昨日、サイクリングの帰りに映画を見に行った。「プリンセス トヨトミ」である。大阪城の地下にトヨトミの末裔である王女を中心とする大阪国があるという荒唐無稽な話である。
http://www.princess-toyotomi.com/
この映画、実は最近見た映画の中では一番気に入っている。国の中に国を造り自分の意志で国民となっている。私のいう自己の国と軌を一にする。
昨日、サイクリングの帰りに映画を見に行った。「プリンセス トヨトミ」である。大阪城の地下にトヨトミの末裔である王女を中心とする大阪国があるという荒唐無稽な話である。
http://www.princess-toyotomi.com/
この映画、実は最近見た映画の中では一番気に入っている。国の中に国を造り自分の意志で国民となっている。私のいう自己の国と軌を一にする。
7月2日(土)ETV午後1時~2時「こころの時代~宗教・人生~『坐禅は生の主食』」(再放送)という番組で安泰寺のドイツ人僧侶ネルケ無方さんがインタビューに答えるという形式でお話をされますのでお聴きになることをお勧めします。
私も初回の放送は聞き逃したので録画予約しておきました。
仏教の唯識学は「唯識3年倶舎8年」というくらい習得するにむずかしいものらしい。私も随分昔に入門本を1,2度読んでみたことがあるがそれっきりになっている。
その概要はウィキペディアを参照してもらうとして、唯識は語源的に見ると、「ただ認識のみ」という意味であるが、これは今日では情報の問題と考えたら分かりやすいと思う。
コンピュター的に考えると、阿頼耶識がHDD等データ保存媒体、末那識がCPU、前五識がインターフェース、意識がディスプレイと言ったところだろうか。
さて、そこで過去、現在、未来と時間を分けて考えてみる。過去は過ぎ去っていて今はなくそれは過去の情報としてHDDの阿頼耶識に蓄えられている。それが意識というディスプレイに呼び出され意識される。つまり、識のみ完結しているのである。
次に未来はというと、未だ来たらず今はない。現在、過去の情報を加工して同じくディスプレイに表示したものでしかない。これもまた識のみで完結している。
さて、現在はというと厳密にいうと時間というものない。過去と未来のフロンティア、時間の流れを羊羹のようなものに例えると切り口の一方が過去で一方が未来、その切り口が動いていくようなものである。
しかし、人間の感覚はそこまで厳密に感覚できるわけもなく、情報処理に時間がかかりタイムラグがある。それを見込んで考えてみると、身体内外の情報がセンサーである五官で捉えられ阿頼耶識に蓄えられている情報と照合しその上でディスプレイに表示され認識される。つまり、外界情報も認識装置であるコンピューターの働きがなければ意味をなさなくなるのである。
目の前に危険物があってもそれが危険物と認識されなければ、その人にとって危険物とはならない。うっかり触って手に痛みを感じて初めて危険物と知る。認識が改まると次からは危険物としてうっかり手を出すことはなくなる。同じものでも認識次第なのである。安全であると認識されてきた原発が今般の事故で一挙に危険なものになってしまった。
つまり、たとえ存在を確信しているものでもそれは大概HDDから呼び出された過去情報に過ぎないである。例えば現在、太陽の存在を疑う人はいない。しかし、それはみな過去情報に基づくものである。過去に見た太陽を思い出しているに過ぎないのである。
目の前に見えているものでも、決して実物を全て見ているわけでもない。今見えているのは表面の光だけである。それもアバウトなものである。目の解像度に問題がある、歪みがある、盲点がある、焦点だけしか見えていないという按配である。見えていないところは過去情報を呼び出して補った上で認識しているのである。
認識力が全てなのである。時間も空間もあらゆる存在もそして想像するものもみな認識あってのことなのである。認識されなければその人にとって何ものも存在しない。
いや、認識しないことでもあるはずだ、未発見のものでも発見されているではないかというがそれも発見されてから認識されて存在することになったのであって、それ以前は存在するはずという程度の存在であったということなのである。
植物状態の人、認知症の人等認識力を失った人、異常をきたした人はあらゆる存在も失われたり、歪なものとなってしまっているのである。
正常なつもりの我々でも何もかも認識次第であり同じ一つのものを見ても皆違うのである。
唯識とは全ては情報処理によるということである。
被災者数を先月から拾い始めたが、昨日になって避難者数が警察庁に代わって内閣府が2週間おきに発表することになった。15日の発表は6月2日現在のもので、従来の集計では仮設住宅や親類縁者宅などへの数が含まれていなかったものが集計されて発表されることとなった。
また、身元未確認の遺体がまだ900ほどあるらしい。行方不明の遺体の陸上分はほとんど捜索済みで後は海や沼等の遺体で捜索はより困難になってきている。
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死亡 | 行方不明 | 計 | 避難 |
5月9日 | 14,919 | 9,893 | 24,812 | 118,786 |
5月10日 | 14,949 | 9,880 | 24,829 | 117,085 |
5月15日 | 15,057 | 9,121 | 24,178 | 116,372 |
5月20日 | 15,148 | 8,881 | 24,029 | 109,456 |
5月25日 | 15,217 | 8,666 | 23,883 | 103,021 |
5月31日 | 15,281 | 8,492 | 23,773 | 102,271 |
