十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」19

2018年05月31日 | 佛教

第6章 「梵我一如」説は佛教ではない

「梵我一如」祝は佛教ではない

人間の最も奥底に潜む「アートマン」 (自我)こそは「ブラフマン」 (宇宙の最高原理・唯一真実の実在)と同一であるという「梵我一如」という認識は、ヒンドゥイズム (ウパニシャッド哲学)の最高の真理であるが、断じて佛説ではない ー ということを、もう少し続けてはっきり押さえておきたい。

ひろさちや氏の著作にある以下の考え方に秋月氏はこれでは佛教の無我説ではなく有我説であると批判している。

どうしても同意できないのは、同君がその著『空海入門』(祥伝社ノン・ブック)で書いた次の一文である -インド哲学に、「梵我一如」という思想がある。「梵」とは、サンスクリット語で〝ブラフマン″といって、宇宙原理である。万有の真理である。大宇宙である。それに対して「我」は〝アートマン″といい、こちらは人格的原理である。自我そのものーーといえるかもしれない。あるいは小宇宙といってもよい。そして、この梵と我が究極において一致するというのが、「梵我一如」の思想である。「梵我一如」ーー「アートマン・ブラフマン同一説」である。これがバラモン哲学の「根本思想」なのだ。

空海は、二人のインド人からインド哲学(婆羅門哲学)を教わっていた。「梵我一如」の教説を聴いたとき、空海は、大声で、「それよ! それよ!」と叫んだに違いない。「梵我一如」 こそ、密教を解く鍵であったのだ! お分かりであろう。「梵」は宇宙原理であり、だから「宇宙佛」、「佛」である。そして、「我」は凡夫だ。佛と凡夫が一如である ー というのが、密教の根本教義である。

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秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」18

2018年05月27日 | 佛教

「梵我一如」観は佛教なのか

 佛教を徳川期までの日本佛教の伝統からだけ見ないで、広いインドの宗教文化の伝統の中から捉えようという近代佛教学は、確かにそれなりの学的効果があった。しかし、そうした学者たちは、往々にして佛教の「悟り」をヒンドゥ教の「梵我一如」に結びつけて解釈しようとしたがる。私は断じてこの説に組しない。「梵我一如」の教説は佛教とはまったく本質的に異った宗教(ヒンドゥイズム)のものである。はっきり言って、それは一種の「大我」説であって、「無我」説を根本とする佛教とは相容れない考え方である。私は、このことをこれまでも声を大にして提唱してきた。私はここでも、声を大にしてこのことを改めて強調せざるを得ない。

 話を古代インドに戻そう。
人間は死後どうなるか - 以下、渡辺照宏著『佛教』(岩波新書)からの学びである- この間題は古今東西すべての人類に共通する重大関心事であるが、大部分の人は死と同時に虚無に帰するとは思わない。アーリア人もこの間題を追求し、ウパニシャッドに到ってほぼ次のようにまとめられた。

一、輪廻。人間は死後にあの世に赴いたのち再びこの世に生まれ変わる。この過程は無限に繰り返される。しかも人生には必ず苦痛が伴うから、輪廻の無限の系列は望ましいものではない。

二、カルマ。すべての人間には生まれながらにして幸不幸の区別がある。それには理由があるに違いない。それは前世におけるその人の行為(カルマ)〔業〕の結果である。人間はその生涯のあいだにした行為の結果として死後の運命が定められる。このカルマが輪廻の原因である。という説はのちのインド思想界を支配することになるが、ウパニシャッドの哲人ヤージュニャヴァルキヤは、この説を公開の席上で披露することをはばかった、と言われる。

三、祖霊の道。大部分の人は死後、煙とともに空中高く舞い上がり、闇の道を通って祖霊の世界に達する。そこから月の世界に行き、大気や風や雨とともに地上に下だり、植物の中に摂取され、食物となり、精子となって再生する。

四、神々の道。選ばれた人だけは死後に焔とともに光明の道を通って神々の世界に達し、そこから太陽と電光とを通過して、ついに絶対者ブラフマンと合体する。この道は生前に隠者として修行を積み、最高の真理を発見した者だけに許される。その人は解脱した人である。

五、ブラフマンとアートマン。ブラフマン 〔梵〕はもともと〝祈祷の言葉ならびにその魔力″をさす語であったが、ついに 〝宇宙の最高原理・唯一真実の実在″をさすことになった。またアートマンはもともと〝呼吸″の意味であったが、人間の内面の実在をさすことになり〝自我″を表わす代表的な語となった。そして人間の最も奥底に潜むアートマンこそは宇宙の最高原理としてのブラフマンと同一である〔梵我一如〕という認識がウパニシャッド哲学の最高の真理であると看做されることとなった。

これがヒンドゥイズムの結論である。

 ーーーー
(一法のコメント)

