十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

ポア

2012年05月28日 | 他教

 一昨日、昨日と2日続けてNHKが、17年前にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件をメインになぜオウムがそんな事件を起こしたのか特集報道していたので、視聴することとした。

 私の認識では教団内における死亡事故や殺人事件を隠蔽する中で警察への対抗をエスカレートする中でサリン事件も起こったように思っていたが、麻原はオウム真理教を立ち上げた時点から武力を用いて世界支配を目論んでいたという証言があってびっくりした。

 熊本県波野村における教団施設で既に毒ガス散布を計画し製造を始めていたという。
 サリン70トンを製造しそれで70億の人間を殺せるという。殺すのが救済でポアというのである。麻原という男の奇想天外な妄想に多くの信者が付き従いあのような事件を起こしてしまう人間の心というのは恐ろしいものを蔵しているものである。

 佛教はそもそも外の世界を作り変えるものではなく、自己の内なる世界を変えるものなのである。その辺が分かっていない宗教が多いのが遺憾なところである。

 ところでポアは救済だという麻原的な宗教者が過去にいたのは、ご存知だろうか。

 日蓮がそうである。四箇格言(念佛無間、禅天魔、真言亡国、律国賊)の如く他宗を非難するだけかと思っていたが、最近、下記のような殺人を指示、教唆するような御書というものを弟子達に発していたことを知った。

 また、元寇の時、自分の予言が当たり日本が蒙古に負けることを期待していた。日本が滅びても思い知れば法華経を広めるのに好都合、蒙古は天の使いだというのである。結果は神風が吹いて蒙古軍は全滅、目論見がはずれてその冬病に倒れ翌秋には死んでしまった。

 こういうのが佛教者とはとても言えないし、大聖人とか本佛とかいって信仰する人が多くいるのはどうかと思わざるを得ない。

 不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、「法華経の敵になれば、 此れを害するは第一の功徳と説き給う」也。(秋元御書)

 建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が 寺塔をば焼きはらいて彼等が頚(くび)を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ (撰時抄) 
 
 故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無限地獄に堕ちたりと申し、建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏等を焼き払へと申し、道隆上人・良観上人の頚(くび)をはねよと申す  (種種御振舞御書) 

 「念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべしと申す上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給ひたりと申すほどの大禍ある身なり」  (光日房御書) 

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金環食

2012年05月21日 | 人生

 今朝は数日前から盛り上がってきた金環食の日。前日には見る気でいたがうっかり夜更かししてしまって寝過ごしてしまった。

 外で大きな声が聞こえてきて目を覚ました。向かいの2軒の家のオバサンが金環食の様子を見ながら興奮して大声喋っていたのである。時計を見ると7時26分、金環まで後3分、慌てて飛び起きて家を飛び出した。家横の道に出て東の空を見上げると空は曇っていたがまだら模様でちょうど太陽のところは雲が薄くなっていた。光の按配がよくて専用メガネを用いなくてもよく見れた。初めは太い輪だったが、だんだん細くなって綺麗な金環が現れた。

 後からTVニュースを見ると、大阪では282年ぶり、江戸時代享保15年というと吉宗、大岡越前の時代だ。次に大阪で見られるのは300年後だとか。また、今回のような日本列島を縦断するような大規模なものはなんと932年前1080年頃、1083年に後三年の役が起こっている。この時代の人はこの現象をどう見たのだろう。アマテラスが姿を変えて現れたのを見て、さぞ、驚いたことであろう。 

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裸の坊様

2012年05月20日 | 佛教

 安泰寺住職 ネルケ無方さんの新しい本が出版された。
 「裸の坊様」というユーモラスなタイトルの本。裸の王様をもじったものなのだろう。

 副題に「異文化に切磋琢磨される禅プラクティス」とついている。プラクティスとは辞書では手法、技法、プロセス、活動のこととある。

 目次は
 第1章 禅とキリスト教
 第2章 安泰寺の禅~坐禅と自給自足
 第3章 出家失格
 第4章 共に禅を生きる
 第5章 全世界が叢林(注:叢林とは禅の修行道場のこと)

 彼もまた悪男悪女に類する人間。「キリスト教の人格神に納得ができなかったり、ちょっと大人げない宗教だなと思ったり、「罪を悔い改めなさい」とうるさくいわれてうんざりしたりしてです」 「信じるのではなく、自分で見聞きして、自分で気づいて、自分の頭で納得したことを実践するのが佛教。キリスト教は自分で納得できないからこそ信じる。不条理だからこそ信じる」と書いている。
 結婚式を教会でやった続きでキリスト教に入信する若者が増えてきているという。なぜそんなキリスト教ではなくて禅なのか、分り易く書かれてある。安価な本でもあり一読されることを勧めたい。

 出版元 サンガ ¥740+税

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時間延長型宗教と空間拡大型宗教

2012年05月15日 | 生命

 宗教には2つの型がある。一つは時間延長型宗教でもうひとつは空間拡大型宗教である。
大概の宗教は時間延長型に属している。人の一生は誕生してから死ぬまでだが死んでからも生き続けるというもの。死後の世界を考えそこで生き続ける、あるいは生まれ変わることを考えるものである。生まれ変わるというものは今生きているのも生まれ変わりだからとさらに前世をいうものを考える。
 
