母方の伯父は小学校の教師だったが、三十歳そこそこで結核で亡くなった。その伯父が持っていた本で「逆手教育」という本があって、若い頃愛読していた。
その本の著者は品川義介といって、戦前、北海道で問題児を預かり○○自由学校という寮制で農作業をしながら子供を矯正育成する学校を運営していた人である。
クリスチャンであったが、クリスチャンらしからぬ人で本のタイトルをみれば分かるように、変人と言っていい人物だ。
面白いことがいっぱいあったので今も憶えている。
どんな学校か、エピソードで一番印象に残っているのは「不死身の伝六」と呼ばれれる生徒のことだ。生徒仲間のボス的存在だが、ある時農作業中に別の生徒と喧嘩になった。喧嘩の強い方の伝六は余裕だが、弱い方は必死である。その子は夢中で持っていた鎌を振り回した。鎌の先は伝六の腹に突き刺さり、それを思い切り払ったものだから伝六の腹を引き裂いた。腸がズルっと飛び出してくる。伝六は「あっ、俺の腸が出てしまう」と言ってそれを手で掴んで腹の中へ入れ戻そうとする。
慌ててリアカーに乗せて病院へ駆け込んで、処置をしてもらったらしい。幸い腹膜が切れただけ腸に損傷なし。医者が腹の中を消毒し腹膜を縫合した。
明くる日に「もう、大丈夫」と退院してしまった。
それで付いた仇名が「不死身の伝六」、品川氏は己の物に対する執着心に感慨深くしたとのことだ。
何でこんな話を思い出したかと、清原が2日に覚醒剤所持で捕まったがそんなものに手を出すことの愚かさを自覚していなかったのか、それを教え、制止する人間が周りにいなかったのか、ということである。
野村克也元阪神監督は、清原の入団当時の西武の元監督森を批判している。人間教育ができていない。人間としての教育は監督の仕事だと言っているようだ。
品川氏はその本の中で人生における階梯として、近景、中景、遠景にそれぞれ人物を持っていなければならないと説いている。
近景的人物とは今現在において、自分がその相手のことをよく知っており、相手も自分を知ってくれている。何かことがあれば相談にのってもらえる人物である。
身近な人でもいいが、人生において指導をしてもらえる人を得たいという。
品川氏は徳富蘇峰と親密な関係にあったようである。
私でいえば内山興正老師ということになる。
中景的人物とは、既に亡くなってはいるが、その人の事績が分かっておりその生き方、考え方に共感する偉人のことである。
品川氏の中景的人物は、吉田松蔭ということだった。
私は道元禅師、河内の英雄、楠木正成だ。しかし、そんな生き方ができるか、できたかといわれると全然駄目だが、憧れではある。
憧れもないとなると、どうしようもない。
遠景的人物とは、釈迦、孔子、イエスといった聖賢、この遠景的人物を持たないと人間深みがない、奥行きが足りないということだ。
私は勿論釈尊である。
諸兄諸姉もご自身の近景、中景、遠景的人物を考えてみられることをお勧めする。