ここでは、渡辺照宏氏の本からヒンドゥイズムについての説明がなされている。一~五までの特徴があるが、釈尊の無我説とは異なっているよく知らなければならない。

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家の前で自動車事故発生

2018年05月25日 | 生活

午後4時15分頃、前の道路の方からドーンと大きな音が聞こえてきた。

一瞬、何の音と思ったが、すぐ交通事故が起こったなと感じて、4Fにある自宅のベランダに出てみた。道路を見ると案の定白い乗用車が電柱にぶつかっているのが目に入った。

全部が電柱に食い込むように潰れて冷却水が流れ出ていた。
自損事故で反対車線を越えて電柱にぶつかっているのでどのような事情でこのような事故になるのか原因が分からない。

間もなく、向かいの介護施設の職員が出てきて自動車の中を覗き込み、車椅子を持ってきて2人がかりで運転していた中年?女性を助け出した。

その間に別の職員が救急や警察に連絡した。最初にパトカーが1台、次に赤い消防車、続いて救急車が到着、ストレッチャーに乗せて救急搬送していった。

続いて、パトカーが3台もやってきて、警察官や消防職員やらで10人近い公務員が集まってきていてたかが自損事故で大げさ過ぎる、今日は暇なんだなと思った。

エアバッグもちゃんと開いていたし、遠目には大したことはないように思えたが、女性は自分で手足を動かす様子は見えなかった。命には別状はないだろう。


携帯はずっとガラケーを使ってきたが、電池のもちが悪くなったので、スマホに買い換えて初めて撮ったのが上の写真。後で見ると指が写って失敗だった。お見苦しいがご容赦あれ。

電柱は曲がっているような、曲がってないような微妙な感じ・

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秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」17

2018年05月23日 | 佛教

第5章 佛教は「無神論」である

三界に家なし

 釈尊の佛教は「無神論」だった、と先に言った。だがそれは近代人が考えるように、自我とそれをとりまく世界はある、しかし神はない、という意味での無神論ではない。
 
 釈尊も、インド伝来の神々を認めていた。古代インド人は輪廻転生を信じて疑わなかった。人間が人間に生まれ変わる、人間が動物(畜生)に生まれ変わる、人間が地獄に生まれて苦界に堕ちる、人間が神々に生まれて天上の楽土に住む。最後が生天(昇天)である。中国で「天」と訳した梵語「デーヴァ」は〝神々〃の意である(あるばあいは、その神々の住む〝場所″をも意味する)。人間と畜生は苦界だが、楽しみもないわけではない。地獄はまったくの苦界である。天上は反対にまったく苦しみのない楽しみだけの世界である。それで民衆はみな生天を望んだ。

 釈尊だって民衆相手の説法では、〝施論・戒論・生天論″の「三論」を説いたという。「施論」は困窮者や出家に施しをすること、「戒論」は五戒(殺生・倫盗・邪淫・妄語・飲酒)を持つこと、生天論」は前二者の功徳によって、死後に天上に生まれて、神々となって楽しい生が得られる - という説法である。

 前述のように、悟った釈尊の立場は「後有を受けず」で後生を否定する。転生輪廻を超えているはずだから、これはあくまで愚かな民衆相手の方便説である。しかし、いきなり大学ではなく、小学校・中学校・高校をへて学ぶように、釈尊もその四諦の法門を説く前に、ある人々にはさまざまな方便説を宣べられた、それを「次第説法」という。人を見て法を説く「対機説法」でなければ、生きた説法にはならないからだ。


 三界とは〝欲界・色界・無色界″である。「欲界」(カーマ・ダートゥ)とは、〝欲望に支配される世界″であり、「色界」(ルーパ・ダートウ)は、色(ルーパ)とは〝物質″のことだから、欲望の執われは脱したが、まだ〝肉体に執われている世界″であり、「無色界」(アールーピア・ダートゥ)は、欲望も肉体的条件も超越したが、まだ〝精神的条件だけはある世界″である。逆に言うと、欲望も肉体の執われも脱した精神だけの、その意味では〝純粋精神の世界″と言ってよい。

「天上」というのは、総じて「禅定」の世界だと考えればよい。一種の「無我」の世界である。だが、悟った釈尊が佛教のキー・ワードとした「無我」とは区別すべきである - ほんとうの「無我」は、単なる禅定ではなく、禅定即智慧の定慧一等の無我である -

 釈尊は輪廻の苦を解脱することを求めて、その境地を「涅槃」として目ざすうちに、期らずも「菩提」(覚)を証したのである。この〝悟り″によって、真に生死輪廻を解脱することができた。「私はもう後有を受けない」という宣言がそこから発せられた。

 「佛教」はここに興った。だから単に 「禅定」でなく、「定慧一等」 の「般若」をもって法門とするのである。「般若」は〝智慧″であり、〝覚″である。

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秋月龍珉師の誤解だらけの佛教16

2018年05月21日 | 佛教

正しい佛教は「霊魂」を語らない

 せっかくバラモン教の「神々の支配」を脱して、より進んだウパニシャッドの「自業自得」の教説を打ち出したのに、佛教徒までが「業」(カルマ)を「輪廻」と結びつけたりしてしまったので、その業の担い手、すなわち「輪廻する主体」は何かという問題が出てきた。しかも、佛教は、〝肉体が滅んでも死滅しない実体″である「個我」(霊魂)を否定する。これは厳たる釈尊の「無我」説である。この二つのあいだのアポリア(難問)の解決策として、「唯識」の「アーラヤ識」の観念が生み出された。これはこれで貴重な大乗教徒の思索の成果ではあったが、私のように「三時業」による「輪廻」説に執われさえしなければ、先の二つのあいだの矛盾を「(無我)説のもつ理論的弱点」だなどと言う必要もないことである。

