今日見た、ユーチューブでへーと驚いたのがあったので紹介します。
【沈む前提で作った日本最大の空港】深さ20mのヘドロの上に、世界第5位の国際空港 羽田空港沖合展開 前半
今日見た、ユーチューブでへーと驚いたのがあったので紹介します。
【沈む前提で作った日本最大の空港】深さ20mのヘドロの上に、世界第5位の国際空港 羽田空港沖合展開 前半
心理テストで他力本願度をチェックするというのがあったから、紹介する。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12353-2998881/
AIの説明
「他力本願(たりきほんがん)」は、自分の力でなく他人の力によって望みをかなえようとすることを意味する四字熟語です。仏教用語が由来で、もともとは阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得るという意味でした。そのため、現代の意味は誤用ともいわれています。
今日は、夕食を外食することにして、近所の道を100mほど行ったところで、市の防災無線のチャイムが鳴り出した。
私の住む守口市では5:30に以前は「夕焼け小焼け」の曲が流され長らくこの曲が使われていたが、4年前から「守口市歌」に変わった。知らない曲だったが古関裕而が1951年に作曲したちゃんとしたものだった。
「夕焼け小焼け」の時は、子どもに帰宅を促すために流されているものだろうと思っていたが後に知ったところでは防災無線のテストだったそうで、各市町村で違った時刻に流されていることを知った。
さて、タイトルのおもろい犬だが、そのチャイムの音に合わせて吠え出すのである。家の中で飼われているのでどんな犬かなと思っていたが、今日は窓と鉄格子の狭い場所に身を乗り出していた。ちょっと小柄な柴犬かその雑種のようである。
私が子どものころ、向かいの家の犬、ちょっと大きめの雑種だったが、この犬は松下電器の工場の終業時なんかに鳴らされるとそれに合わせて吠えるのである。
70年以上経って2匹目を見つけたので、記事にしてみた。
下の記事は2015年2月に書いた「夕焼け小焼け」にまつわる記事である。曲が変わるまではそんな気で聞いていたものである。
以下、旧記事の転記。
1 夕やけ小やけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ
2 子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星
いつぞや、近所のお寺さん連合の主催する講演会で宗教学者の山折哲雄氏の話を聞いたことがある。ほとんどは忘却の彼方だが、一つだけ覚えていることがある。
山折氏が韓国の学者に今日子どもたちの情操教育が疎かになっていることを嘆いた時、その韓国の学者はそんなことはない。日本では昔ほどではないが今もちゃんと立派に情操教育がされているという。それが羨ましいというのだ。
「夕焼け小焼け」の素晴らしいというのである。お寺の鐘がなり、つまり佛様のちゃんとおられ、そろそろ帰ろうねと促してくださる。そして帰るべき家がちゃんとあって夕飯の支度ができている。友達と仲良く帰る、からすや小鳥も一緒、共に生きていて別け隔てがない。
月も星にも空にもちゃんと見守られている。なんという素晴らしい世界に生きているのだ。それが日常だというのです。
その話を聞いて山折氏はなるほどと同感の意を表明したそうである。
まあ、阿弥陀経に描写されたきんきらした極楽浄土なんかが素晴らしいものと思いがちだが、あればお経の作者が想像で作り上げた作りものに過ぎず、こういう世界こそ本当の浄土というべきであろう。
昨日、ユウチューブを見ていたら、伊藤匠七段が4月20日に行われた叡王戦タイトル戦第2局で初勝利したことが報じられていた。
それまで、伊藤匠七段は11戦対戦して負けっぱなし、12戦目でやっと勝利した。負けっぱなしだったので、あまり、タイトル戦があることも気にもしていなかったが、やってくれました。
早速、深浦九段の棋譜解説を見てみた。藤井竜王が序盤でやったことのない手を指してそれが良くなくて伊藤七段がペースを掴み押し切ったようだ。
勝負事は強いのが勝ちっぱなしじゃ、面白くない。
ヤフーの知恵袋で2010年5月から、宗教のカテゴリーに参加しているが、今日、なんとカテゴリーマスターとやらになった。
2010年からだと、14年。遅いちゅうねん。
どういう基準で選ばれるのか、訳が分からない。1年、2年でなる人もいる。今回も別に通知があったわけでもなく、回答を書いたら「カテゴリーマスター」という表示が表れただけである。
仏教の世界観は、時間的には無始無終、空間的には無量無辺、つまり、無限の時空。
ところが、近代科学が観測した宇宙は時間は宇宙開闢から138億年、空間は直径930億光年、広大な時空であるが、有限ということ。
