十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

連鎖反応

2008年12月30日 | 共生

連鎖反応といえば大方の人には核分裂の連鎖反応が想起されることと思う。しかし、生命も連鎖反応を起こしているのである。

一例としてこのブログの影響力は普通考えればささやかものだと思われる。日々の訪問者数は20~50人程度で閲覧数はそれの2~3倍程度である。


そのうち影響を受けたと考える人は、それよりまたずっと減ることになる。元々同じような意見だったり、あるいは反対の見解を持つ人は影響を受けたと感じないものと思う。


ところが実はどなたも大きな影響を受けているのである。なんとなればこのブログを覗くということはそれだけの時間を取られているということである。それだけでもう影響を受けてしまっているのであるが、その時間中意識の流れが影響され続けるということ。
意識の流れが変れば行動も変る。予定していたことでも時間のずれができる。影響されてしまっているのである。


微妙な意識の流れや行動の差異が、周辺に次々波紋として広がっていく。<三億分の一の確率(11/24記事)>で書いたように微妙なところが微妙な変化で増幅されて大きな変化となっていく。


ここから発した連鎖反応は次々に重なり合ってどこまでも広がって世界を覆うことになる。

このことを確認するには予定している行動をあえてずらしてみると実感できるでしょう。例えばいつも乗る電車の時間をずらしてみる。するとその電車に乗る人に影響を与えることになる。その乗客たちは影響を受けた行動を周りの人にしていくことなることは容易の想像できるでしょう。

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仏教の生命観・世界観

2008年12月29日 | 佛教

仏教では生命観と世界観と分けて考えない。
人は生まれてくる時世界を持って生まれてくる。死ぬ時には世界を持って死んでいく。


生命がなければ世界もないのである。


「いや、目の前に現実の世界がある。間違いない」とおっしゃるのでしょうか。それは今あなたが生きていてその世界を体験しているからそう言えるので、いない人間がどうして世界を認識できるのか、認識以前の問題である。


「いや、俺の生まれる前にも世界があった。明治時代もあったし、江戸時代もあったじゃないか。」


それもまた今あなたが生きていて昔覚えた過去の記憶を呼び起こしてあると言っているので、あなたが存在しなければ、あなたにとって有るもないもないのである。そう、あなたにとってということもないのである。


生命の働きがなければ一切のものは姿を現すことはないのである。人知れず転がっている<石> それは石とも言えない代物です。人が石と認めてその人にとって石となるのです。


姿を現したものは全ては生命の働きによるものであるから、生命と一体であり、生命の内にあるといってもよい。日月星辰森羅万象何でも自己の生命の内にある。自己世界は、自己の風景なり背景なのである。

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ガリレオ地動説、法王が公式に認める

2008年12月27日 | 他教

2008年12月22日(月)の読売新聞記事によると、


ローマ法王ベネディクト16世は21日、バチカン(法王庁)での礼拝で、17世紀の天文学者ガリレオ・ガリレイの地動説について、「自然の法則は神の業に対する理解を促した」と述べ、同法王としては初めてガリレオの研究を公式に認めた。


 バチカンは17世紀に、コペルニクスの地動説を支持したガリレオを「異端」として宗教裁判にかけ、有罪にした歴史がある。前法王ヨハネ・パウロ2世は1992年、教会側の非を認め、公式に謝罪したが、現法王は枢機卿時代に「ガリレオ裁判は正当だった」と発言したことで知られている。


 現法王は礼拝で、「ガリレオの望遠鏡による初の天体観測から400年になる」とも述べ、研究をたたえた。


ということである。何を今さらという思いをまた強くした。1992年に前法王が既に認めているのである。法王が替わるたびに見解が変る、それも逆戻りしていたわけである。


ついでに、前法王はダーウィンの進化論を1997年に認める発言している。しかし、人間の精神はあくまでも神の創造によるものとしている。それでは身と心がバラバラになってかえっておかしいというものである。


現法王の進化論に対する考え方はどうなのだろうか。

コメント (1)
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不景気って何?

