一歩、山本騎手にすり寄って行く。

騎手に鼻面をすり寄せ服を引っ張って安否を気遣う、うっすらと意識を取り戻した山本騎手もキ

ーストンを動かさない様に、しっかりと抱き抱える。

山本騎手は再び薄れゆく意識の中で、厩務員に「頼む、早くしてやってくれ・・・」と言いながら気

を失っていった。

この、一部始終を観ていた、数万の大観衆はことごとく涙し、その場を立ち去ろうとしなかったそ

うである・・・・

その後、意識を取り戻した山本騎手は、愛馬キーストンの安楽死を聞き、号泣したそうである。

激痛と苦しみの中で、キーストンは「なぜあんなに優しい目で自分を見詰めたのだろうか!」「

れを告げに来てくれたのだろうか!」と苦悩し、その後山本騎手はキーストンと別れて、「馬に乗

れなくなってしまった。 一時は引退も考えた。」と述懐している。

後に調教師となった山本正司は、キーストンの話になると、今でも涙が止まらないという。

馬は、背中と手綱さばきを通して、騎乗者の力量・人格を見抜くと言われているが、競走馬として

共に戦ってきた山本騎手と「人馬一体」と言う言葉の通り、固い絆で心が通じ合っていたのでしょう。

快速馬・「キーストン」は、短い命でしたが、光とともにターフを駆け抜けて行きました。

以前、テレビでこの時の映像を観て涙してしまいましたが、また今日も、この映像に感涙してしまい

ました。

人も動物も心が通じ合い、そしてどちらも懸命に生き抜いているんですね。

(参考画像~「胸が詰まる動画」YouTube~より。)

             ~今日も良い一日であります様に~