安泰寺住職ネルケ無方さんの本が2冊新しく出版されたので紹介します。
「迷いながら生きる」(大和書房 1400円+税)
「道元を逆輸入する」(サンガ 2400円+税)
{書籍案内}
http://antaiji.org/?page_id=96&lang=ja
安泰寺住職ネルケ無方さんの本が2冊新しく出版されたので紹介します。
「迷いながら生きる」(大和書房 1400円+税)
「道元を逆輸入する」(サンガ 2400円+税)
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http://antaiji.org/?page_id=96&lang=ja
最近内山興正老師の本が2冊発行された。
◎「坐禅の意味と実際ー生命の実物を生きる」(大法輪閣、1680円)
元々外国人向けにということで書かれた「生命の実物」という本の改訂で何回となく再刊行されている名著である。
このブロクを覗いていただいている方にはぜひとも読んでほしい本である。
http://www.daihorin-kaku.com/book/b122647.html
◎「内山興正老師 いのちの問答」(櫛谷宗則編 大法輪閣 1890円)
櫛谷宗則さんは、内山老師に若くから亡くなるまでつき従った坊さん、彼が老師から直接にあるいは教えを受けた人から聞き取った問答を纏めたものである。
帯に「出会うところ皆わが生命として生きる」ととおりその生き方をつらぬかれた老師の言葉のつづりである。
http://www.daihorin-kaku.com/book/b122649.html
今日は自己世界の中味について、考えてみる。
法華経の譬喩品の言葉に、『今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是我子』」 (今この三界は、みなこれ我がものなり。そのなかの衆生は、ことごとくこれわが子である)
三界とは欲界、色界、無色界の3つ。欲界は欲望の世界、その欲望のない物質だけの世界、無色界とは、その物質の存在を超えた世界ということで、早い話が自己世界のことである。
その世界は我がものである。その中のあらゆるものは皆我が生命の分身としてある、ということを法華経は説いているのである。それを内山興正老師は「出会うところ我が生命」と表現された。
この言葉は実に素晴らしい。嬉しいこと、楽しいこと、つらいこと、苦しいこと、皆、自己の中で起こっている、それを体験しつつ生きている、自己でないものは何もない。この言葉に従えばどんな境遇も受け入れることができると思う。
この言葉を知ってから、ずっと事あるごとにこの言葉を耳鳴りさせてやってきた。私の呪文である。
先に認識力をロウソクやプロジェクターの光に例えたが、似た話を思い出したので書いておきたい。
法華経の序品に釈尊が無量義処三昧の禅定に入ったとき、白毫が光を放ち東方一万八千世界を照らし出すというシーンが描かれている(爾時仏 放眉間白毫相光 照東方万八千世界)。白毫(びゃくごう)とは佛の額にあるポッチのことで、あれは白い毛の塊である。
佛というのは光を放つ存在であるようである。金身つまり金ピカで光り輝いているし、光背というオーラがあったりする。佛光明という智慧と慈悲の光でその世界をを照らしていてそれが浄土といわれるものである。
我々もまた周囲にプロジェクターで光を発しているが、佛のように清浄なものでないから照らし出されたその世界も汚れたものとなる。、自己世界はどんな光を発するかで決まってくるのである。