有限であるから、我が生命はその一欠片、宇宙と一体、宇宙力で生きていると言えるのである。
無限なら依って立つところがない。一体とは言えない。
「生命力は宇宙力」「宇宙力が生命力、生命力が宇宙力」という言葉も有限だから言えるのである。
淀川堤防へポタリングしているが、ところどころに桜の木があって中に大きな八重桜の木がある。ちょうど、満開になっていたので、今が見頃と思われた。
近くで八重桜の名所と言えば、造幣局の通り抜けである。見に行こうと思ってネットをチェックすると、4月の4日から1週間、しかも、1月に予約申し込みをしなければならなくなっていた。
残念。
向こうに見える橋は鳥飼大橋。昭和29年、小学の時分に旧橋が竣工し、大きな橋が近くでできたので友達と見に行ったことがある。今は2代目(令和3年竣工)。
知恵袋を見ていたら、「今日はお釈迦様の誕生日、何を食べますか」と質問が出ていたので、つられてちょっと考えて桜餅と応えた。
4月8日はお釈迦様の誕生日だが我が夫婦の結婚記念日、特別な日なのだが今日まで特別なことはしてこなかった。
ご馳走を食べに行く予定もないし、時節柄桜餅が食べたいと思った次第。
夕方、近くの百貨店の買いに行くと、老舗の和菓子屋で1個380円、予想外の値段でどうしようと思ったが1個しか無かったので買わずにスルー。
他の買い物をして帰り道にある丹波屋を覗くと1個170円、桜餅2個、よもぎ餅2個を購入。
久しぶりに妻と桜餅を賞味、曰くがついたのでいつもより美味しくいただいた。
来年、食べられるかどうか。
私は美しい花を愛でるのは大好きだが、中でも桜に特別郷愁を覚える。縁を感じるところを書き出してみる。
1 我が家の家紋が桜であること。
2 実家の庭に桜の木が植わっていたこと。
3 私の結婚式が4月8日花祭りの日。
4 父親の葬式が4月6日、菩提寺で執り行ったが桜が満開、後からどなたからも「桜が満開で最高のお葬式でした」と言われたこと。
西行法師の「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」の歌を思い出し、親父はいい時に死んだなと思ったものだった。
4 この度、与謝蕪村の句碑から歌碑を連想することになった。
まずは筆頭に挙げなければならないのは、吉野山の勝手神社にある折口信夫の歌碑である。
「吉野山 さくらさく日に もうで来てかなしむ心 人しらめやも」
折口信夫は父方の祖父と従弟、私とは6親等、法律上の親戚に引っかかってる。吉野の桜は見たかったが出不精で混雑嫌いだから見に行けてない。
https://ameblo.jp/yoshimizushrine/entry-12493853516.html
5 桜を詠んだ和歌と言えば本居宣長のこの歌が一番と心得る。この歌を見聞きすると「ああ、俺は日本人だな~。日本に生まれてよかった」とつくづく思うのである。
「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
https://www.kankomie.or.jp/report/1686
6 死期の近づきつつある私にとって西行のこの歌に心惹かれる。
「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
如月の 望月とは2月15日、つまり、釈尊の亡くなった日、入涅槃の日である。今の2月15日には寒中真っ盛り、桜花を望むべくもないが旧暦に当てはめると年によって日が変わるが今年は3月24日となる。
https://iesiat.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-8011.html
注:写真はURLの記事から引用させていただいて表示した。
桜のシーズンになると、毎年、花見に出かける。
歳も歳とてひょっとして今年で見納めになるかも知れないという思いで花を愛でている。
昨日は、近所のパナソニックのさくら広場へ出かけてた。今年はいつもより開花が遅れて4日現在満開といかなかったようである。開園日を3日伸ばして6日までとしたようだが、ちょうど満開日に閉園するようである。
今日は桜之宮公園へ自転車で行ってきた。途中で人が増えて自転車を降りて通らなけならない場所があった。外国人の花見客が増えて喋り声が多く聞かられた。ゆっくり花見をしたいこちらとしてありがたくない客である。写真は公園に入って間もない、空いている場所である。
写真は公園内にある自転車が通行できる歩道橋である。春風橋という。なぜ、そういう名称になっているのか、以前、ふと思ったことがあった。
今日、その謎が解けた。毛馬の閘門近くに与謝蕪村の句碑があって、その俳句が「春風や堤長うして家遠し」。与謝蕪村の生まれの地が毛馬なのであった。