十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

おいおい台風10号何すんねん

2024年08月27日 | 一法言

 台風10号 西へズレたと思ってたら、上から降りてきて、大阪がど真ん中になってしもうた(980hPa)。ズレまくりだからこれからもきっとズレることを期待しよう。

 ズレ先のお方はお気の毒だが・・・。てなことを言っていたら直で来るかも・・・。

 嫌なやつ。

2024/8/28 23:00 進路図追加 和歌山南部まで南下

 2024/8/29 21:00

なんちゅう、台風や。大阪直撃。やめてくれー。990hPs 風はともかく雨が心配。

 

2024/8/31  6:00

 結局、元の近畿縦断コースに。わて ほんまによう言わんわ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やきもきする台風10号進路

2024年08月26日 | 一法言

 数日前、台風10号の進路を見てみると、居住地の大阪を通る予報なっていた。これはヤバいと気象庁、米軍、欧州の予報で3時間ごとのコースをチェックし出した。

 初めはコースが東にずれて三重、愛知へ行くコースにほっとした。こっちがセーフならどこかがアウト、当たったところはお気の毒だがご互い様と割り切るしかない。

 さて、コースは東は東海まで振れたが、今度は西方向に向きを変えた。近畿から四国、今は九州上陸コースになっている。そのまま北向きに抜けるかと思いきや、首を東に振るコース、北側から大阪に接近。

 夏台風はコースが定まらず、厄介だ。ただ、強さがそれほどでないのが助かる。

 現時点ではどこに上陸するか、だいたいのコースは定まってきた感はあるが、実際にコースに当たったところは十分に用心され被害の少なからんことを祈る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命観

2024年08月24日 | 一法言

人それぞれ独自の生命観をもって、生きているわけであるが、その生命観を極々簡単に区分けしてみた。

1 肉体が生命の本体。死をもって生命の滅びとする。

2 スピリチュアル。 精神、霊魂が生命の本質。死後もその永続性を認める。

3 輪廻転生する霊魂が本質、肉体はそれに付属する。死ねば新たね肉体に入れ替わる。

4 神、仏等超越的な存在によって造られたもの。生も死後も超越者に依存する。

5 無始無終、無量無辺の無限空間の中で縁起によりたまたま仮に寄せ集まった生命体で実体はない。(無我、空)

6 宇宙(有限空間)の中で縁起により形成された生命体、宇宙のひとかけらであり宇宙と一体的に躍動している。宇宙をわが身とすれば滅びはない。

さて、縁起は釈尊が発見された真理です。他の教説も縁起を基に考えられたものである。

ところがそれは無限空間の中では因縁という限定された縁起になってしまう。限定的な因を考えそれに付随する縁を考えるからである。五蘊説にしても、十二支縁起にしてもそうである。

ところが宇宙が有限だとすると、宇宙全体が繋がり縁起してということであり、そのひとかけら同士は相互依存し影響し合うことになるのである。

電磁力と重力は影響範囲が無限大ということからも理解できるであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイ寺院における修行生活

2024年08月21日 | 一法言

 佐々木閑 花園大学特別教授がタイのチェンマイの近くの上座部仏教寺院を訪ね、その修行生活を動画に撮り、その有様を紹介されています。

 ユーチューブで複数回に分けて、アップされるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=vOCMVfRQNdg&t=12s

https://www.youtube.com/watch?v=fuOPhy1AD6Q

https://www.youtube.com/watch?v=7goaqkGHMeI

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏は早田に爽やかな神風が吹きました

2024年08月15日 | 一法言

 パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手(24)が「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」と語ったこと、日本大好きな私としては感動した。反日連中は真逆の反応を示しているが・・・。

「あの頃  
 あの人たちがいて
  あのことがあって
 今の日本があり
 私たちは生きています
 ありがとう」

 

 私は当時3歳、一番小さな子と同じ年ごろ、私も守られたのある。

 居住地の門真町は松下電器の本社、工場のあるところ、艦載機から爆弾の投下も何回もあった。空襲警報のサイレンがなって防空壕に逃げ込んだことをよく覚えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成仏してから死ね(3)

2024年08月12日 | 一法言

 全国的のお盆真っ盛り、死者の霊の来たり帰ったり。「成仏してから死ね」なんて書いてしまったけれど、仏教に深く信奉する人以外はその気になかなかなれないのでは思うので、対比的に日本人の死生観について、上手く説明されている動画を見つけたので紹介させていただく。どうしますかね。

 内山興正老師曰く「死者の霊魂とは生き残っている者の間に漂う亡き人の残映である」 

https://www.youtube.com/watch?v=eCvNiRbAsBQ

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教における性悪説と性善説

2024年08月04日 | 一法言

仏教における性悪説と性善説と言うと、何事かと思われるかも知れないが、性悪説とは輪廻説のこと、性善説とは如来蔵説のことである。

輪廻説は生まれ変わり思想、前世の悪業を背負って現世に生まれて来る、無明、煩悩、執着による苦しみで汚れてしまった状態で生まれて来る。

一方、如来蔵説は大乗仏教の中に生まれて来た考えで、如来蔵とは如来の蔵、蔵は胎児のこと、つまり、仏の子として生まれて来ることである。

 「おさな子がしだいしだいに知恵づきて、仏に遠くなるぞ悲しき」

 苦しみの元は生まれてから身につけた悪癖だということである。後天的なものなら直すことできるし、来世に引き継がれる理屈もないことになる。

 さて、仏教は個々の背負った苦悩を解消しようとする、教えであり営みである。

 それは初期仏教では、無我であり、大乗仏教では空である。これが中途半端な教えでこれで悟りということはないと思う。

 無我、空も自己存在を認めないのである。

 それを説明するのに五蘊説を持ち出す。色、受、想、行、識の五蘊が寄せ集まって化和合しているに過ぎないから、実在しているわけではないというのである。

 この理屈はそもそも五蘊というのがどこから来たかを無視している。生命を縁起的に頭で考えて分けたものに過ぎない。実際に分けようとすれば死んでしまう。五蘊なんてものはあり得ないものである。

 もう少し分かりやすくいうと、例えば、ダイヤモンドがある、これは炭素の粒が集まったものである。本質は炭素の粒であり仮にダイヤモンドと呼んでいるだけであるという理屈になる。

  しかし、幾多の縁起によって出来上がったものをダイヤモンドと呼び価値を認める、そこにそのダイヤモンドとしての自性を認めるべきでしょう。私は今ちゃんと生きていてこんな文章を書いている。私は存在しないなんて考えようもない。

 「はじめにいのちありき」なんですよ。それは無限の縁起、宇宙全体の縁起により生じたもの。宇宙生命、つまり、宇宙一杯の仏の子として生まれ、他に行きようもなく宇宙の中に没する。それでいいのだ、そうでなくちゃ。

 死んでからも未練たらしく生まれ変わりたい。生き方としてどうなんですかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする