十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

内山興正老師の生命方程式

2018年01月27日 | 生命

内山興正老師が自己生命の有り様について、自己生命の方程式というのを考えられてその著作や講話においてよく明示されていました。
アインシュタインの宇宙方程式よりご自分の生命方程式の方が上だなんて冗談めいて言われたていたこともあります。
つまり、老師自慢の方程式です。

内山老師の「人生科読本」にあるその方程式部分をお見せしますと、以下のとおりです。


ところがもう一つ、ピンと来ていない人も多いのではないかということです。

例えば2/2はペアの在り方を考えてみますと、ペアである限り相手のことも一緒に考えて一体感を持ち連帯していることが自己の在り方になるということです。夫婦の場合一心同体なんていいます。
2人いてそれぞれが単に2人の中の1人つまり1/2の存在でないという意味です。
それがトリオならば3/3。それを拡大していくと日本人/日本人、全体/全体ということになるというのです。

これを図示するといつも紹介する老師の自己生命図になります。

ところが1/全体の存在でもあると別に書かれています。つまり、その中の1員でもあるということです。

この自己生命は一つなのに式が2つに別れているところが私にはちょっと気になるところです。

老師はかつて「自分と自己」という文章も書いておられます。全体分の1の自分と全体分の全体である自己を分けて書いておられるのです。

そこで老師に異を称えるようだけど全体/全体と1/全体と一つの式に入れて一本化したものを考えてみました。この方が私にはスッキリしたものになるのです。

それが次の式です。

       1  2  1 2  3   1 3       日本人   1   日本人  全体   1  全体
自己=1=─=──=─×─=──=─×─=・・・・・=─────=────×────=───=───×───
       1  2  2 1  3   3 1       日本人  日本人   1   全体  全体  1

1/全体は全体の中の1部、部分であること、それは1なる自分は全体に支えられているということでもあります。
一方、全体/1は全体は部分よって出来ている、部分によって支えられてると形になります。
また、一なる自分の生命体験によって全体なる世界が出来ているということでもあります。

      1  全体
自己=───×───   自己というのは宇宙の中では部分でありつつ全体性を有しているということになります。
     全体  1

 この式の×は兼ねているという意味に解すると、佛教の言葉で出てくる「即」に当たるでしょう。

「一即一切 一切即一」「一心一切法 一切法一心」「煩悩即菩提」「色即是空 空即是色」etc

例えば、坐禅もそうではないでしょうか。全体分の1の肉体でもって全体の宇宙を体現することを意味します。

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イプシロンロケットによる夜光雲で一句

2018年01月23日 | 俳句

1月18日、午前6時6分に打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡が、夜光雲(やこううん)として全国各地で観測された。

 http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/11361.html

「冬空に 天女の衣 夜光雲」

「冬の朝 夜光雲引く イプシロン」

秋に退職者の会の会報に投稿したものが新年号に掲載された。

「秋空を 飛行機雲が 真中分け」 

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真っ青な寒日和に一句

2018年01月21日 | 俳句

淀川の川向うの工場から真っ白な蒸気が寒風に流れてくさまを詠んでみた。

「寒日和 白龍に似て 蒸気飛ぶ」

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雪安居に一句

2018年01月19日 | 俳句

「嵐止み 寂滅為楽 雪安居」

雪山偈
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」

雪山偈の生滅滅已を嵐止みとした。外の世界の嵐が止んだ、また、只管打坐して頭の中の嵐も止んで、寂滅為楽の世界が開けてくるというところを詠んでみた。

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人生料理の本ーー典座教訓に学ぶ

2018年01月17日 | 佛教

17日、雪安居中の安泰寺のユーチューブ動画に典座教訓の輪講がアップされていました。
雪に閉ざされた雪安居の間に行われるているそうで、輪講とは修行者が当番を決めて講義するものである。
典座教訓は道元禅師が叢林における料理を司る典座という役職者の心構えを教示されたものである。

それの解説を内山興正老師が書かれたがそれが「人生料理の本」である。
昭和45年の秋に初めて当時京都市北区玄琢にあった安泰寺を訪れた時出版間もない本が廊下に積まれていたのを求めて帰ったのが最初である。