 遠い昔の人間が冬枯れで枯れた草木が春になると花が咲き葉や枝が繁茂してくることを見て再生を信じたのであろうが、それを人間に当てはめるのは妄想でしかない。しかるにそんな考えが延々と受け継がれてきているのである。ちょっと考えれば誰も死後の世界を体験した者はいないのだから、天国だ、地獄だ、生まれ変わりだということの信憑性は全然ないことは明白なのに信じ込んでいる。

 何故、信じるのか。死にたくない思い、死に対する恐れがそうさせているのである。
そんな死後の世界を説く宗教が幅を利かせているのが現状であって、それを支えているのが善男善女である。

 もう一方は空間拡大型宗教。生命が肉体に限定されず無限の広がりを持っていることを説くものである。釈尊の説かれた佛教がそれである。一言でいうなら「無我」である。
無我とは肇法師の言葉が分かり易い。「己無し、己ならざるところ無し、天地同根、万物一体」己と一切のものは宇宙の果てまで皆、繋がっているということである。宇宙全体を生きているということである。つまりは釈尊の説かれた縁起の理法である。
 
 このことは前にも書いたが、現代物理学のいう「素粒子の持つ重力と電磁力はその影響するところは無限大である(基本相互作用)」ということから証明されるのである。

 この道理からすると、無縁とか無関係というものは一切ないのである。その辺に転がっている石ころ一つでも宇宙全体の繋がりの中で存在しているのであり、それを否定すれば宇宙のバランスは壊れて宇宙もなくなってしまう。粉々に粉砕しても宇宙の中に存在していて宇宙の外に放り出すことはできないのである。

 一切のものとのっ引きならない関係にあるということはどういうことか。何かが存在しているだけで周囲に大きな影響を与えているということである。そこから新しいものが連鎖反応的に生まれてくる。あらゆるものは自分の分身なのである。このことによって自己生命の永遠性も自覚できるというものである。

 さて、結局、個体的生命の永遠性を信じても、全体的生命の永遠性を信じてもあくまでも生きている間のことであって死ねばその思いが消えてなくなるのである、生命が死後も存在し続けることは有り得ない。今ここで死後を含む未来をどう見つめて生きるかということである。しかし、虚構によるか真実によるか、天地の差があるといえよう。 

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悪男悪女のための宗教

2012年05月08日 | 共生

私が内山老師を知る前に老師は「悪男悪女のための宗教」という本を曹洞宗宗務庁から出されていた。読んでみたかったが残念ながら手にすることができなかった。

 私が後に聞いた老師の提唱の中で悪男悪女とは老師の造語で善男善女の反対概念だといわれていた。善男善女とは辞書には「佛法に帰依した男女。また、一般に信仰心のあつい人々や、寺社に参拝する人々をいう」とあるが、悪男悪女とは簡単に神や佛を信じることができない人々ということになる。

 現代の科学的な知識を多く身につけた人間にとって簡単に神や佛を信じられるものではない。納得できる合理的な理由が必要とするはずである。
斯く言う私も悪男悪女の一人である。そんな人間でも納得させる佛法というものが説かれなければ信仰に至ることは有り得ない。

その点、内山老師の姿勢は常に真実の探究であり死後の世界なんて妄想の類は語られたことはなく、また、できるだけ佛教語を使わず平言葉で語ろうとされている。そこに私は惹かれたのである。

 このブログを来ていただいている方々はどうであろうか。悪男悪女であってほしいと思うし、その人達に見ていただくという姿勢でやっていきたいと思う。

澤木興道老師の言葉に次のようなのがある。

「澤木さんの話を聞いていると、信がさめる」と言う。もっと信を冷ましてやろうと思っているのだ。どうせそんなのは迷信でしかないのだから。「澤木さんの話を聞いても信はおこらぬ」と言う。迷信がおこらんだけの話じゃ。」 

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なにわ《オーケストラル》ウインズ2012

2012年05月03日 | 道楽

 今日は楽しみにしていた なにわ《オーケストラル》ウインズ2012に行って来た。今年は東京会場で実施できなかったので今日、明日とも大阪会場ザ・シンフォニーホールでの演奏会で、曲目は両日違うものが用意されたが、何せいつも3時間の長丁場の演奏会のこととて、サービスで翌日分を3曲も演奏された。

 初日で大方は聞いてしまったので今日だけにしたのは正解だった。まあ、明日は明日でまた違ったサービスがあるに違いないと思うが・・・。

 私がファンのクラリネット奏者西川香代さんは交替なしの出突っ張り、ご苦労様。

 曲目はマニアックなものが多くて知った曲はほとんどなかったが、音を充分楽しめた。
 何せ音響効果抜群でかのカラヤンも絶賛したホールなのだから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB


下の写真は船の帆のような反射板のぶら下がった天上をとったところ、非常に高い。

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