政教が分離されなければどうなるか。
政治と宗教が交われば、政治は公正を失い、宗教は神聖さを失い、劣化する。
劣化したものの掛け合わせは劣化度が倍加する。
ロシア大統領プーチンとロシア正教会キリルの結合が、ウクライナの悲劇をもたらしている。
政教が分離されなければどうなるか。
政治と宗教が交われば、政治は公正を失い、宗教は神聖さを失い、劣化する。
劣化したものの掛け合わせは劣化度が倍加する。
ロシア大統領プーチンとロシア正教会キリルの結合が、ウクライナの悲劇をもたらしている。
私は終戦の日、3歳になったところだった。
当日の記憶はないが、それでも、戦争を実際に体験している。
空襲警報の近くにある変電所のサイレンが鳴って、消防団が「空襲警報発令」と回ってくる。
慌てて防空壕に逃げ込む、外を見ていたら大阪方面が真っ赤になっていた。空襲は8回にわたり行われた。
8回目は8月14日、終戦の前日である。親父は当時軍人で大阪城内にあった第4師団司令部に勤務しており、空襲で防空壕に逃げたが、そこに爆弾が命中、生き埋めになったが、這い出すことができた。隣に坐っていた同僚は亡くなっていたそうである。
この空襲は別名京橋駅空襲と呼ばれる。1トン爆弾700発、多くの死傷者が出た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
親父は大阪城から門真まで8Kmほど歩いて帰ってきた。夜遅くなって家族はひょっとしてと心配していたが、足音が聞こえて安堵したそうである。
そして、明くる日に終戦、他国支配による日本の苦難が始まる。
苦難と受けるのではなく、甘んじて馴れ合っていく、自虐史観を良しとする、情けない日本人ばかりになってしまった。
安倍元首相の言葉に次のようなのがある。
「戦後レジームがもたらしたもので、絶対に落とせないのが、個人と国家を対立するもの、国家を抑圧装置と捉える考え方ではないでしょうか。地域のコミュニティーは大切にするけれど、そこから国家をバイパスしていきなり地球市民になるという特異な考え方は日本独自のものでしょう。」
国家に対しては、たかるばかりだ。
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。」(ジョン.F.ケネディ)
国に殉じた人を思わぬ人は今の国民も思わない人と断ずる。
しばらく、ご無沙汰しておりましたが、昨日も91名の方の閲覧があり、ありがとうございました。サボリはよくありませんね。反省してショートなものでも書いていきたいと思います。
さて、今日はNHK朝ドラの中で気になる言葉があったので、それについてちょこっと書いてみたい。
朝ドラは、妻が毎日視聴ているので見るとはなしに見せられてしまうのである。今回記事にするに当たってタイトルの「ちむどんどん」って何?沖縄言葉であることは理解していたが、意味を知らずに90回の今日まで知らずに来た。
妻に聞いても、「さあ?」、惰性で視ていることがバレバレ。(笑)
ネットで調べると、「ちむ」が心で「どんどん」は胸がドキドキすることらしい。
さて、今日は主人公の暢子の結婚式で、その中で勤め先のレストランの名前「フォンターナ」の謂れがオーナーから披露される。
フォンターナはイタリア語で、フリードリッヒ・ニーチェの言葉「汝の立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり」から取ったのだという。
そこですぐ連想したのが、和田重正先生の言葉である。
「掌を合わせても合わせなくても、目をつぶってもあけていても坐っていても、立ったままでも、 一番思いが身にしみる形で、 誰もいないところでそっと祈ってごらん。 声を出さないで、ことばにしないで、 お母さんに話しても、お父さんに訴えても、どうにもならない苦しいときや悲しいとき、 楽しい希望や美しい夢に輝いたとき、 深い地下から豊かないのちの水を吸い上げて萌えあがる、あしかび(葦の芽)のように、 あなたはどんな妨害をも凌いで伸びつづけるだろう。」(葦かびの萌えいずるごとくp215~216)
そのいのちの水は、智と愛と勇気の溶けあった真清水である、その真清水を汲み上げようと「まみず」と同人誌を作られ、内山興正老師もその同人であったのである。
智と愛と勇ついては、三種の神器の鏡が智、玉が愛、剣が勇を象徴しているのである。この3つが円満に働かないと駄目である。
智、愛なき勇気は蛮勇となる。それを大和魂と言っては片腹痛い。
戦前の軍部、プーチン、安倍晋三元首相暗殺犯、・・・。
さて、勇気を無くした日本はどうなることか。行く末が心配。