その折、内山老師に出逢い、本にも出逢ったのであるが、非常に深い感銘を受けた。青天の霹靂と言ってもいいだろう。
それまでは世界があってその中に自分がいると思っていたのが、自分がいて世界がある。天地がひっくり返った。

典座は坐禅できない、他の修行者が坐禅している間に食事の用意しなければならない。在家の人間に生き方にピッタリの教えになっているところが素晴らしいと思った。以来、私の座右の書である。

典座教訓の解説本は多くの著者によって書かれている。4,5冊持っているが、やはり、人生料理の本が一番である。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1/357-4021335-7834962?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E5%85%B8%E5%BA%A7%E6%95%99%E8%A8%93


ところで、この中でけしからんのが、料理研究家の平野雅章の書である。

典座教訓 赴粥飯法 (古典) 単行本  – 1973/1

この本の中に内山老師の「人生料理の本」から、丸々パクっているのである。
中根環堂氏の「赴粥飯法現代講話」からも、パクパクやっているようです。

「人生料理の本」から盗作したのは、次の部分である。

 

しかし、よくもまあ、とびっくりしたことだったので披露しておくと、
昭和50年台後半の頃だと思うが、正法眼藏味読会に参加するために京都の宗仙寺に赴いた時のこと。
玄関によく「禅の友」という曹洞宗宗務庁発行の小冊子(月刊)が置かれており、あればそれを頂いていた。ある時その中に老師のパクリ文がそのまま掲載されていたのである。

元々老師が「禅の友」に月々書いておられたものを纏めて単行本にまとめられたものであり、こともあろうにそれに堂々とそっくり写したのですから。

早速、老師にご注進とも思ったのであるが、流石にお弟子さんの中に気づく人もいるだろうと思いとどまった。後、どうなったか知らないが、宗務庁もどうかしていると思わざるを得ない。

さて、老師の本は再刊行されているものも多いが、いつまで経っても「人生料理の本」は出てこない。老師の本の再刊行は愛弟子の櫛谷宗則さんが関わっておられたので聞いていみたら宗務庁がうんといわないということなのである。私としてはどんな本より刊行してほしい本なのであるが・・・。

典座教訓に関心があり本文に関する意見や感想のある方はメッセージをください。

 

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1月期親睦囲碁会

2018年01月15日 | 道楽

1月期親睦囲碁会が本日開催。

4人しか集まらず、総当たりで実施した。

結果は1勝2敗、いつものとおり、詰めが甘くて大石が死んでしまった。

メンバーが6人しかおらず、今日はなんとか4人集まったが、3人になれば試合は出来なくなってしまう。

これまでは自然に集合する形を取っていたが、次回から参加できない時は3日前に連絡するようにし、3人以下なら開催しないことを申し合わせた。

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インフルエンザの流行に一句

2018年01月13日 | 俳句

インフルエンザが急に流行し始めたそうである。

自転車で散歩に出かけたが、風が冷たくきついので市の図書館に逃げ込んだ。

本読んでいたら隣に坐っていた人が咳を連発、たまらず前に坐っていた人と逃げ出した。

「流感や 咳から逃げる 読者達」

風邪を引かない心掛けも大事だが、人に伝染させない心掛けが大事。予防接種も自分の為ならず他人のためにすべきである。

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寒波到来、雪原に一句

2018年01月06日 | 俳句

佛法を俳句にしたかったが、雪からいろんな連想が生まれて句にしてみた。

「雪原や 白鷺一羽 身を隠し」 *ゆきはら

雪原は佛の世界、白鷺一羽は自分、身を隠しは坐禅の中に身をうずめる、つまり、自己を忘するる、自他一体の境地を詠んだ。

古事記からの連想

天地初めて發けし時、高に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき

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村上光照老師の年賀状

2018年01月05日 | 佛教

毎年村上光照老師と年賀状の交換をしています。

いつも、ユニークな年賀状でつい頬が緩みます。

ここに紹介します。

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新春に一句

2018年01月04日 | 俳句

「外人も 柏手を打つ 初詣」

近所の天之御中主神を祀る神社へ初詣してきた。

時々自転車に乗っているところを見かける外国人(白人)がお参りに来ていた。すっかり日本人的感覚のようだ。

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謹賀新年

2018年01月01日 | 生活

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