2008年12月26日 | 共生

世の中、不景気だとてブー、ブー言っていてもつまらんね。
だいたい、景気って何かといえばバブルですよ。


以前に「鯛一匹の値段はただである」にも書いたけれど、もともとどんなものもただなんである。ただのものに価値をどんどん付加してそれをGDPとか称しているのである。要するに金の膨らみだけ、バブルなのである。好景気とはそのバブルが行き渡って金の回りがよくなっただけのこと。不景気とはそのバブルが弾けてぺしゃんとなっただけのことである。


不景気状態がそもそものベースなのである。どうでもいいようなものがそぎ落とされるのである。今、問題となっている地球環境問題もその負荷が緩和されるし、資源の枯渇も抑えられる。


 だから、不景気といっても世の中公平にできておれば、何の問題もないところに落ち着くはずのものだが、不公平にできているから割りを食う人が出てくる。バブルが大きければ大きいほどハジケの犠牲が大きくなるというものである。


政治家を中心として景気回復の大合唱が起こっているが、バブルを再構築したってしょうがない。生活基盤をしっかり作る政策が期待されるのである。

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K-20 怪人二十面相・伝

2008年12月23日 | 道楽

 昨日、大阪市内に出たついでに映画を観て来た。
 禅は莫妄想だが、元々妄想的なことが好きで映画も月に1回くらいは観に行く。今月はレッド・クリフを観て、金城武という俳優を知ったところだったが、すぐ彼が主演の映画「K-20 怪人二十面相・伝」公開されたので観に行ったのである。


 金城武に好感を抱いたということも理由の一つだが、6年前「K-19」という映画を観たことに関係する。ソ連原子力潜水艦K-19がメルトダウンを起こしかねない原子炉事故を起こした実話を基にハリソン・フォード主演で作られた映画である。実話に基づくものだけに結構印象深い映画であったが、当日劇場内で面白い出来事があって忘れがたいのである。


 座席指定の映画館で指定座席に坐っていたら、「そこは私の席です」と女の人からチケットを見せられたので、座席を確認すると座席番号が一致する。「失礼しました」と座席を立ってチケットをよく見ると私のはI-17、2列前の2席左横、つまり、映画の題名を座席と間違えK-19の座席に坐っていたのだった。面白いことにしばらくしてから後ろを振り返ったら、さっき席を替わった人が別の人に席を替わらされていたのだった。
 公開期間中何人かそういう目にあったのではないか、想像するに難くない。


 つまり、K-19とK-20 思い出つながりで私の興味を引いたことも鑑賞の理由である。映画は荒唐無稽なアクションものであるが結構楽しめた。

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血液型占い

2008年12月19日 | 他教

 本のベストセラーランキングに「O型自分の説明書」ほかA及びB型の説明書の3冊が入っているらしい。
 しかし、人間の性格や特徴をたった4種類に分類できるものではないし、占いものはどこか合うところがちりばめられていて、どことなく当っているように作られているのである。占いや暗示に弱い人はそれとなく誘導されて当るように思っているだけなのである。


 医学的には何の根拠もないのに、日本でこれだけこの占いが流行るのは、すでに集団催眠にかかっているのである。大概は催眠術にかかってそれまで型どおりの性格がなかったのにその型の性格に変身させらてしまっているのである。


 本来の自分らしさを失い、血液型に性格を合わせるのは馬鹿げていると思わなければならない。


 ところで、O型の血液型だった市川団十郎が貧血のため妹の造血細胞の移植を受けたら血液型がO型からA型に変ってしまったとか。性格もコロッと変わってしまったというのだろうか。それなら、面白いが・・・

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盗人根性

2008年12月16日 | 人生

先週の土曜日のTV番組で40年前の3億円強奪事件を扱う特集番組を見た。用意周到に練られた計画と手際のよい実行力、まるで映画でも見るような話で当時巷で話題となったものである。


当時の3億円といえば今日の貨幣価値に換算すると20億円にも該当する高額の被害、皆は呆れてケシカランという憤りよりも「うまいことやりやがった」という、羨望にも似た気持ちで話のネタにしていたように思う。


そのうち捕まるだろうと誰もが思っていたが、事件は迷宮入りし、15年の時効もいつしか経ち、とうとう今年で40年。月日の経つのは早いものである。


しかし、当時「うまいことやりやがった」と思ったが、犯人は本当にうまいことやったんだろうか。


掴んだのがアブク銭だから、多くの犯罪者がやるようにそれこそアブクのように使ってしまったのではないか。時効になるまではやはり警察に捕まることを恐れてビクビクしながら生きていたのではないか。


いや、確率は極少ないと思われるがそれを元手に事業をやって大成功なんてこともあり得るかもしれない。しかし、それは盗みの延長上のことで、盗人根性が改まったというわけではない。


罪を償わないかぎり盗人根性で一生を生きることになる。これは人生にとって大きなマイナス、つまらぬ一生を生きることになってしまう。


人にはその人の根性に応じた世界が展開する。盗人根性の持ち主には盗人の世界が展開する。根性に応じた運命が待っているのである。たとえ、金楼玉殿に住まいするとも盗人は盗人である。


