十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

近・乱・老・白・乾

2009年04月27日 | 人生

 30年ぶりに眼鏡を買い替えた。中学時代に仮性近視になってずっと近視だが、自動車運転などどうしても必要な時以外平素は眼鏡はかけないできた。ところが去年ロードバイクに乗り出したとき時、早速目にゴミが入って結膜炎を起こし医者に行き1週間ほどで治癒したが、ついでに白内障の予防薬を注す必要があると指示され1日5回注す薬を処方された。
 
 1日5回なんて注せるものではないし、自覚的なものは何もない。ネットで予防薬が効くのか検索すると効かない意見がけっこう多いし、紫外線が悪影響をするからそれを防ぐほうが有効とのこと。


 自転車で外へ出ることが多くなった紫外線を100%近くカットするサングラスを購入して外出時必ずかけるようにしている。

 ところが場所柄サングラスというわけにはいかないこともあるし、使ってきた眼鏡の度が合ってこなくなった事情もあってUVカットの眼鏡を新調した。私の目は近視・乱視・老眼・白内障・ドライアイ、略して近・乱・老・白・乾である。近くのものは裸眼で間に合うので外出用に作ったのだが、今までぼやっとしていた景色がくっきりして世界が変わってしまった。


 世の中は 眼鏡一つで 様変わり

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五戒

2009年04月26日 | 佛教

 三千院内の壁に五戒のポスターが掲示されていたので写真に撮ってきた。五戒は在俗信者の保つべき五つの戒。

 不殺生戒(ふせっしょうかい)


 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)


 不邪淫戒(ふじゃいんかい)


 不妄語戒(ふもうごかい)


 不飲酒戒(ふおんじゅかい)


 五戒は南方仏教では在俗信者に授けられるものであるが、日本では宗派により五戒を用いたり、十善戒とか十重禁戒が用いられる。また、戒を用いない宗派もある。


 戒は単なるべからず集ではない、窮屈なものでもない。聖人ならざる凡人は善からぬことを考えたり行動をしたりしがちで戒を持つことによって身を律する縁となる。


 戒には深い意味がある。般若心経に不生不滅とあるが、生じもせず滅しもしないものは殺しようがない、これが不殺生戒。また不増不減とある増えもしない減りもしないものを盗りようがない、これが不偸盗戒である。
不垢不浄とあるが汚れることもなく浄まることもないものを汚しようがない、これが不邪淫戒。etc


 このように生命の実物を戒という実践項目で表現してある。不殺生戒wを例にすれば生命の実物は殺しようがない、殺しようがないものは殺せない、殺せないから殺さない、といういうことになるのである。


 しかし、誤って人を殺したらどうなる、戒を破ったのか。破戒なんて簡単いうけれど戒は破れない。殺人犯になったとしても生命の実物からはずれることない、戒は破れない。殺人したような場合は犯戒(ぼんかい)である。
 一旦、戒を受ければ「永劫破戒の義なし」なのである。
 破れるような戒は受けないこと。

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写経体験

2009年04月25日 | 佛教

 24日、三千院にお参りした時写経する部屋があり、自由に写経し納経できるコーナーがあったので初体験してみた。

 七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)を薄く見本書きされた紙があって、それに筆ペンでなぞるだけの簡単なもの。たった16文字のお経の文句なので10分くらいで書上げて名前を記入して納めた。
 
七仏通戒偈は法句経(ほっくきょう)にある短い偈文で

  諸悪莫作(しょあくまくさ:もろもろの悪をなさず)
  衆善奉行(しゅぜんぶぎょう:すべての善を行い)
  自浄其意(じしょうごい:自らの心を浄めよ)
  是諸仏教(ぜしょぶっきょう:これが諸仏の教えである)


 七仏とは釈尊とかれ以前に現れたとされる6人の仏を併せていう。最初が毘婆尸仏(びばしぶつ)で釈迦牟尼仏は7番目になる。


 七仏通戒偈は極く簡単な教えであるが、「言うは易く行なうは難し」である。


 諸悪莫作はまあ簡単、悪の判断は大概の者はつく。
 衆善奉行はむずかしい。善い事とは今目の前にあるしなければならない事が善い事で、探してするような善い事は余計なお節介で秩序を乱し、善い事をした意識、自慢や驕りを生じさせる悪しきこと。


 善い事するのではなく、善い事する。これが衆善奉行である。


 ところでこのブログは好きでやっていることなので、善とも言えず悪とも言えないと言いたいが、いい加減なことを書き散らしているので悪行に違いない。読まれる方はご用心を!!

