国立公園・大山の麓の村をドライブしていると、道路脇の山すそに紅白の梅が今を盛り
に咲き誇っていました。
車を止めて梅林の中に入って見ると、梅の甘酸っぱい上品な香りが辺りいっぱいに漂
い、しばし時を忘れて堪能しました。
桜も梅も古くから日本人に愛されてきた花、とりわけ万葉人の梅の花に対する愛着は
並々ならぬものがあった様で、「万葉集」の中には百十二首(桜は三十五首)も詠まれ
ています。
また中国古来の詩「漢詩」の世界でも、多くの詩が残されていますが、
「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず・・・」で大変有名な、劉希夷(りゅうきい)
の詩を一つ、
代悲白頭翁 白頭を悲しむ翁に代わる 古人無復洛城東 古人また洛城の東に無く
今人還対落花風 今人また対す落花の風
年年歳歳花相似 年年歳歳花相似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年人同じからず
寄言全盛紅顔子 言を寄す全盛の紅顔子
應憐半死白頭翁 應に憐れむべし半死の白頭翁 此翁白頭真可憐 此翁白頭真に憐れむべし
伊昔紅顔美少年 伊れ昔紅顔の美少年
(現代語訳) 昔、洛陽の東の郊外で梅を見ていた人々の姿は今はもう無く、
それに代わって今の人たちが花を吹き散らす風に吹かれている。 来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲くが、
それを見ている人間は、年ごとに移り変わる。 お聞きなさい、今を盛りのお若い方々。 よぼよぼの白髪の老人の姿、実に憐れむべきものだ。
この老人の白髪頭、まったく憐れむべきものだ。 だがこの老人も昔はあなた方と同じく紅顔の美少年だったのだよ。
これが「劉希夷」が、二十代の頃詠んだ詩と言うから驚きです。(初唐の詩人:28歳で早世)
~今日も元気で~
我が青春時代の憧れの大スター、「赤木圭一郎」の映画「霧笛が俺を呼んでいる」
「紅の拳銃」を、ほんとうに久し振りに観ました。
中学、高校時代は赤木圭一郎の大ファンで、部屋中に彼の写真やブロマイドが貼
ってありました。(そう、思い出しました)
彼は、大学在学中に日活のニューフェースとして、彗星のごとくスクリーンデビュー
し、後に和製ジェームス・ディーンと言われ、当時、石原裕次郎を筆頭に、小林旭・
高橋英樹・宍戸錠・二谷英明等の看板スターが、いわゆる無国籍映画で日活の黄
金時代を築きました。
日活「第三の男」と呼ばれ、その日本人離れした風貌と一見退廃的で陰のある雰
囲気が、世の若者達の心を捉えて、一気にスターダムを駆け上った若者でした。
彼は、前出の無国籍映画「拳銃無頼帖シリーズ」など、20本近くの主演作を撮って
いますが、彼が子供の頃からの憧れだったという「船員」の夢を、映画「霧笛が俺を
呼んでいる」で演じています。
赤木圭一郎のマドロス姿は、当時、「最もマドロス姿の似合う男」と言われていただ
けに、今、観ても「孤独な男の背中」にしびれたのは、当然と思える恰好良さです。
この映画を始めて見た時、私的には「夜霧のよく似合う男」と言う強い印象がありま
した。
彼が活躍したのは、1959~61年のわずか2年間で、「激流に生きる男」の撮影中、
撮影所構内の道路で、ゴーカートを運転中、倉庫の鉄扉に激突して、21歳という若
さで早世しました。(ジェームス・ディーンも車の事故で早世している)
短い人生を精一杯に生き、「彗星のごとく駆け抜けていった」そんな事もあって、益
々好きになった様に思います。
彼の主演作はほとんど観ていますが、こうして久し振りに観ると、ストーリーがどうだ
とか?演技的にどうか?・・・と言うよりも、派手なアクションと男としての恰好良さ、
共演女優(芦川いずみ・笠森礼子・吉永小百合)との、劇中ロマンスが若者を惹き付
けて離さなかったのでしょうネ。
お陰で「霧笛が俺を呼んでいる」と「紅の拳銃」を観ているほんの一瞬だけ、あの頃に
かえることが出来て幸せでした・・・・・・
ただ、彼の映画スターとしての名誉のために一言・・・「紅の拳銃」のラストシーンは、
大変印象的で、今でも脳裏に焼き付いています。(素晴らしい!)
