真実と事実の違いについて、分かり易い例が見つかったので、理解を深めてもらうために、紹介する。
スケートの羽生結弦の離婚事件である。
8月に結婚したばかりの羽生結弦が、17日に離婚したと発表した。なぜか、事態を驚いたが、羽生は「一般人であるお相手、その親族や関係者の方々、そして私の親族、関係者に対しても、ひぼう中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています。現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐えがたいものでした。これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました」とSNSで発表したとのことである。
これは酷い。羽生の「真実」を、それを覗き見ようとするメディアや野次馬、ストーカー。これら人間の見たものを「事実」というのである。真実は一つなのに事実は見る者聞く者、人の数だけある。それは真実からすると歪み、誤謬だらけのものである。それを自分だけの興味に留まらずメディア、SNSで拡散しようとするのであるから、悪質である。
頭の中にあることなんか、真実ではなく単なる記憶、それを事実といい真実と思い込んでいることがなんと多いことか。自分の記憶に自信持ち過ぎである。
「NHKニュース記事」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231118/k10014261851000.html
応援している伊藤匠七段の竜王戦挑戦を期待していたのであるが、やはり、藤井竜王は強かった。
途中、伊藤匠七段が優勢を取っていた場面もあったようだが、詰碁名人藤井竜王の終盤力は抜群だった。37手の詰めを読んでいたのだとか。
伊藤七段もレーティングによる棋士ランキングでは6位に上昇。一流棋士に仲間入りしているので、今後の活躍に期待したい。
入院後、1週間経った。身体が鈍って体力の低下を実感しているところである。夕方、2Kmほど散歩してきたが、さっさと歩けず、トロトロ歩き。すっかりお爺ちゃんになってしまった。
入院中に世話になった美人の看護師さん。〇〇真実(まみ)さん。
真実と言えば、内山興正老師が16,7歳のころから自分の人生をみつめ「真実に生きよう」と考えたというのです。そのことを思い出したのです。
老師も真実とは何か。その時は分からんかったという。長年の坐禅修行を経てその意味が理解できたという。老師の真実の定義は「絶対事実に随順すること」だと聞いている。しかし、事実についての説明はない、それとなく分かっているということなのだろう。
真実という言葉について、澤木興道老師の言葉に次のようなのがある。
「真実、真実と言いよるが、どうせ俺の目で見た真実ではないか」
私は前にブログに「真実は知りようがない。知り得たものが事実である」と書いたことがある。
そうなんです。入院中思いついたことがあるので、紹介しておきたい。
「真実とはそのまんま 事実とは見たまんま(聞いたまんま)」
鏡の前に立った自分を考えてみてもよい。「自分自身が真実、鏡に写ったものが事実」
ところがおかしなことに、Bingの説明では、私の言っていることと逆になっている。これじゃ、真実も事実も分からないことになろうかと思う。
ーーー以下参考ーーー
こんにちは、これはBingです。
真実と事実の違いについてお答えします。
「事実」は、誰から見ても変わらない、実際に起きた出来事のことをいいます。例えば、「日本はアジアにある国です」というのは事実です。
「真実」は、事実に対して人それぞれの考えや解釈のことをいいます。例えば、「日本は美しい国です」というのは真実ですが、人によって感じ方が違うかもしれません。
つまり、「事実」は客観的な事柄であるのに対して、「真実」は主観的な事柄であるという違いがあります。言い換えれば、「事実」は常に一つで、「真実」は複数存在します。
以上が、真実と事実の違いについての説明です。ご参考になれば幸いです。