 釈尊は「霊魂」について何も語らなかった。その意味で、佛教ははっきり「無霊魂」論だと言ってもよい。先に「佛教は(無神論)である」と言ったときも、注意したように、ここに言う「無霊魂」論というのは、あくまで私のいう言い方でという限定つきでの話である……。

 ほんとうは、佛陀は「(霊魂)はない」と言ったのではない。実は(有る)とも(無い)とも言ったのではない。「私にはそんなものは問題でない」と言われただけである。
こんな話がある。マールンクヤという青年がいて、佛陀に問うた、「この宇宙は有限か無限か。肉体と霊魂は一か二か。人間は死後も存在するかしないか」等々。佛陀は答えられた、「ここに毒矢に射られた人がいる。その人が〈この矢を射たのは誰か)とか、〈この毒の成分は?〉とか、〈何の理由で毒矢を射たのか)……それが分からぬうちは矢を抜いてはならないと言ったとすると、どうなるか。ー-彼は間もなく死ぬだろう」と。

 これが有名な「毒矢の喩え」である。「霊魂」とか「死後の世界」か、いや、有限か無限かなどという、無用の形而上学的問題には関わっているひまなどない(これは答えられない、というより答えないのである。これを「無記」という)。大事なのはまず毒矢を抜くことだ。まず即今の人生苦の解決という実存の問題の処理であるーーそれが佛陀の教えたところの大事であった。

 それなのに、今日日本で言われるところの「佛教」は、まるでもう「霊魂、霊魂、霊魂」である。そうでなければ、「死後の世界」の話。そして「葬式・法事」である。
そして、誰やらの霊魂が自分に語った-ーというような、怪しげな「霊言」集とやらが、ベストセラーになっていて、たくさんの人々が、それに関心を示しているという。
私は、そうした「霊魂」説と真の「佛教」説との違いを、改めてはっきりと厳格に直しておかなければならないと思う。それが今日の佛教の急務である。


ーーーーー
(一法のコメント)

最近、下のような記事を見つけた。死後の世界を信じる人が多数派であること、それが当然宗教に基づくものでそれは霊魂の存在を肯定的に見ているということである。

一体、何を根拠にしているのだろうか。宗教的言い伝えを盲目的に信じ込んでいると言わざるをないない。

中国がどの程度のものなのか、興味があるが入っていないのが残念である。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3996.html から参照。

詳細は当該サイトを参照されたい。

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秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」15

2018年05月20日 | 佛教

輪廻説の実存理解

「輪廻」は古代インドの神話だと言った。現代の佛教徒がそれに固執する要はない。はっきり言って、私は佛教の大事は初期佛教の「無我」説(必ずしもいわゆる「縁起」説にかぎらない)と大乗佛教の般若「空」観だと思う。だから、初期佛教の「アビ・ダルマ」である小乗佛教の諸説にも執われないし、いやそれだけでなく、大乗空観(中観)の「アビ・ダルマ」だと称される唯識説でさえ、佛教哲学の一説としか認めていない。

だから、私にとっては、「釈尊-龍樹ー達摩-慧能」が大事な佛祖であって、無着・世親(まして玄奘など)にも、必ずしも執われる要はないと考えている。大乗唯識は貴重な伝統説ではあるが、必ずしもあれだけが佛教の哲学説の唯一の学説ではない。


ーーーー
(一法のコメント)

因みに大蔵経のデータベースで「輪廻」「輪廻転生」「転生」という言葉について、検索してみた。

ヒット数は「輪廻」が27件、「輪廻転生」が1件、「六道輪廻」が1件、「転生」が2217件である。

経典の中には輪廻転生や六道輪廻なんて言葉は何かの拍子に紛れ込んだに過ぎないのである。

では転生が生まれ変わりを意味するのかと必ずしもそうではないようである。

ただ、「輪転生死」という言葉が239件あるが、これが輪廻転生を意味するのか?マークである。

とにかく、1件しか出てこない輪廻転生をなぜ佛教説とするのか、おかしな話であることは知っておいてほしい。

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

諸兄も何かあればこのデータベースで調べて見られるとよい。近頃は「瞑想」という言葉がよく巷で用いられるが、一度検索されると良い、1件もヒットしないのである。「冥想」なら6件出てくる。たった6件である。

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秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」14

2018年05月19日 | 佛教

第4章 「輪廻」説をどう超えるか
「輪廻」など信じない佛教がある

 佛教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。それは事実である。だからと言って、輪廻説は佛教説であるとは言えない。輪廻を信じない私のような佛教徒もいる。古代のインド人は輪廻を事実として信じて疑わなかった。そんな人々を相手に法を説かれた釈尊が、輪廻説を前提として話されたことは自然であった。生きた説法は必ず対機説法ーー人見て法を説くーーなのだから。四道輪廻ないし六道輪廻については、すでに述べた。しかし、釈尊その人は、はっきり輪廻説を超えていた。「もう私はどこにも再生しない、私は生死(輪廻)を解脱した」と言い、「後有(アフター・
ライフ)を受けない」と宣言された。だから、覚者(佛陀)と成ってのちの釈尊が自ら輪廻など信じたはずは、断じてない。

