十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

囲碁会で優勝

2012年11月12日 | 道楽

退職会のサークル活動の一環である囲碁の会に7月から参加するようになったのは先に書いた。7月は1勝3敗、9月も1勝3敗、長いブランクんせいで調子がでなかったが、ここしばらく昔読んで本を読み直し復習して今日の囲碁会に参加したら、なんと4戦全勝で優勝、ささやかであるが賞金3000円をゲット。

しかし、考えてみるとハンデを貰いすぎた気がする。一番強い人に9子もおいて打ってきた。私が初段クラスで1段違えば1子の差だから9子も置けば相手は10段になってしまう。アマでは8段が最高でその手合割なら7段差で7子置きが妥当ではないかと思う。

置碁の場合上手にごまかされいつの間にか石の連結を切断されて殺されてしまうハメに陥るのだが、今日は連結を切られないように注意して打つように心がけた。尻尾は切られて本体を取られるようなことはほとんどなかったのである。

今日の成績で次回は置き石が1子少なくなること必定、もうちょっと勉強しておかなくてはと思う。

今日の碁会所は高齢者ばかり、ボケ防止の頭の体操にはよさそうである。

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人は何のために生まれてきたのか

2012年11月05日 | 佛教

11月に入って例年のごとく年賀状が発売された。
いつどんなことが起こるか分からないから購入はまだ先のことだが、今年は早々に年賀に書く文章が思い浮かんだ。他人の言葉の寄せ集めでまだ洗練されていないが言いたいところはそんなところである。

人はいのちを輝かせるために生まれてきた
自らを燈明とし 法を燈明とす
そのいのち輝く尽十方の自己世界は一個の明珠でありそれを浄土という

人は何のために生まれてきたのか?
こんな問にきちんと答えられる人はどれだけいるだろうか。もう18、9年前の人権週間の啓発ポスターに「人はいのちを輝かせるために生まれてきた」というのがあった。「そうだ。そういうしか外はない」とその時奇妙に納得したことである。
そう考えてみると、涅槃経に「自灯明 法灯明」という言葉あるし、また、「尽十方世界は是れ一顆の明珠」は大宋国の玄沙師備大師の言葉もそれに合う。

いずれもいのちが輝く話なのである。佛様はみな輝いている。成佛とはいのちを輝かせることなのである。浄土とはいのちが輝く世界なのである。

 

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