ともかくも あなたまかせの 年の暮れ
小林一茶が晩年に子を亡くした時の句。
あなたとは阿弥陀如来のこと。
今年も残り僅か、もう何をどうしようということもないしその時間もない。年が明けるのを寝て待つだけ。なるようになる、ケセラセラ。
今年はこれにて。どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしく。
ともかくも あなたまかせの 年の暮れ
小林一茶が晩年に子を亡くした時の句。
あなたとは阿弥陀如来のこと。
今年も残り僅か、もう何をどうしようということもないしその時間もない。年が明けるのを寝て待つだけ。なるようになる、ケセラセラ。
今年はこれにて。どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしく。
市の図書室で先に見つけた華厳経の口語全訳前巻を借りてきた。
昭和9年12月25日に国書刊行会という出版社が発行したもの。頁数は1141頁で6円50銭。
訳者は江部鴨村(えべおうそん)。1884-1969大正ー昭和時代の仏教学者。明治17年10月5日生まれ。大谷大、武蔵野女子学院短大教授を歴任。昭和44年10月16日死去。85歳。
というものでまずは前段の解説文を読み始めたがこれが50頁に及び文字がびっしり、14頁読んだところで一時ストップ。書いてあったことを思い出そうとするもごく断片的なことしか思い出せない。
華厳経の絡みで思い出したことがある。
大西 良慶さん、京都清水寺の貫主を務め、その晩年は日本の長寿記録保持者としても有名であったが、昭和53年に107歳で示寂。日本最初の5つ子が生まれた時に名付け親となって話題をさらった北法相宗の僧侶である。
その大西良慶さんが新聞のインタビューを受けた時に「華厳経にはどういうことが書いてあるのか」という記者の質問に「お陰様 ご互様 他人事やない」と答えた。
華厳経のように厖大なお経を3つの平言葉で表現されるなんて素晴らしいと思ったが、「ご互い様」と「他人事やない」とはニュアンスの違いはあっても同じことを言っているように思えてならなかった。
ところが最近これでよいのだと気がついた。仏法僧の三宝のことを言っているのである。
「お陰様」は法のこと、あらゆる事物のことだし、「ご互様」は僧のことで出逢うところの者同士の和合を示すこと。
問題は「他人事やない」を取り違えていたのである。これが仏だったのである。仏とは自己のこと、自己の外に仏というものはないからである。
さて、佛法僧を言い換えた言葉で表現したとすると、華厳経の話に限定されるものでないし、良慶さんは北法相宗のお方、華厳宗の人でないし、ひょっとして華厳経ではなくて記憶間違いをしているのではないかと思い始めているところである。
諸兄にあっては仏教とはどうゆうものかということで理解されたい。
12月16日の天声人語に「おならうた」という谷川俊太郎の思い白い詩が紹介されていた。
<いもくって ぶ/くりくって ぼ/すかして へ/ごめんよ ば/おふろで ぽ/こっそり す/あわてて ぷ/ふたりで ぴょ>。
こういうのを見ると内山老師の提唱を思い出す。その話は、インド人はモノを数える癖があって、◯◯にはいくつある、△△には何種類ある、屁のヒリ方にはこれだけあるという具合、それが尋常ではない。それはそれだけ深く考えていることでもある。仏教にもそれが現れていて非常に深いものである。そして、それが幾度のなく繰り返される。俳句ような短い句をつくるサッパリ系の日本人には付き合いきれないところがある。
一度華厳経を読もうとしたことがあるが繰り返しが多くて読み切れていない、と言われていたが、最晩年になって華厳経を読んでいてそれを楽しみにしているとの話を伺った。
亡くなった時にはどこまで読まれたのだろうか。
市の図書室で口語全訳華厳経上・下巻を見つけた、上巻が約1000頁、下巻が1200頁。読もうか、読めるか、う~ん。