堀江や村上なんかも、盗人だ。「100億からの金を持っている。どんなもんだい」と思っている限りどこまでも盗人だし、そこから抜け出せない。ヌクヌクとしているかもしれないがつまらない人生を送っているのである。ところが世の中にはこんな泥棒を偉いと思っている泥棒予備軍がぞろぞろいるようである。馬鹿な奴。


 

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内山興正老師の本

2008年12月08日 | 佛教

昭和16年12月8日真珠湾攻撃から67年、私の歳が66歳、母親の胎内で戦勝のラジオ放送を聞いていたことになる。そして、生まれた時にはすでにミッドウェーでやられていた。後は負け戦ばかり、あらためて馬鹿な戦争をやったもんだと思わざるを得ない。

 話替わって、今日、本屋から内山興正老師の本が出版された旨メールが送られてきて思い出したことがある。日米開戦のこの日内山老師は澤木興道老師から出家得度を受けられたのである。いや、内山老師の言葉によれば自分が出家得度した日に戦争が始まったということだった。


で、老師の本を紹介すると、現在入手可能なのが次のとおりとなるが、いずれも大法輪閣から再刊行されたものである。タイトルはむずかしいが読みやすいと思うので機会があれば本屋で一度手にしてみてください。



正法眼蔵 現成公案・摩訶般若波羅蜜を味わう  ¥1,995  (12月新刊) 

正法眼蔵 八大人覚を味わう  ¥2,100  
宿なし興道法句参 \1,890  
普勧坐禅儀を読む \1,890  
自己 \2,100  
坐禅の意味と実際 \1,680  
 
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12月8日は何の日?

2008年12月06日 | 佛教

12月8日は何の日?
私の年配より上の人なら昭和16年の太平洋戦争開戦・真珠湾攻撃の日を想起される人が多いと思う。

しかし、仏教を学ぶ者としては、釈尊が臘月(12月)の8日に悟りを開かれた、つまり、成道されたとされているので、成道会(じょうどうえ)という記念日となっていることを忘れてはならない。また、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。禅門においては臘八接心と称し12月1日から8日まで坐禅三昧の修行が行われる。だから、今はその最中である。



日本においては、552年の仏教伝来以来、多くの人々は仏教に帰依し心の拠りどころとして来ているのに釈迦の成道を祝わず、イエスの誕生を祝うのか訳が分らない。



 クリスマス、バレンタインデイ、カーニバル、ハロウィン。果てはパリ祭を何故日本で日本人がやるのだ?祭なら何でもよいという軽薄さを笑うしかない。

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差別意識

2008年12月04日 | 共生

差別って、簡単にいえば同じ人間扱いしないことでしょう。
例えばAとBの二人の人間がいるとする。
双方同じ人間だから A(人間)=B(人間) である。
ところがAがBを人間扱いしないとする、たとえば畜生としたとする。Aの意識としてはA(人間)でB(畜生)、A(人間)≠B(畜生) というつもりなのだろうが、客観的には人間同士 A=B である。 とするとBを畜生とするならAも畜生と呼ばなければならない。


B(畜生)=A(畜生) である。AはBを畜生とすることによりA自身も畜生になってしまうのである。


しかるにBは客観的には人間である、それは初めから終わりまで変わりはない。よってAはBを差別することにより畜生道に落ちることになるのである。

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一円玉パワー

2008年12月02日 | 共生

 現在の日本通貨の最小単位は1円。1円玉が道に落ちていても拾われず、財布に何枚か溜まってくると早く使いきってしまおうとする。家に戻るとビンか何かに溜め込まれる疎外された存在である。


 そんな1円玉にもすごいパワーを秘めていることを紹介しよう。
 まず、1円玉を2枚用意してテーブルの上にでも並べてみる。仮に一方をA、もう一方をBとする。
 両方とも同じ1円玉だから、Aが1円玉ならBも1円玉である。Aが1円玉でないなら、Bも1円玉でない。 
 ということはAが1円玉であることによって、Bも1円玉であることになる。それだけはない、Aが1円玉であることによってB以外の全ての1円玉も1円玉となるわけである。


 1枚の1円玉の存在を否定すれば全ての1円玉の存在を否定することになる。1枚の1円玉が全ての1円玉の存在を支えているのである。それは日本の通貨体系を支えていることであり、広くは日本の経済、世界の経済を支えていることでもあるのである。


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