吉永小百合も、後年のインタビューにおいて、「憧れの先輩でした・・・」と、多少抑え気
味に語っています。
~今日も良い一日を~
♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る お手々つないで みな帰ろう
からすといっしょに かえりましょ~♪ と子供達の歌声が今にも聞こえてきそうな「ちぎ
り絵」が本棚の奥から出て来ました。
このちぎり絵は、母の形見の一つとして、貰ってきたもの。
父早世後、ひたすらに生き抜き天寿(103歳)を全うした母が、年老いてなお好奇心旺
盛に習い覚えたもので、おそらく90歳を過ぎて、習い始めの頃の作品だろうと思われる。
絵柄から、習作としての下絵があって、その上に彩色和紙を見様見真似で貼りつけたの
だろう・・・この時の母の心は、おそらく童心に帰ってふるさと(雲南)の野山を駆け巡って
いたのだろうと思われる。
母はちぎり絵の他にも、手鞠作りやパッチワーク・読書・花作りなど、様々な事に積極的に
取り組んでいた様で、新聞は100歳を過ぎても隅から隅まで目を通し、社会情勢を驚くほど
よく知っていた。
幾つになっても「好奇心」を持ち続けると云うことは、長寿の秘訣なのかもしれないと思った
りしている。
日本は、いまや世界一の長寿大国と言われているが、「人の一生は、重き荷を背負いて、遠
き道を行くがごとし、急ぐべからず・・・・家康遺訓」と言われる中で、およそ一世紀を生き抜く
と云うこと自体、私にとっては奇跡的なことであり、人がこの世に生を享けた本当の意味は、
ここら辺りに有るのではないかとさえ思える昨今でもある。
~今日も良い一日であります様に~
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先日から、今日か?明日か?と気に掛けていた、庭先の桜(サクランボ)の花
が遂に咲き始めました。
♪さくら~さくら~ 弥生の空は~ 見渡す限り~ 霞か雲か~ 匂いぞいずる~
いざや~ いざや~ 見にゆかん~♪
旧暦3月「弥生」月では、まだ早生咲きの桜がチラホラ咲き始めたばかり、これか
ら日毎に季節は巡り、花の宴がそこに待ち受けています。
桜花(さくらばな)は、古来より日本人が最も愛してきた花と言ってもいいでしょう。
私も大好きな花の一つです!
本居宣長は、『しきしまの やまと心を人とはば 朝日ににほふ 山ざくらはな』と
詠み、日本人の純真無垢な心情を表しています。
「やまと魂」を、日本の自然の中に根付いて咲く、「山ざくら」にかけています。
桜について、『武士道』新渡戸稲造著の中で、
『日本人が桜を好む心情は、桜の花の美しさには気品があり、かつ優雅であるこ
とが、他のどの花よりも「日本人」の美的感覚に訴えるのである。
ヨーロッパ人の好むバラには、「桜花」のもつ純真さが欠けけている。
それのみならず、バラはその甘美さの陰にトゲを隠している。
バラの花は、いつとはなく散り果て、枝先に残り朽ち果てる事を好み、生への執着
は死を厭い、恐れている様である。
しかも、この花には、あでやかな色合いや、濃厚な香りがある。
これらは、日本の桜にはない特性である。
桜花には、美しい粧いの下にトゲや毒を隠し持ってはいない、自然のおもむくまま
に、いつでもその生命(いのち)をすてる用意がある。
その色合いは、決して華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。
・・・・・桜の花がその香しく甘美な香りに満ちる季節には、すべての人びとが、小さ
な家から外に出て、その空気に触れ・・・そして短い快楽のひとときが終われば、新
たな力と、満たされた思いをもって、日常の仕事に戻って行く・・・・・桜が愛される所
以である・・・・・』
などと著しています。
何はともあれ、花は自然の移ろいをあでやかな色と、そこはかとない香り、膨らみ、