 輪廻転生などというのは、古代インドの民衆(知識人も含めて)が信じていた神話にすぎない。そんなものを信じなくても、佛教はりっばに成り立つ。でも、神話だからと言って、むげに捨ててはならない。現代の私たちは、古代人が神話として伝えたことのなかにひそむ実存理解を取り出して、それを現代的に捉え直すことが大事である(これはキリスト教学からの学びであるが)。

 もうだいぶ以前のことである。当時著名であった曹洞宗の師家のかたが小庵を訪ねてくださったことがある。そのときこう言われた、「秋月先生、最近は困ったことに、(三世因果)を否定する佛教徒が出て来ました」。そこで、私は言った、「私も(三世)など信じません」と。そのかたは、一瞬あっけにとられて、声を飲まれた。               

  確かに、「因果の道理、歴然として私なし」である。いや、「因果の理法」は、佛教だけでなく、近代科学の基本理法でもある。しかし、佛教は「因ー果」だけでなしに、「因ー縁ー果」をいう。すなわち「原因」をさらに、〝直接原因(因)″と〝間接条件(縁)″とに分かつ。いわゆる「因縁生起ー縁起ー縁生」である。蓮の実の一粒には、芽を出し茎を延ばし花を開く因がひそむ。しかし、それが千年前の土器とともに地中深く埋もれていたのでは、そうした実は生じない。それを大賀一郎博士が地上に取り出して、育てられた緑によって、善光寺池の大賀蓮として花開いた。その実がまた都下町田市に移し植えられて、もなかの実となって、ときに私もいただいて珍菓として愛好している。それが「因ー縁ー果」の道理である。

 君たちは、有りもしない自我に執われて、その我執のゆえに欲望を起こして苦しんでいる。だが、自我というのは五蘊皆空(色・受・想・行・識)ないし六人(眼・耳・鼻・舌・身・意) の構成要素(法) の因縁仮和合の縁起によるものであって、実は無我である。

 何一つ〝常一主宰″の(常住で、唯一で、主宰者である) 「我」(アートマン)などという
ものは無い。諸行は無常であり、諸法は無我である。だから、君たちは、涅槃寂静の菩提(悟り)に自覚むべきである。 - 釈尊は、その私のいう「(無我の我)の覚なる悟り」を、まず弟子たちにこう説かれた。

 「無我」説は初期佛教の中心思想であり、「縁起」はその「無我」を説明するための法(教え)であった。そこを「因果の道理」という。そこで佛教徒は、断じて因果を撥無してはならない。しかし、それは何も「三世の因果」を信じなければならない、ということではない。「三世」など否定しても、「因果」の道理は、ちゃんと成り立つ。現世だけでよい、前世や来世の話など、まったく必要ない。

 「三時業」(前世・現世・来世にわたる業)を信じないのは「断見外道」だ、と道元さんは言うが、これは道元さんの哲学的思惟の不徹底さのせいである。すでに言ったように、釈尊ははっきり「不受後有」と宣言して、来世を否定している。釈尊にとって「三時業」など問題でなかった。輪廻を信じない佛教がある、というゆえんである。三世など持ち出さなくても、「因果」(縁起)説は成り立つ。私は常に言う、「禅佛教者はただ(即今・当処・自己)しか問題にしない」。そして「即今」とは(過去・現在・来世)がそこに於いてある「絶対現在」(永遠の今)である。

ーーーー
(一法のコメント)

 この部分は佛教を信奉している人の一番誤解しているところなので、省略せず全文掲載した。
とにかく、道元禅師さえも間違っているところなのである。

 三時業の間違いは、因果応報の捉え方である。善因善果、悪因悪果で何か因を作れば必ず果を受ける。その世で受けなくても次の世で必ず受けるのだという論理である。この論理のおかしさは前提として次の世が想定されていることである。必ず報を受けるのだからそこにその者が存在していなければならないと理屈である。死は報を受けるはずの者がいなくなっているのだから、死者は報の受けようがないのである。因があるのに果がないのはおかしいと短略的に考える、そんな考えが何千年もまかり通って来たのである。

 因果応報の道理は、こういうことである。
例えば、親が借金を残して死んだとする。残った借金は負の相続財産、子が払わなければならない。子が払えないと相続放棄すれば貸した者は貸金を回収できずその者の損失となる。報は生き残っている誰かが負わなければならないということである。

(追記)
昨日は将棋の藤井聡太六段が昇段のかかった試合で勝利し、最年少記録で七段に昇格した。
うっとおしいニュースの中で清々しい気分を味わわせてくれる貴重な存在。年内八段目指し頑張れ!!

