新型コロナウイルスの感染状況は5月29日現在で感染者571万人、死者数36万人となっている。
日本は幸い概ね感染を抑え込めて、非常事態宣言も解除され、社会生活も徐々に元に戻りつつある。
しかし、完全に鎮静とまでは行かないようで、くすぶりがポツポツと出てきて自粛を再演する自治体もある。
世界的はこれから蔓延が本格化するような国・地域も沢山あり、いつ以前のように人々が交流できるようになるかは誰も予測がつかないように思われる。
オリンピックはまず無理、経済的ダメージを抑えるために早々に中止を決めるべきだ。
そのような状況下で、コロナを絶滅させることができないから、あきらめの境地でコロナと共に生きていくしかない、とよく言われるようになった。
withコロナなんて、言い出している。ステイホームだとか、何で英語を使うのか。
さて、そのコロナとの共生だが、厄介物との共生になっていて、共生と言えるものではない。共生というからには生命的連帯感なければならない。
さて、私のブログは「十方世界共生山一法寺」である。看板に共生と掲げてある以上、どういう意味で共生と言っているか、これまでも折に触れ述べてきた来たところであるが、今般のコロナを例に話をしておきたい。
私はこのブログで毎年年賀状を紹介している、ちょっと、古い話し合だが平成3年の正月に知り合いにこんな年賀状を送った。この1月17日に湾岸戦争勃発した。あんな無茶なサダム・フセインともいのちとして繋がっているという詩でである。
「 謹賀新年
フラフラ人生50年、知命の歳ともなりました。
人生の師、内山興正老師をみならって人生詩を作りました。
恥ずかしながら詩ともいえないようなものですが、これが私の知命です。
本年もよろしくお願いします。
平成3年元旦
いのちはぶっ続き
全てのいのちはぶっ続き
あなたと私もぶっ続き
あなたが生れて私が生れ
私が生れてあなたが生る
オシャカさんともぶっ続き
キリストさんともぶっ続き
ヒトラーさんともぶっ続き
フセインさんともぶっ続き
全てのいのちとぶっ続き」
この宇宙に存在するものは、どんなものでも切って切れない繋がりを持っているということ。
どんなものでそれ単独で存在しえない。生きていくためには、空気がいる、水がいる、食べ物、着る物、住むところがいる、それは地球の上にある。地球も月も太陽も皆必要、太陽は天の川銀河の中、天の川銀河もなくてはならない。銀河団、大規模銀河団、宇宙全体がなくてはいかなるものも存在しえない。
私はこれを「生命力は宇宙力 宇宙力が生命力」という。
コロナウイルスも私も同じ宇宙力を生きているということである。宇宙力を共有している、宇宙力で共生しているのである。
ところが宇宙に話を持っていくと、話が漠然としたものになってしまう。
個体と個体とのダイレクトな繋がり感が薄くなる。
そこで個体の持つパワーについて考えてみたい。
個体は宇宙力支えられているのであるが、逆に個体が宇宙を支えているということなのである。
宇宙全体から力が及んでくれば、同じだけの力で宇宙に力を及ぼしていることになる、重力、電磁力は影響範囲が無限大である。
ウイルスは小さな存在だが、宇宙の中にちゃんと存在している、その存在しているものを消すことはできない。その存在を否定すれば、宇宙の中に完全な無の穴があくことになる。宇宙の中に宇宙の法則の適用されない部分ができた対起用されない宇宙は崩壊するしかなくなる。
私がいて宇宙がある、その宇宙の中にウイルスがいる。ウイルスがいて宇宙がある、その宇宙の中に私がいる。
私とウイルスは繋がっていて生かし合っているということになる。ウイルスのお陰で生きているのである。
宇宙ができて138億年、その間宇宙にあったものは私の生まれに関与しているわけである。
コロナウイルスのお陰で生きているのである。
昨日のニュースで京都アニメーションの放火殺人事件の容疑者青葉真司が逮捕されたことが報じられ、被害者遺族が許せない思いを強くしたとのコメントがあったりしたが、殺された人も、実は青葉容疑者と生かし生かされる関係にあったのである。
彼より年下の者は彼の命から生まれてきたのであり、彼より年上の人はその人から彼が生まれてきたのである。
許すしかない。
青葉容疑者もそもそも、生かし合って生きていることを知っているなら殺すなんてこともあり得ない。
深く共生の理を知るなら、戦争なんてものもあり得ないのである。
「追記」
このブログは一法の独り言ということで始めましたが、今回は独り言ではなく、生命の繋がりについてよく知ってもらいたいからコメント歓迎します。
リアクションもあれば嬉しいです。