散りゆく風情で、私達の心を癒し新たな生きる力を与えてくれます。
(咲き始めた桜(サクランボ)の花)
~今日も良い一日を~
「男はつらいよ:フウテンの寅さん」第一作をNHKプレミアムで放映しており、久し振り
に笑うのも良いだろうと早速観ました。
山田洋次監督のメガホンにより撮られた、ご存知、東京は葛飾柴又の下町の人情話、
何十年振りに故郷東京・葛飾柴又に帰ってきた車寅次郎(渥美清)。 庚申祭りの最中、早速祭りに参加する寅次郎。 そんな中、懐かしいおいちゃん(森川信)、おばちゃん(三崎千恵子)や妹さくら(倍賞 千恵子)と涙の再会を果たす。 ある日、妹・さくらの見合いの付き添いとして出席した寅次郎だが、酔っぱらった挙句 の大失態をやらかす。 折角の良い見合いをぶち壊されたと怒るおいちゃん、結局、大喧嘩をした後、寅さん は柴又を去っていく。 その後、寅次郎は旅先の奈良で、御前様(笠智衆)の娘・冬子(光本幸子)に出会う。 例によって、たちまち冬子にホの字の寅次郎は、冬子と共に柴又帰って来る・・・帰って きた寅次郎は、すったもんだの末に、裏の印刷工博(前田吟)と妹さくらの中に入り、縁 談話を進める。 若い二人は互いに魅かれ合い、結婚へと進んで行くが、肝心の「寅さんの恋」は儚くも 散ってしまうのか・・・
この映画、撮影が1969年(S44)であり、当時の東京下町の、人と人のきめ細やかな
関わりが、そのままスクリーンに持ち込まれた風情でとてもとても懐かしい。
第一作のマドンナ役は、当時新派トップ女優の光本幸子映画初出演、博(前田吟)の父
親役(渋い大学教授)には名優・志村喬が、そして寅さんの叔父・母(森川信・三崎千恵
子)、甥の一見ハチャメチャな絡みには、家族のほのぼのとした情愛さえ感じられる。
ちなみに「男はつらいよシリーズ」の劇中名台詞、
おいちゃん~「出てってくれ!」 寅さん~「それを言っちゃあお仕舞いよ」 おいちゃん~
「ほんと馬鹿だね~」 ふらりと柴又に帰った時、顔馴染みと交わすあいさつ~「相変わら
ず馬鹿か?」 晩酌の後、二階に上がる際~「今夜はこのへんでお開きってことにするか
・・・」 的屋商売の口上言葉~「結構毛だらけ猫灰だらけ」「四谷赤坂麹町、チョロチョロ
流れるお茶の水、粋な姉ちゃん・・・」等々も随所に出て来る、名台詞の一部は渥美清の
アドリブも取り入れられている様だ。
それにしてもこの映画、劇中で寅さんが時折、的屋の仁義口調で語る真面目なつもりの
挨拶には、笑い転げながらも、今の日本人が忘れてしまっている、古き善き日本人の「礼
節や品格」を感じさせられ、うれしくなってしまう。
山田監督は、この映画の封切りの日、映画館で「面白い映画では、ないだろうな~・・・」
と、観客の反応が非常に気に掛かりであったが、映画が始まるや寅さんの何気ない一つ
一つの演技に、爆笑と拍手喝采が聞かれ、「これは予想外でした!」と述懐している。
山田洋次監督の追い求める「家族」がそこに居る.
『男はつらいよ:フウテンの寅さん』万歳である!
~今日も充実した一日を~
今日も朝からとてもいい天気で、気持ちがいい。
畑の冬野菜のトウが立たない内にと、取り入れて、春野菜の土作りに取り組んでい
い汗を流した。
畑打ちに夢中で、うっかり冬眠中の蛙も一緒に掘り出してしまった。
蛙は泥だらけで、いかにも眠そうに眼を半開きにして、「まだ眠いのに勘弁して
よ!」と言いたげな不満顔。
いくら暖かくなったとは言え、この蛙(アマガエルと勝手に呼んでいる)、5月6月
頃に、家の周りで良く見られる蛙だから、急いで土に返してやったものの、枕が
代わって眠り辛いことだろう。
当方は、久し振りに蛙の顔を見て、そう言えば今年も田植えが終わった頃には、
この近辺でも夜の田んぼは、蛙の大合唱で賑やかなことだろう・・・これも大自
然の営みの一つであり、楽しみなことでもある!