 

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善光寺貫主のセクハラに続き薬師寺管主が不倫

2018年05月17日 | 佛教

 善光寺の貫主がセクハラで

http://news.livedoor.com/article/detail/14571504/

 に続き、今回は薬師寺管主が不倫報道。

http://news.livedoor.com/article/detail/14723272/

 凡夫だね。

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誤解だらけの佛教13

2018年05月16日 | 佛教

佛陀は無神論者である

 話を「輪廻」にもどそう。人生の苦悩を痛感したとき、古代人たちはそれを人間が神に背いた罪の罰だと考えた。そこで、彼らは東西を問わずいちように、神を祭って人生苦から逃れようと考えた。古代インド人もそうだった。そこにバラモンという祭司階級が出現する。古代人にとって、農作物が豊作か不作かはもちろん、家畜がふえるのも、戦争に勝つのも、すべて「神の支配」によると考えた、そこでひたすら神を祭る。神を祭るすべを知っていて、祭りによって神々をさえ自由に動かせるというバラモンが、王や武人以上に尊ばれた。しかし古代インドにおいて、バラモンたちが自分たちを「第二の神」と称して宗教者として道を踏みはずし、民衆の信頼を失って、社会的に凋落をきたしたとき、民衆の心はウパニシャッドの哲人たちの教えを受けて、「神々の支配」から「業」 の思想へと変わっていった。
 
 人生苦は神々のせいではない 「自業自得」であると。私は、ここで先の「輪廻」の思想とからめて、進んで「業」の思想について説かなければならない。苦しいのは神の罰などではなく、自分の業(行為)のせいである。釈尊の教えは、後世のインド哲学でも佛教は「ナースティカ」すなわち〝虚無主義者″ないし〝無神論者″と呼ばれた。

 これはあくまでヒンドゥ教の立場から見ての話で、〝ヒンドゥ教的な立場から見た神の存在を認めない者”という意味である。「無神論」と言っても、いろいろな意味がある。近代西洋でいう無神論は、自我もあり自我をとりまく世界もあるが神はないというのである。
 
 初期佛教は、確かに一種の「無神論」であった。それが大乗佛教になって、一般の宗教学でいう「有神論」的な立場を取るようにもなった。しかし、釈尊その人の宗教は、あくまで無神論であった。人生苦の解決に「神」を持ち出さなかった宗教であったという意味でである。

ーーーーー
(一法コメント)
この部分については歴史的事実を述べているので、省略すると意味不明となるので全文記載。 

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誤解だらけの佛教12

2018年05月13日 | 佛教

「中有」と「廻向」 のこと

古代のインド人は墓を建てなかった。その必要がなかったからである。死んで中有(死んでまだ生まれ変わる先が決まらない、中間の存在)という期間が過ぎると、ただちに何かに生まれ変わるから、墓など要らないわけである。死骸は焼いて骨と灰とは河に流してしまって、それでおしまいである。きれいさっぱり、まことに清々しい。だからよほど特別の人以外は墓は造らない。私もこの散骨という海葬をまねたい。

昔のような土葬ならともかく、火葬の今日、骨など故郷の赤江灘の海中に沈めればよいと思う。

閑話休題。インド人は死んで四十九日したら必ず何かに生まれ変わると、輪廻転生をもろに信じていた。四十九日というのは、七七、四十九日で、この期間(先の「中有」)はまだ死んでからどこへ往くか、閣魔の庁の判決が決まらない。それで、そのあいだに後に遺された者が、一週間ごとにお坊さまを招いて尊いお経を読んでいただく。そしてその功徳を自分で使わずに、死んだ人の方に廻らし向ける、すなわち廻向である。

その廻向で死者が少しでも善い所に往生(往いて生まれる)できるように、というのが遺族の切なる願いである。それが「廻向」であり、四十九日の法要の意味である。それを何ということか、今日は葬式の後で四十九日の法要までいっしょに片づける。おまけに続いて神道式の精進落としまでやってのける。こんな奇怪な佛教行事など、世界中でわが日本にだけしかない、ひどい話である。

ことのついでに、もう一つ。先に「餓鬼」と言ったが、死者は自分では飲み食いができない。遺された家族が水や食物を供えてくれないと、それこそ、餓えて渇いて「餓鬼」になる。だから、子孫を絶やすことは大きな罪だ、先祖への不孝だと、古人は考えた。そう考えると、皆なさんが、毎朝仏壇のお水を取りかえ、ご佛銅をあげることの意味がはっきり見えてこよう。これは遺された者の亡くなった人への真心である。私はそこにわが国の古人の心の優しさを思う。

先の「中有」は「中陰」ともいうが、また「乾婆」ともいわれ、この生類は香りだけを食物とするというので1食香」と訳される。四十九日のあいだ線香の火を絶やさないようにというのは、死者にひもじい思いをさせないようにという、これも古人の心の優しさである。

ーーーーー
(一法のコメント)

この項はインドのファンタジーである。

インドでは49日で何処かへ生まれ変わってしまうから、それでお終いである。ところが、支那で土着宗教の儒教、道教と習合し十王経という偽経が作られ、十王による審判が再審という形で3回追加された。100カ日、一周忌、三回忌である。さらに日本で江戸時代に十三佛(十三王)という信仰が流行って3回追加になった。七回忌、十三回忌、三十三回忌である。

