「西空に 蝙蝠乱舞 淀河原」
淀川の土手を自転車で下って行くと、蝙蝠の群れが目の前で行ったり来たり。
蝙蝠も久しぶり、懐かしい。
「先導は シオカラトンボ ポタリング」
長い間見ていなかったシオカラトンボが目の前にツイと現れてしばらく自転車の前を先行した。
俳句をするようになって、いろんなものに目が行くようになったのが良かったね。
「葛の葉や 路半分を侵しけり」
前を歩いていた親子連れが「路が狭くなったね」と言っていた。
その通り路の両サイドから葛の蔓、葉が張り出して路が半分ほど隠れてしまった場所がある。数百メートルはあろうか。
葛粉の材料になる植物だが、こちらでは邪魔な雑草でしかない。
「謂れ知る ヤクザが建てし 地蔵尊」
実家の近くにある地蔵尊はヤーさんが建てたもの。
「子を救う 地蔵の正体 閻魔王」
冥土における審判で裁判官役の閻魔大王と弁護士役地蔵菩薩が同一人物というのはよく知られるところ。
「弘法も ふと赤面す 百日紅」
百日紅→猿滑り→「猿も木から落ちる」→「弘法も筆の誤り」→両者とも顔が赤い
発想が飛びすぎ、こじつけだが、これで俳句になるのかしらん。
内山興正老師の安泰寺に残す言葉1&2のブックマークのリンク先を変更しました。
なお、WEBページから直接聞けるようにファイルサイズの大きいのを分割して3つにしました。
いつものごとく、夕方淀川堤防をチャリンコで走っていたらトンボの群れに囲まれた、距離にして1Kmほどはずっと周りはトンボに囲まれていた。このような体験は初めてのこと。トンボは赤とんぼのような感じだが色は薄かった。
そこで、一句捻ってみた。
「英霊の 搭乗せるや トンボ隊」
戦時中トンボといえば戦闘機の一種だった。また、トンボというのはバックできない、突進あるのみ、勇猛心の象徴。だから、兜の前立てにトンボを用いた例が多くあるという。
産経新聞の日曜版に「楠木正成考~『公』を忘れた日本人へ」という記事が連載されている。
確かに今の日本人は公を忘れていると過言ではないだろう。
「自国のために戦う意思」に関する国際世論調査(ギャラップ社が64カ国)で、「自国のために戦う」と答えた人の割合は日本が11%最低、次がオランダ(15%)とか、平和ボケも極まっている。
https://www.youtube.com/watch?v=T4bRqh6kGOo
皆自分だけが大事なんだろうが、日本全体が攻められて自分だけの安全なんてあり得ないないんだが、・・・。
さて、今日の追悼式で天皇陛下のお言葉にも「反省」とあった、2年前からその言葉を述べられているようだが、いつまで何回反省すればいいのか、反省を繰り返すのはそれまで反省していないということになるのではないか。また、それは亡くなった人を責め非難することにもなるのではないか。
戦没者への言葉なのだからおかしいでしょうと言いたい。
いつまで反省ばかりするものだから、周辺の厚かましい国からいつまでも謝罪を求められることにもなる。
そこで終戦の日に1句。
「公忘れ 祈り違(たが)えし 終戦日」
昔の日本人の公の祈りと今の日本人の私の祈りには大きな乖離があるようである。
盂蘭盆(ウラボン)はサンスクリット語で逆さ吊りの苦痛を意味するものだそうだ。
盂蘭盆経の説くところでは釈尊の二大弟子の一人目連の救母説話に由来、祖霊を死後の苦悩世界からの救済する佛事が盂蘭盆会というが、しかし、逆さ吊りの苦痛という行事は縁起でもない。
そもそも、元になっている盂蘭盆経というのは偽経だと言われているものである。
偽経とは本場の印度以外の地域で制作されたものでその地の宗教と習合して作成されたものである。非常の多くのものが作られており、盂蘭盆経もその一つ、有名なのは父母恩重経、十王経などが支那で儒教の先祖を敬う教えが入れ込まれているのである。
浄土真宗の坊さんが盆行事を批判的にみている文章がありますから読んでみてください。
私も盆行事には共感できないでいる、昨年までは母の信仰を否定出来ないので施餓鬼法要に参りもしたが、その母も亡くなったので佛亊から手を引いた。初盆も知らん顔で済ましてしまった。死んでから拝んでも仕方がない、生きている間にできるだけ面倒見るべきだと思う。
いつもの年より道路は大混雑しているようである。連休になって盆で帰省の人も多いせいかも。
この世も大変だが、あの世も大変というところを詠んでみた。
「幾山河 麻殻頼りの 亡者かな」
6日広島、9日長崎の原爆忌。
この時期は日本人として何とも情けない気持ちにさされる。
俳句を初めて3句目。ちょっときつい景色を描いてみた。
「瞬殺の 墓標と立ちぬ きのこ雲」
原爆の強烈な熱で瞬間的に人も生き物も蒸発、気体となり粉塵となりきのこ雲と化す。それは大量の死の集合体、その一つとなった固まりが天高く墓標のごとく立ち上がってくると詠んでみた。
台風5号の進路にはやきもきさされて来たが、大体コースが定まりどうやら吾輩の住む大阪にやってきそうだ。
雲も低くいつものと雰囲気が大分違う。ジェット機の音がやけに大きい。そこで1句。
「嵐来る ジェット機の音 雷神か」
前からテレビ番組「プレバト」の俳句コーナーを楽しんできたが、自分でも作ってみようかという気になったきた。
「才能アリ」か、「凡人」か、はたまた「才能ナシ」なしか。