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日帰りバス旅行

2009年04月24日 | 道楽

 今日は女房のお伴で日帰りのバス旅行に行って来た。
 比叡山延暦寺、大原三千院、京都御所(天皇皇后両陛下御結婚50周年記念特別公開)を巡るもの。


 好天に恵まれ、八重桜、しゃくなげ、つつじの花を愛で、新緑に浸って日ごろの都会生活で埃ぽくなった命の洗濯をしてきた。


 
比叡山根本中堂 


比叡山のしゃくなげ

三千院庭

三千院しだれ桜

京都御所車寄 両陛下成婚時の馬車

紫宸殿

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埴生の宿

2009年04月23日 | 道楽

 ハーモニカを買ってのち、音符もいるので「童謡・唱歌・思い出の歌」という本を買ってきた。全274曲も入っている。半音の上げ下げがあると1本のハーモニカでは吹けないが吹ける曲も相当入っている。家族には迷惑だろうから自分一人の時ぼつぼつ練習をしている。


 好きな歌は「埴生の宿」、映画”ビルマの竪琴”や”火垂るの墓”の挿入歌になった。”ビルマの竪琴”では第2次世界大戦末期のビルマ戦線で遭遇したイギリス軍と日本軍、イギリス兵の歌う「home sweet home」の歌声に日本軍の「おお、我が宿」の歌声が重なり合唱する感動のシーンがある。


 歌詞が素晴らしい。何とか吹けるようになって喜んでいる。


  埴生の宿も わが宿
   玉のよそい うらやまじ
   のどかなりや 春の空
   花はあるじ 鳥は友
        おおわが宿よ
   たのしとも たのしもや


 2 ふみよむ窓も わが窓
   瑠璃の床も うらやまじ
   きよらなりや 秋の夜半
   月はあるじ むしは友
   おおわが窓よ
   たのしとも たのもしや 

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戒名にまつわる因縁話

2009年04月21日 | 佛教

 一法という戒名を受けた時ちょっとした驚きがあった。受戒した安泰寺は曹洞宗だが実家は浄土宗の檀家で宗旨が違うのだが、祖父の法名が一法だったのである。浄土宗では受戒式をしての戒名と五重相伝という宗の奥義を相伝する行事を受ければ法名を受けるのである。

 その後父が亡くなった時に気づいたのであるが、我が家系の戒名で、高祖父のが澤木興道老師と同じ興道で、父親のが村上光照老師と同じ光照なのである。村上光照老師は澤木興道老師のお弟子さんで内山興正老師の弟弟子に当る人。この人と知り合いになったのが縁で私が安泰寺へ行くことになったのである。


 偶然なのであろうが不思議な宗派を超えた戒名繋がりが我が家にはあるのである。

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造幣局の通り抜け

2009年04月20日 | 道楽

 転輪号で造幣局の通り抜けに行って来た。期間は15日から22までとなっているが今年は散りが早く葉桜となったものが多く「来るのが遅かった」と声する人が多かった。しかし中に今が満開という桜も残っており愛でてきた。


 帰りも同じ淀川堤防を走っていたら、ママチャリでこちらを追い抜いていくおっちゃんがいて、追いかけたが追いつかない。風で強くペダルが重かったが、元気すぎるおっちゃんに「まいったなあ」と思い始めたら何かハンドルにゴツゴツした振動を感じるのでタイヤを見るとリムから大分張り出している。
空気が抜けてパンクしていたのだ。生憎パンク修理道具を所持しておらず1時間かけて自転車を押して帰宅後修理をした。








 

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一法寺の一法の意味

2009年04月19日 | 共生

  一法寺の一法は私の戒名である。一法の寺と意味で一法寺と名づけた。昭和56年4月8日、兵庫県新温泉町久斗山にある安泰寺で先々代の住職渡部耕法老師から戒を受け老師の一字が入った一法という名をいただいた。


 一法の意味としては渡部老師から説明を受けた訳ではないが、私としては次のごとく理解している。


 「一心一切法 一切法一心」 を略したもの。一心と一切法がイコール。一心とは前回書いたように「自己生命の実物」それが一切法、ありとあらゆる事物と一つなのだということ。自己と世界が一体だということ。


 一心一切法 といえば、自己生命が宇宙全体に展開していく感じがするし、一切法一心 という時宇宙が自己自身に収斂してくる感じがあるように思う。 


 大した名前をつけてもらったと思っているが、別に名前が付こうが付かなかろうが誰でも「一心一切法 一切法一心」を生きているのだということである。


 注:法とは岩波の仏教辞典によると、仏教では種々の意味に用いられ、1)法則、正義、規範 2)仏陀の教法 3)徳、属性 4)因 5)事物の5種があると記述されているが、一切法という場合は事物のことである。  