ところが、十三回忌、三十三回忌との間が開きすぎるから三と七の年に回忌をやるようになった。

こういう功徳を廻向する回忌を追善供養というのだが、けったいな風習である。こんなの本来の佛教でも何でもない。
浄土真宗では臨終即往生というのが宗旨であるから、追善供養はやらないが、他宗と同じように回忌をやっている。私の親戚には浄土真宗が多いが他宗と同じことをやっている。

親鸞聖人は次のような言葉を残している。

「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」
「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一遍にても申したることいまだ候わず」

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小さなビックリ体験

2018年05月12日 | 生活

 

 一昨日のこと、下の娘が神大附属病院に入院するので妻と一緒に付き添いに出かけた。

 娘が病室に落ち着いたところで帰ろうとてエレベーターに乗ったところ、モニターがついてあって、乗り始めはきれいな景色の画面だったが、途中から天井からエレベーター内を映す画面に切り替わって私の頭頂部が円形に禿げて映っていた。

 髪の毛が薄くなっているのは分かっていたが、頭を洗う時には毛があることを自覚していたので、まさか地肌が見えているように思いもしていなかった。

 これにはそんな風に思っていなかったので、ちょっとした驚きであった。

 さて、2つ目は帰りのバス車中の出来事である。

 バスは始発停留所からだったので、二人共並んで坐ることができた。しばらく行くと年配の女性が乗ってきて手すりに掴まっていた。私より若干年上のように見えた。こちらも疲れていたしそのまま坐っていた。

 そしたら、隣に坐っていた60歳くらいと思われる男性が女性に席を譲ろうと女性の方を見ながら立ち上がった。よかったと思った瞬間女子大生と思しき女性が老女の後ろから走って来て席を奪ってしまった。そして、男性に「ありがとうございました」と一言いうなりやりかけていたスマホのゲームをやりだした。いやその右手親指の動かしの速いこと、速いこと。

 今、利き手の親指の腱鞘炎が問題となってきているが、あれほど必死にゲームをやるあの子は間違いなく腱鞘炎になると思った。

 席を譲った男性も呆れてモノが言えなかったようだ。

 私なら「あんたに譲ったのではない」と言ってやるところだったが、男性が何も言わないのでこちらも注意しそびれた。

 年配女性は2つ、3つ行った停留所のところで空いた席にやっと坐れホッとした顔が印象的だった。

 私が若かりし時は坐れる時はちゃんと坐ることにしていた。そして、老人や身障者、小さい子にすぐ譲ることにしていた。席取りのつもりでおれば席を譲るのに躊躇うことはないのである。

 無財の七施のうちの床座施である。

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誤解だらけの佛教11

2018年05月09日 | 佛教

第3章 佛教は「輪廻」説をどう考えたか

「六道輪廻」ということ

「地獄」とか「畜生」とかいうのは、佛教でいう「六道輪廻」の「六道」の一つである。六道とは、〝地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上″という〝迷いの世界″(佛教では「生死」という)である。

「六道」というが、初めは恐らく「四道の輪廻」だったと考えられる。「畜生」というのは、「人間」の周りに生きている「動物」のことである。死ぬと、ある者は今度は「人間」にではなくて、「動物」に生まれ変わる。膝にじゃれつく猫も、誰かの生まれ変わりかも知れない。

  山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ (行基)

 山鳥のほろほろと鳴く声を聞いて、あの鳥が実は私が無限の過去から今日まで幾生涯を生まれ変わり死に変わりしてきたあいだに、この私の両親であったことがあったかも知れないと思うと、他人とは思えない、というのである。

 「袖ふれあうも他生の緑」というではないか。
過去無限の幾生涯の生死の中で、この人と何かの緑があって、それがきょうのこの日の出合いになったのではなかろうか。そう思って、無限のなつかしさを感じるというのである。
「生まれ変わり」ということなど、前近代思想の遺物と、現代っ子はまったく捨てて顧みないが、「輪廻」というのは、.心のかわききった近代人がもう忘れはててしまった、こんなぬれたハートからくるロマンに満ちた思想でもあった。

「人間」に生まれ変わる。畜生(動物)に生まれ変わる。そして、人間よりもっと善い所に生まれるのが「天上」である。これを生天するという。逆に悪い所に生まれる
逆に悪い所に生まれるのが「地獄」である。地獄は地下にある苦界である、天上は文字どおりに天上にある楽界である。西方十万億土の彼岸にある阿弥陀佛の浄土は、その至極の楽土の故に、特に極楽という。初めはこの四道(地獄・畜生・人間・天上)輪廻であったろう。

  それに、やがて「餓鬼」が加わって「五道輪廻」となり、最後に「修羅」が加わって、いわゆる1六道輪廻」になるのである。「餓鬼」というのは、何かを食べようとすると食物が火になる、何かを飲もうとすると飲み物が火になって、食べられず、飲めないから、永遠に餓えて渇いていなければならない。これが餓鬼道に堕ちた者の姿である。佛教では、学者が「真」を求め、道徳家が「善」を求め、芸術家が「美」を求め、宗教家が「聖」を求めるのも、すべて外にイデーを認めて求める限り「餓鬼」だと見る。