~今日も良い一日であります様に~
ポカポカ陽気にツクシやフキノトウも、我慢できずに彼方此方で芽を吹き出して来た。
今年初もののフキノトウ味噌を作って見たが、香りといい苦味といい、これは最高に美味しかった。
四月、春真っ盛りになると足下から、それぞれにスギナやフキの茎が伸び若葉が茂
ってくる。
フキ(蕗)にまつわる民話をひとつ・・・・・・・・ 秋田市・仁井田がまだ奥深い森であった昔々の話、万病に効くと言われる泉があった。 この泉には「女は近づくな」という厳しい掟があった。
ある時、村の長が重い病に倒れ、親孝行でしっかり者の一人娘「ふき姫」は、母が早く死んでいなかったため、寝ずの看病を続けた。
[何とかして]私の手で治さなくては・・・」と、どんなにつらくても看病を人に任せようとはしなかった。
しかし、その甲斐もなく、父の病は日毎に悪くなり、身体は痩せ細って明日をも知れ ない命となっていった。
「女人は近付くな」と言うけれど、ととさまの病が治るのなら「私はどうなってもいいから、泉の水を汲みに行こう」・・・・・・・・・・・・ 夜を待って「ふき姫」は水がめ抱えると、誰にも告げずにこっそりと家を出た。
頭の中は父親のことで一杯、暗い森の夜道も恐ろしいとも思わず、月の光を頼りに、 森の奥の泉に向かって歩きに、歩き・・・・・やがて泉が見えてきた。 風もなく静かな水面がきらりと光った。
「ふき姫」は思わず駆け出し、「早く、早くととさまに、泉の水を・・・」と、水を汲もうとした時である、「よく来たふき姫、待っていたぞ。」泉の底から男の声がした。 その声にぞっとしてふき姫はすくみ上った。
「おれはこの泉の主だ。 お前の事が好きで父親を病にして、お前が泉の水を汲みに来る様に仕向けた。さあ来るのだ。 今日からお前はおれの女房だ。」と、言い終わるや否や ザバアッと水を割って巨大な白蛇が躍り上った。 あっ、という間もなく「ふき姫」は蛇と共に泉の底へ引き込まれて行った・・・・・・・・・・た その夜、泉の水は凍り不気味な風が荒れ狂い、雪が降りしきった。
いきなり冬がやって来たといって、冬を始めていなかった村人たちは支度を始めてもいなかった村人は、大慌てにあわてた。
ところが不思議な事に、父親の養体は日毎に良くなって行き、春が来るころには元の元気を取り戻していた。
ところで、心配なのは娘「ふき姫」の身の上であった。・・・・・・・・・
「一体どうしたというのだ。 あの親思いの娘が、黙ってどこかへ行ってしまうはず がない。
「誰かにさらわれたのだろうか?」父親は村人一人ひとりに尋ねたが、誰もふき姫を見た者はいないという。
「まさかとは思うが、わしに泉の水を飲ませようと掟を破って・・・」そう思うと、矢も盾もたまらず、父親はまだ雪の残る森に分け入って行った。 気持ちばかりが焦って、雪を漕いで行くのはひどく難儀であった。
泉は何事もなかった様に、シーンと静まり返っていた・・・・・・・
「おおっ、あの水がめは・・・」、水際に転がっていたのは、確かに見覚のある水がめであった。
「やっぱりふき姫は掟を破って命を落としたのか・・・」、父親はさめざめと泣いた。 幾時かが過ぎ、諦めてふと顔をあげた父親は、水際の雪を割って、点々と小さな花(フキノトウ)が咲いているのを見た。
「雪の中から咲くとは、何と強い花だ。 何と可愛らしい。 ふき姫の身代わりとでも言いたげではないか・・・」父親は、その花を持ち帰り、村人に訳を話して聞かせた。
村人達は、ふき姫を憐れみ、その小さな花を:~ふき~」と呼ぶようになった。 フキは毎年毎年、春になると小さな花を咲かせた。
フキが育つと、茎は人の背よりも高くなり、葉は傘の代わりになるほど大きくなった。
村は、この ~ふき~のお陰で豊かになった。 「秋田の国では雨が降っても傘など要らぬ」・・・と言われる。 ~出典:「ふるさと伝説9/鳥獣・草木」秋田市~
~今日も良い一日を~