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仏典は「行」へのガイドブック

2009年04月19日 | 佛教

 原始仏典といわれるものも釈尊の没後数百年を経て編纂されたものであり、我々に馴染みの大乗仏典は釈尊の没後5、6世紀も経って編纂され、膨大な仏典は後世の人間の創作物といってよい。どこが釈尊の直説かこれまた議論のあるところである。


 しかし、首尾一貫しているところは内山興正老師のいう「自己生命の実物」について、説かれているということ、そうでなければ仏教にならない。ところがどうでもよいような作り話がいっぱい入り込んでいるのも事実で、まともに受け取ればとんでもない方向に向いてしまう。

 「自己生命の実物」も、その表現は当初は釈尊の使われた「自己」であり、「自心」となり、そして、心、一心、唯心、空、不二、如、如々、如是、如実、如実、如来、如来蔵、真如、恁麼、不可得、法性、法身、法界、仏性、涅槃、中道、一乗、実相、妙有、畢竟空、法住、法位、不二法門、般若、不
生不滅、一乗、空性、円成実、自性清浄心(順不同)などと表現されるようになった。

 このようにいろいろの表現がありニュアンスも違うけれども、たった一つの「自己生命の実物」のこと。しかし、言葉でどう表現しても表現のしようのないが「自己生命の実物」であるから、実物はただ実物する、つまり「行」しかないというところに行き着かざるを得ないのである。


 澤木興道老師は「一切経は坐禅の脚注である」と言われている。

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偉業

2009年04月17日 | 人生

 イチローが張本勲の持つ日本記録3085本に昨日タイ記録、そして今日ヒットを打って3086本の新記録を達成したということでどのメディアもトップニュースの扱いである。


 しかし、これが大したことなんだろうか。たかがボール遊びですりこぎみたいな棒にボールを当てるが上手いというだけのものでないか。所詮は遊びごと、澤木老師の言葉を借りれば「猫の子じゃあるまいし・・・」で低所得者の100倍もの報酬を得ている。遊びごとだからそれだけの報酬もあるのだろう。


 他人にはできないことをやった、偉業だと思う人も多いだろうがあんなの大したことではないのである。


 誰が作ったか知らないがこんな狂歌がある。
  来てみればさほどでもなし 富士の山 釈迦も孔子もかくやあるらん


 釈迦だって孔子だって我々とそんなに変わっているわけではない。目も鼻も耳も身体も何から何までそうである。ちっとは頭がよかったかもしれないが・・・99%までは我々と一緒で違いは1%くらいのものである。グラフによくある1%だけ拡大したものを大した違いだと思い込んでいるにすぎないのである。0から100まで全てを表せばどの人間も大した差はないのである。


 それでも御釈迦さんは人類に生きる指針を示されたから偉業ともいえるが、イチローはたかがボール遊びじゃないか。


 それより何より実感し確認しうる偉業は、あなたも私も生まれてから今日まで何十年と生きてきたということである。これほどの偉業はどこにもない。

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ハーモニカ

2009年04月16日 | 道楽

 趣味的なものはいろいろやってきたが、あまり深くやったためしがない。        
 音楽は好きだがほとんど聴くことだけで、中学生の時合唱クラブに誘われて一度コンクールに出たことがあることくらいで何もやったことがない。
 学生時代にはオーディオに関心があり、いい装置を持てなかったので名曲喫茶とか専門メーカーのショールームなんかへよく行ったものである。気に入っていたのがサンスイ電気のショールームで、あこがれるくらい綺麗なお姉さんが、ジムランの超高級スピーカーを切り替えて聴かせてくれた。

 さて、クラリネット奏者西川香代さんの演奏会に行くようになったり、仕事が一緒だった先輩が70歳近くになってチェロを習いだした話を聞いて、楽器演奏に興味をいだくようになった。

 しかし、不器用な私がこの年になってチェロもクラリネットもむずかしそうであきらめていたが、たまたま楽器店を覗く機会があってハーモニカを見つけた。ハーモニカなら小学4,5年の頃カルビーキャラメルの懸賞に当って吹いていたことがある。それもいつの間にか失ってそれっきりになっていたが、ハーモニカならできそうだしサイクリングに持って出て淀川の土手で吹くのもいいなあと思い、昨日ネットで注文した。
 