 因みに言うと、「畜生」は前述のように〝恥知らず”の意であるが、これは動物が人前ももはばからずセックスをするのを見て、恥知らずな行ないをするのを畜生道に堕ちると考えたのである。動物たちには甚だ迷惑な話だが、人間どもの勝手な考え方である。

「天上」というのは、”神々”の意である。
ィンドは日本と同じで、八百万とまでいかなくても、さまざまな多くの神々のいます国である。その”神々″のことをインド語では「デーヴァ」といい、中国人はそれを「天」と訳した。だから佛教で「天」というのは”神々″のこと、ないし神々のいます場所のことである。インド民衆は、生天して神々になって楽しい世界に生まれることをひたすら望んだのである。

 こうして古代インド人は、初めは「四道」の輪廻を、次に長いあいだ「五道」の生死という生まれ変わり死に変わりを信じてきたが、最後に「修羅」が加わって「六道」になった。この「修羅」というのは、なかなか面白い。これは、もと「阿修羅」といって「神」であった。この阿修羅(悪神)が天(善神)と戦う。帝釈天との戦争については、経典でも話題となる。それで佛教では修羅道というと、〝争いの世界″だとしてある。聖徳太子の『十七条憲法』にも、1和を以って貴しとし、忤ふるなきを宗とす」とあるように、佛教では何より「和」を貴ぶから、「争いの心」を極度に嫌う。そこで「修羅」は「非天」(神でない)とされて、「人間」以下に落とされている。

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古代インドの六道輪廻という思想がどのようなものかの解説だが、どうも生まれ変わり思想を肯定的に見られているようである。私は現に生きている者の心境として取られているので、生まれ変わりは容認できない。

先に霊魂の存在は認めない、三時業も認めないと言われているが、そしたらいわゆる死んで生まれかわるような話はあり得ない。と私は思う。

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こどもの日に一句

2018年05月05日 | 俳句

「悠々たり 空海泳ぐ 鯉のぼり」

弘法大師空海の著作に「悠々たり悠々たり太だ悠々たり」で始まる秘蔵宝鑰(秘蔵宝鑰)というのがある。

鯉のぼりが悠然と泳ぐ様を詠んでみた。

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誤解だらけの佛教10

2018年05月04日 | 佛教

では、葬式・法事をどう考えればよいか


 では、今日日本の佛教徒として、葬式と法事とを、どう考え、どのように処したらよいか。私見を率直に述べる。
 
 まずお葬式~葬式は人生最後の式典である。ちゃんと勤めるがよいと思う。「葬式坊主」だなどと言われて、みずから卑下することはない。自信をもって僧侶は葬式の司会を勤むべきだ。そのとき死者供養だけでなく遺された家族に向けて、必ず一席の法話をすべきである。家族の死を前に、人生の大事を思う心が備えられている。このとき佛法を説かないで、いつ法を説くというのか。

 

 ただし、私一人は一生死者儀礼に関わらぬ僧で生きたいと思う。本師山田無文老師の本葬を期にみずからそう誓って、一切の葬式に不参している。ではお前の葬式はどぅする。家族には私の葬式はするな、と言ってある。と言っても、弟子たちはゆかりの寺に集まるであろう。そのときは『心経』一巻と一炷の坐禅ですましてほしいと願う。

 次はお墓~死骸は火葬にする。そして檀那寺の墓地に葬むる。これもきちんとするがよい。しかし、今日は都会地では、そのお墓がなかなか買えない。ある寺院ではすべての人のお骨を一箇所の万霊塔に埋骨する方式を打ち出している。卓見だとは思うが、やはり自分の家の墓を建てたいというのが人情であろう。

 お前の骨はどうするか。
すでに、久松抱石(真一)先生の遺言による先例がある。

 我死すも引導追薦葬無用むくろを茶毘て骨な拾ひそ

 これができればそうしてほしい。しかし火葬場で許さないなら、故郷の赤江灘の海中に散骨してもらえたらありがたいと思う。

 家の墓-ーと言ったが、前にも家の宗旨と言った。今日日本ではまだ「家の宗旨」ということが言われてこの考え方が生きている。しかし、これは考えるとおかしなことだ。宗教は本来個人のものであるはずだからである。

ーーーーー

私も死後の存在を認めていない。焼いた後の骨なんて全然美的ではないしカルシウムを主成分とするカスでしかない。拾骨するに及ばないと考える。なまじ拾ってくれば墓に入れるとか処分しなければならない。散骨というのも徐々に増えてきているようだが、撒いてしまうなら拾うまでもない。

親鸞も「某(親鸞)閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし(改邪鈔)」と言っていたのに墓もある。

 散骨を望んだ有名人としてネットに記事にあった。本人はその気でも実際は墓に埋葬されているのがほとんどと思われる。親戚に当たる折口信夫も墓がちゃんとある、遺族がその気でないと難しいことである。

