十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

読者の皆様へ

2016年08月31日 | 道楽
平成20年7月1日に当ブログを開設して以来、8年2ヵ月、日数にして3014日にもなります。

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拙い文章で記事の更新もままならぬ中で、愛読していただいている方が大勢おられることに感謝の気持ちでいっぱいです。

こんなペースで書き込みすることになりますが、今後ともよろしくお願いします。

一法 拝



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守口市花火大会

2016年08月29日 | 生活
昨日は久しぶりに花火を見に行って来た。

4年前に天神祭の花火をサイクリングで見に行って以来である。

花火を見るのは好きな方で淀川河畔で行われる花火大会にはよく出かけたものである。

しかし、この頃は人での多さに辟易するので、出かけるのを控えている。

今回は守口市市制70周年の記念イベントでもあり、あまり周知もされていないし、対岸の摂津市側からなら空いているのではないかと思いつき、淀川に懸かる鳥飼大橋を渡りママチャリで出掛けた。

予想通り、人は少なくて好きなところに場所取りができて、河川敷の芝生の広場の川側の鉄柵に坐り見ることにした。

寒冷渦と台風10号のせいか風が強く涼しかった。

花火の打ち上げ場所までは、約1キロの距離があろうか、花火が開いてから音が聞こえるまで約3秒だ。

7:30から始まって8:30まで約1時間、打ち上げ数は5000発。

遠見の花火で迫力は欠けるが、夏の納涼行事としては楽しめた。

帰りの橋の上は、自転車が2台、並行、すれ違いできる程度の幅しかなくのに、風が強く前から人や自転車が来ると当たらないか、ヒヤヒヤしながら渡った。

一夜明けて、今日は大雨。行事関係者はホッとしていることだろう。

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サイクリング再開

2016年08月27日 | 道楽
3月20日に腰痛を起こして以来、サイクリング車に乗っていなかったが、今日久しぶりに乗ることにした。

しかし、骨が弱くなっているので、転けた時困る。

それでペダルに取り付けていたハーフクリップを取り外して普通のペダルに戻した。

クリップは靴をペダルに固定するもので、正式なものはバンドで止めてしまう。バンドを締めたり緩めたりするのは走りながら行う物騒なものだが、ハーフクリップはバンドがなく靴をその中に入れ込むだけのものである。
あまり使用している人は見かけないが、足が固定され足の回転がスムーズになって、スポーツ車に乗る人にはお勧めである。

しかし、ペダルから足を外す時は横方向か後ろ方向に足を抜かなければならないのでとっさの場合間に合わなくなる恐れもある。

しかるが故に今回それを外したのであるが、足の位置が固定されないため何となくぎこちない。その内慣れるのであろうが、、、。

なお、最近はロードを高速走行したい人はビンディングを利用する人がほとんどある。専用のペダルとシューズの底の金具をはめ込みして固定し外す時は足を外に捻じる。

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闘病記:治療終了

2016年08月25日 | 生活
今日4時頃雲が出て日差しがなかったので、久しぶりに整形外科外科を受診した。

主治医から「コルセットを外したの?」と聞かれたので、今週から外し、退院後、痛みも出ず順調だというと、X線写真を撮ってくるよう指示された。

写真を見て、今日で治療終了ということになった。

やれやれ、である。

主治医に礼を言い、世話になった病棟、及びリハビリ室にも挨拶に回ってきた。

骨が弱くなっているので、用心しなければとならない。痛いのはこりごりだ。

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闘病記:コルセット

2016年08月24日 | 生活
3月20日の第1腰椎圧迫骨折から、5ヵ月が経ち、コルセットの装着を今日から外した。

7月7日の外来受診以来、7月一杯は寝る時、ソファーに腰をかけたりしている時、風呂に入る時以外は用心のためできるだけコルセットをつけるようにしてきた。

猛暑が続き暑いので8月に入ってからは、外出する時のみ装着する様にしてきたが、暑いのにたまらず医者の許可を得ず外してしまった。

勿論、腰に負担が来るような場合は着けて用心することは言うまでもない。

医者には1月後に受診に来るように言われていたが、痛みもないのでそのままにしている。
そろそろ行かないと叱られそうであるが、、、。
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生きているということは誰かに借りをつくることなのか?

2016年08月22日 | 人生
いつも自転車で前を通る寺の掲示板に、先月亡くなった永六輔氏の言葉が書かれていた。

こういう考え方が嫌いなので、その文を紹介するとともにどこが気に入らないか書いてみたい。

「生きているということは誰かに借りをつくること。
生きていくということはその借りを返してゆくこと。
誰かに借りたら誰かに返そう。
誰かにそうしてもらったように誰かにそうしてあげよう。」

この文章を読んだ多くの方は、その言っていることに納得されるのではないかと思う。
だからこそ、永氏の著作の中に残され、それをお寺さんが紹介しているのであろう。

しかし、貸したり借りたりは所詮処世のこと、世渡りのことである。勿論それも大事なことだが、人生をそういう考えを根本に据えると辛いものになると思う。

人生は貸し借りで考えたら誰でも生まれてからは世話になり放し、借りは留めなく積み上がりとても返せるものではない。若くして亡くなる人は返せないまま亡くなってしまうことになる。
高齢者も借りを作って亡くなるのではないだろうか。それまでに貸しを作っておいて差し引きなんてことができるのだろうか。