6月1日 | 15,310 | 8,404 | 23,714 | 100,527 |
6月2日 | 15,327 | 8,343 | 23,670 | 99,592 |
6月3日 | 15,341 | 8,298 | 23,639 | 99,398 |
6月4日 | 15,355 | 8,281 | 23,636 | 98,916 |
6月5日 | 15,365 | 8,206 | 23,571 | 98,505 |
6月6日 | 15,373 | 8,198 | 23,571 | 98,303 |
6月7日 | 15,382 | 8,191 | 23,573 | 93,270 |
6月8日 | 15,391 | 8,171 | 23,562 | 93,397 |
6月9日 | 15,401 | 8,146 | 23,547 | 91,523 |
6月10日 | 15,405 | 8,095 | 23,500 | 90,109 |
6月11日 | 15,413 | 8,069 | 23,482 | 88,361 |
6月13日 | 15,424 | 7,931 | 23,355 | 84,537 |
6月14日 | 15,429 | 7,781 | 23,210 | 83,951 |
6月15日 | 15,434 | 7,742 | 23,176 | 124,594 |
昔、神戸の病院に事務職で勤めていたことがあって今日現役・OBの親睦会が神戸のホテルであったので参加してきた。
母親の介護があるので母親の調子次第なので事前に幹事さんの了解を得ておいて当日の飛び入り参加である。
転勤してから22年ぶりに再会という人が多かった。OBでは20人中自分も含めて13人、現役では14人中3人が知った人だった。22年ぶりといってもみな成人してからの知り合いだから際立って様相の変わった人はいなかったので名簿と突き合わせればみな分かった。知った女性は6人、いずれも当時の姓のまま。未婚のままの人が多いみたい。
こういう行事には現役当時は付き合いで参加ということも多かったがリタイアしてからは面倒くさくなって参加を遠慮してきた。こういう会はどうして現役当時の上下関係がそのまま生きていて昔の役職で呼び合ったりなどすると雰囲気の悪いものとなる、いや、そう感じてしまうのである。そうなると参加したくなくなる。
今日の会はそんなこともあまり感じなかったし、懐かしさを味わった。
昨日は用事があって走れなかった。今日は1万Km達成後始めてのサイクリングだったが、気が抜けた感じだった。やはり、次の目標を描けないことによるようだ。次の目標となると2万Kmだが、1万Kmで3年2ヶ月かかったところをみると先が遠すぎて目標にならない。
まあ、ボチボチとやり始めるしか仕方がない。
暑くなってきたので近いところで済まさざるを得ない。今日は14Kmのショートコース、目的地の日陰で一息入れると川風が涼しくて最高の心地良さ、これからはこれが楽しみである。
帰りに郵便局へ寄って義捐金を振り込んで来た、1万Km記念なので1万円。被災者一人当たり10銭にもならないが気は心である。
さて、一昨日のクイズですが、どなたも分かった方がおられなかったようです。確かに分かりにくいのです。しかし、よく見ると分かります。
実は前のボタン付けが反対なのです。つまり、女物のシャツを着ていたのです。家内が太ってしまって合わなくなった色物シャツをお下がりで着ているのです。数着着替えていますが女物と気づく人は今までいません。
昨日までで9989Kmまで走破して残り11Kmとなったところだったが今日午後1時回ったところで出かけることにした。目的地は10Km距離にある枚方のスーパー堤防である。堤防の記念碑のところに着いたがまだ500m足りなかったので200mほど行き過ぎて戻って距離を調整して記念碑のところでピタリ10000Kmに。
メーターは光の反射で見にくいが3000Kmを指している。7000Km近くで電池が切れてリセットせざるを得なかった。まともなら10000Kmで0000.0と元に戻るところだった。こうなるとやった!いう感がより高まるのだが・・・。
10000Km達成の記念写真を近くのベンチに坐っていた老サイクリストのおじさんに撮ってもらったのがこれが失敗だった。カメラを渡したら「このカメラ俺の持っているのと同じや」というので安心していたら3枚中2枚がシャッターを押し足らずに全然写っていなかった。すぐ確かめればよかったのに慣れているからと油断してしまった。
さて、3年2ヶ月かけての偉業?だがちなむ記念として何かするとしたら今ならやはり東日本大震災の義捐金に応募するのが一番よさそうだ。月曜日にでも送ってこようと思う。
最後にこれはどうでもいいようなことだけれど、クイズを一つ。上に写真におかしなところがあります。それはどこでしょう。見つけてメッセージかコメントをください。
今日は西向いて桜ノ宮往復コース28Kmでとうとう9989Kmまで到達で、あと11Km。明日走れれば10000Km達成間違いないところまで来た。
ところで近頃になってめずらしい光景に出逢っているのでちょっと書いておくと、まず、私の転輪号に轢かれそうになった鳩が2羽もいたこと。ドジな鳩もいるものだと思ったら随分多くの鳩が淀川土手に集団で活動しているようである。
一枚目が一昨日、寝屋川市内で20羽近く集まっていた。
二枚目は本日、毛馬の閘門付近で40羽以上。
一昨日は高齢女性のサイクリストを見かけた。女性のサイクリストといえばたいてい男性と一緒に走っていて大概は2,30代、上でも40代ぐらいまで。ところがその女性は白髪でどうみても75歳を超えているようだった。そして、ヘルメットを被りドロップハンドルのレーサータイプのサイクリング車に颯爽と乗っていた。