中江兆民 エンゲルス 夏目漱石 ガンジー 折口信夫 寺山修司 ネール 中野好夫
本田宗一郎 マリア・カラス 松本清張 竹中労 いずみたく 横山やすし 沢村貞子
周恩来 勝新太郎 中島らも 天本英世  ケインズ ゴールズワージー 永井荷風
アインシュタイン 石原裕次郎 ジャン・ギャバン イングリッド・バーグマン
藤原義江 マーヴィン・ゲイ エドウィン・ライシャワー J・F・ケネディ・ジュニア
フレディ・マーキュリー リンダ・マッカートニー ジョージ・ハリスン 劉少奇
ダーク・ボガード 胡耀邦 ジャック・マイヨール

 

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誤解だらけの佛教9

2018年05月02日 | 佛教

佛教は無霊魂論で本来法事と関係なかった


 死者儀礼の第二は「法事」である。これはずばり言えば、先祖供養である。私の家は真宗で、分不相応なほど立派な佛壇があった。しかし、本来弥陀一佛を拝むはずの場所が、半分はいやそれ以上に近く死んだ家族や先祖の供養の場所であった。古今東西、原始人は死者の崇りを怖れた。特に非業の死をやむなくされた死霊の崇りが恐ろしかった。

 だから聖徳太子一族を自ら迫害した者たちがその祟りを怖れて法隆寺に祭りこんだという説を唱える学者が現われたり、また、菅原道真を天神として天満宮に祭りこんだという歴史上の事実もある。これも一種の現世利益である。樋口一葉に「欲深さまの鳥の市」の語がある。何でも自我の欲望達成のために、あの熊手でもって自分の方へ利益をかき寄せる。真の宗教と似而非宗教の違いは、この我執我欲のうえに立って利益を求めるか、反対にその我執を捨てるかにかかる。「佛法には無我にて候」(蓮如)である。

 平将門が事実上の王として関東の地に訝を唱えていた。それが京の朝廷から派遣された将軍に破れて死んだ。その将門さまの怨霊の崇りがこわくて、神田明神に祭りこんだ。しかし、明治になって将門は朝敵だ、朝敵を神として祭るのは不都合だというので、ご祭神からはずした。しかし戦後は先祖代々の関東の守り神だからというので、やはり将門さまは明神さまだというので、先年ふたたびご祭神にもどしたと聞く。

 死者の崇りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日本人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで佛教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。

しかし、釈尊は「悟り」の立場からはっきり宣言された、「わが心の解脱は不動である。これが最後の生存である。もはや再生はあ。得ない」と。「私は輪廻を解脱した。後有を受けない(もう何にも何処にも生まれ変わらない)」というのである。これが佛教の本来の考え方である。そもそも佛教は、正統インド思想の「アートマン」(自我・霊魂)説を、根底から否定した「アン・アートマン」(無我・無霊魂)論に立つ。

 釈尊も初めは当時の民衆とともに輪廻説を信じた。人生何が苦と言っても、永劫の生死-無限の生まれ変わり死に変わりーーほどの苦はない。釈尊もそうした生死ー永遠の転生-からの解脱を求めた。それが涅槃ー-永遠の平安ーーである。そうして涅槃を求めて修行するうちに期らずも菩提を証した。「無我の我」という本来の自己を覚ったのである。そしてその「覚」(証・悟)の立場から、「私は輪廻を解脱した。もう何にも何処にも生まれ変わらない。後有を受けずーー死後の存在はないーー」と宣言したのである。この大事こそ、佛教徒の不動の信でなければならない。

 釈尊は、人生苦の原因を、人間が神に背いて罪を犯した、その罪の罰だとは考えなかった。人生苦の原因は自業自得だと見た。その意味で、「無神論」者であった。阿弥陀佛はキリスト教の神と似ているが、親鸞にとって、それは究極において、「自然(本来の自己=法性法身)の様を知らせん料 (方便法身)」であった。神ではない。そして、釈尊は自身すでに述べたように「不受後有」とはっきり宣言して、みずから「無霊魂諭」者であることを明らかにした。この「無霊魂」(アン・アートマン)の立場こそが、佛教思想と正統インド思想とを分かつ佛教の一大事である。

 佛教は「無神・無霊魂」論だ、と私が声を大にしてあえて預言者的主張をするゆえんである。
ああ、それなのに、それなのに、何ということであろう。今日も日本人は「先祖の霊魂の崇り」などということを言う。無い霊魂がどうして崇ろうか。思ってもみよ、祖父や祖母はどんなに孫がかわいいか。子孫に崇るような先祖がいたら、こちらから緑を切るがよい、と私はいつも言う。

 一家に何か不幸があると、すぐにいかがわしい似而非宗教の輩が、「あなたの家が不幸なのは、先祖供養を怠っているせいだ」などと、おどしつける。ふだん宗教などにまったく無関心な者ほど、こんなおどしにコロリと参って、インチキ宗教にひっかかる。はては水子供養などと称して、お寺にお参りもせずに、現金書留で送金すれば、水子の霊が納まる所に納まるなどという宗教商売が結構成り立つ珍現象まで横行する。
まことに 「誤解だらけの佛教」もよいところ。真の佛法を学んでほしいと、心から願わざるを得ない。

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今一番間違った佛教が横行しているところの指摘なので、前回同様要約なしで掲載する。

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