佛教的には貸し借りでない「お陰様、ご互い様」で行きたいものである。

そういう意味で恩という言葉も気に入らない。ひねくれているのかも知れないが何とかの恩とかいうと、裏に恩返しを要求するようなニュアンスを感じてしまうのである。

この寺は真宗の寺で、報恩講という行事が行われるが、 昔ほどの得信者がいない現在にあっては 報恩というのはさしずめお布施を持って来いということと勘ぐってしまう。

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終戦記念日・「それで今の私がいます」

2016年08月15日 | 人生

今日は終戦記念日。

正午に黙祷を捧げて、天皇陛下の慰霊のお言葉をお聴きしたのち、鎮魂歌を歌った。

歳のせいか音域が狭くなり、声にかすれが出たが、何とか歌い終えた。
照会したyoutubeの歌詞を見ながらであったが、出てくる兵士の顔にどことなく叔父の顔に似た人が叔父を思い出しながら歌った。叔父は航空自衛隊で現職死亡している。

さて、今朝の産経抄に感動することが書かれていたので、コピーを張り付けた。

11歳の少女が曽祖父のことを聴いて、「それで今の私がいます」と。

そのとおり、あの写真の兵隊さんのお陰で皆、生きているのである。繋がっているのである。

 

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鎮魂頌

2016年08月12日 | 世相

この時期政府高官が靖国神社に参拝することに、中韓からいつもクレームがつく。傍からガチャガチャ言われる筋合いのものでないと考えるが、とにかく文句を言いたいんだね。

さて、吾輩は終戦記念日の慰霊祭にいつも黙祷を捧げているが、霊魂の存在を認めているのかというと、世間の人とは考えが違う。佛教は無霊魂説だから、内山興正老師の定義によっている。

老師の定義とは「死者の霊魂とは生き残った者の間にただよう亡き人の残映である」

つまり、慰霊とは自分の中の亡き人を思い出し自分の中のその面影を落ち着かせることなのである。
慰霊とは他ならぬ自分を慰めることをいうのである。死んでしまった人を慰めるなんてことはできっこない話である。

さて、最近、WEB閲覧する中で、「鎮魂頌」という戦死者への鎮魂の歌を見つけた。
作詞 折口信夫 作曲 信時潔

今、15日に歌うべく練習をしている。長い間カラオケもやっていないので声も出にくいが何とか歌いたいと思っている。

次のyoutubeには歌詞も入っているので、歌ってみられることをお勧めしたい。

https://www.youtube.com/watch?v=4f4eezf7J-s

歌の意味は下を参照されたし。

http://gunka.sakura.ne.jp/nihon/chinkon.htm

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施餓鬼で失敗の連続

2016年08月08日 | 世相
昨日7日は実家の菩提寺で施餓鬼の法要が行われた。

佛教は本来無霊魂説だから、施餓鬼なんか教義とは無関係の風習というとらまえ方をしている。

しかし、風習化したものは我輩だけの考えや都合でやめさせてくれない。

仕方なくつき合いをしなければならないのが、難儀なところである。

さて、今回は施餓鬼のあることをすっかり忘れていたことである。

10:30頃、タブレットをいじりだしたら、入力していた施餓鬼の予定の通知が出てきた。いつまでやっているのか?案内も見つからなかったので、寺へ電話をしてみると、11:30までだという。
今なら何とかまだ間に合う。慌てて仕度をして11:50頃家を飛び出す。

いつもは9:00に家を出て墓の花をスーパーで買って、墓参りも一緒にするのだが、花立ては後日にと、ママチャリで一目散。まだ、サイクリング車は無理みたい。

しかし、コルセットをつけた身、無理はできない。

そこで今まで通ったことのない道へショウトカット。
しかし、行けども行けどもいつもの大通りに出ない。やっと見知った道に出たが、1㎞は遠回りしていた。

汗を書きながら、必死にペダルを漕いで、寺に着いた時は11:20、ヤレヤレ、何とか間に合った。

墓の管理費、納骨堂使用料、志納金、卒塔婆代なんかの支払いを済ませ、本堂へ11:30ギリギリ。

ゴニョゴニョと坊さんがまじないした卒塔婆を受け取り、11:35に本堂を出た。他に人はいなかったから、一番最後だった。

食事を勧められたが、遠慮して早々に退散。

暑い中、自転車を漕いでいたら、腹が急にしくくなってきた。ヤバイ。朝から大はしないまま飛び出したのだ。とにかく、昼飯を食べる予定のイオンモールへ真っしぐら。

モールに飛び込んで近くの便所にたどり着くも、何と故障中の表示板。緩みかけた肛門を締め直して、もう一つの便所へ。

空いていてくれ。切なる願いが通じたのか。一つ空いていたところへ飛び込むもクーラーが効いていない。汗がドバっと吹き出し。体中がすぐビチャビチャに、トランクスが汗でくっついて上手く下ろせない。

幾度、漏らしそうになったことか。

ようやく用を足して、温水ボタンを押すと、何と今度は熱水が出て来た。さすがにヤケドする程ではなかったが、今まで体験した中で一番熱い洗浄水だった。余計に汗が出てきた。


いつもそうだが、施餓鬼は暑い盛りの行事で、我輩にとって良いことがあったためしがない。


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