オウム真理教による地下鉄サリン事件(平生7年3月20日)から、早20年経った。驚天動地の大事件でそれに続く上九一色村のオウムの本拠地に対する警察による大捜索は今も結構記憶が鮮明に残っている。
多くの死傷者が出て今なお被害者や関係者の傷が癒えていないと聞く。
何故、あのような事件を起こしたのか、首謀者の麻原彰晃が何も語らないゆえ闇の中だ。
教団が大きくなるにつれて麻原の権力欲が増大してきて、それがとんでもない形で突出してきたものなのであろう。
しかし、表立っては救済という言葉を使っていた。その救済がポアという言葉で伝えられていた。「救済するぞ、救済するぞ」と団体で唱えて示威していたのを憶えている。
彼らによるポアの理論は次のウィキペディアの引用のとおり。
「ポア」とは本来ヨーガの用語で、「死に際して、その魂高い世界に移し変える(転生する)こと」を意味していた。
ところがオウム真理教では魂を高い世界(アストラル世界、又は更に上のコーザル世界)に転生させるためには、積極的にその魂の持ち主の生命を(実際に)奪っても構わないという「殺人正当化の教義」を意味することになった。
(オウムから見て)「悪業を積む者」は、そのまま生かしておいてはさらに「悪業」を積み、来世の転生先でその分苦しまなければならない。それを避けるためには一刻も早くその生命を絶たなければ(殺害しなければ)ならない。そうすることで、これ以上「悪業」を積むことがなくなり、また「グルとの逆縁」ができるので本人のためにも良い。また殺人を実行した弟子は、「被害者の魂を救済した」ことになるので、「功徳」を積むことになる、という理論である。 (引用終了)
これってオウム流の「自未得度先度他」だ。
澤木興道老師の言葉に、次のようなのがある。正確には憶えていないので言葉通りではないが意味的にはあっていると思う。
「小乗佛教にあっては行為が善意に基づくものであれば結果が良くなくても善行と認められる。しかし、大乗佛教では結果が良くなければ善行とならない。うっかりしていたでは済まされない」
自未得度先度他というのは、ちゃんと見通しの立った者に説かれるべき言葉であって、簡単に誰彼なしに説かれるべき言葉でないのだ。生兵法は大怪我のもと。