 夕方外出から帰ったらもう届いていた。早速、昔を思い出して吹いてみた。最初は「むすんでひらいて」、2曲目は「ふるさと」、55年ぶりだが何とか吹けた。


 ちなみに購入したハーモニカは トンボ 複音ハーモニカ 21穴 調子長調Cである。送料込み3970円で手に入れた。

 まあ、人に聴かすほど上手くなるとはとても思えないが、独り呆け防止に楽しめたらいいと思っている。 

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共生山一法寺の共生の意味

2009年04月14日 | 共生

 本ブログは”共生山一法寺”という看板を掲げているが、どういうつもりなのかその言葉の意味するところを書いてみたい。


 今日地球環境の悪化、核兵器の拡散、テロの連鎖、資源の枯渇、人口増、貧富の格差の拡大、種の絶滅等地球規模の危機が人類に迫ってその恐れから「共生」ということが盛んにいわれるようになった。「共生」が今日的生き方のキーワードとなっているのである。

 確かに危機を回避するために共生を意識し生活の中で実行するというのは好ましいことである。しかしここではすでに気づかれていると思うが、あらゆる命はすでに共生関係にあるということをまず言いたいのである。


 ”彼あるがゆえに我あり、我あるがゆえに彼あり、彼なくして我なく、我なくして彼なし”なのである。彼とは単に知り合いの人間という意味に留まらず宇宙内の一切のものである。


 一切のものとのっぴきならない関係性を有する、つまり、繋がっていて切れない絆があるのである。誰でも親近感を持つものには繋がりを感じるが、そうでないものには繋がりを感じなし、嫌悪するものには繋がりを切ろうとする。切ろうとするのは切れるだけの関係しかみていない、”金の切れ目が縁の切れ目”なんていうのも金だけの繋がりしかみていないからである。


 生命としての縁はないといえばないような、切れば切れるようないい加減なものでなく、切りようのない縁で繋がっているのである。
 日本人に今一番嫌われている人物といえば多分北朝鮮の金正日だろうが、彼の存在がなければ誰も存在し得ない。誰しも彼によって生かされているのである。逆に私があなたがまた彼を生かしているのである。


 もっというと例えばエイズやC型肝炎などのウイルスに侵されているとしてみるとウイルスは命を奪う憎き存在なのであろうが、実はそれだけではないのであってその存在があればこそ今生きているのである。殺そうとするものに生かされている道理があるのである。
 身に巣くっているウイルスも存在すべく存在しているのであって、否定できない。否定すればその存在に関わったものが全て否定されることになるからである。


 嫌いなものを好きになれということではないし、害になるものは駆除してしかるべきであるが、そのベースに共生関係が存在していることを知っておくことが大事と考えるのである。


 あらゆるものとすでに共生関係にある、だから共生していく、それを深めていく、その趣旨で共生山と呼称している。

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日本人、地球人、宇宙人

2009年04月10日 | 共生

 「日の丸が好きだ、桜が好きだ」、というものだから、「こいつ、ひょっとしたら、右翼、国粋主義者、民族主義者と思われる方がおられたかも知れない。しかし、そんなのでありません。


 日本に生まれ、日本で育ち生きてきたのだから、日本人としての自覚を持ちそのシンボルを好感するのは当然である。この国はかつて不幸なことに他国に対する敵愾心を愛国心とし無謀な戦争を遂行し自滅した歴史を持つが私は敵愾心を愛国心とするものではない。純粋に愛する。愛するから美しい、好ましいのである。


 また、地球人でもある。だから地球を愛する。
 はたまた、宇宙人でもある。そもそも御釈迦さんが宇宙人なのである。御釈迦さんの真似をし坐禅して宇宙と一体になる。


 「坐禅は宇宙いっぱいとスイッチのつく法である。」(澤木興道)

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転輪号1年

2009年04月09日 | 道楽

 またまた桜ノ宮へ行って来た。落下が盛んで下から青葉混じりになって山桜風でこれまたよし。
 学校も始まったし見物客もぐっと減って自転車での走行も快適、風を切って走ってきた。


 自転車を購入して丁度1年、走行距離3300Km、1日平均10Km近く、結構楽しんだ。運動系の趣味として最高である。

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潅仏会

2009年04月08日 | 佛教

 4月8日は潅仏会(花祭り)つまり釈尊の誕生日である。
 私にとっては、人生の転機となった記念日に当る。受戒し仏弟子になった日である。


 で、まず近所の公園で花見して、図書館で手塚治虫のマンガ”ブッダ”を借りてきて読む。あと、坐禅を実行。

 クリスマスと比べると地味だね。韓国では旧暦の4月8日が法定祝日という。
 


 


 

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