内山興正老師が自己生命の有り様について、自己生命の方程式というのを考えられてその著作や講話においてよく明示されていました。
アインシュタインの宇宙方程式よりご自分の生命方程式の方が上だなんて冗談めいて言われたていたこともあります。
つまり、老師自慢の方程式です。
内山老師の「人生科読本」にあるその方程式部分をお見せしますと、以下のとおりです。
ところがもう一つ、ピンと来ていない人も多いのではないかということです。
例えば2/2はペアの在り方を考えてみますと、ペアである限り相手のことも一緒に考えて一体感を持ち連帯していることが自己の在り方になるということです。夫婦の場合一心同体なんていいます。
2人いてそれぞれが単に2人の中の1人つまり1/2の存在でないという意味です。
それがトリオならば3/3。それを拡大していくと日本人/日本人、全体/全体ということになるというのです。
これを図示するといつも紹介する老師の自己生命図になります。
ところが1/全体の存在でもあると別に書かれています。つまり、その中の1員でもあるということです。
この自己生命は一つなのに式が2つに別れているところが私にはちょっと気になるところです。
老師はかつて「自分と自己」という文章も書いておられます。全体分の1の自分と全体分の全体である自己を分けて書いておられるのです。
そこで老師に異を称えるようだけど全体/全体と1/全体と一つの式に入れて一本化したものを考えてみました。この方が私にはスッキリしたものになるのです。
それが次の式です。
1 2 1 2 3 1 3 日本人 1 日本人 全体 1 全体
自己=1=─=──=─×─=──=─×─=・・・・・=─────=────×────=───=───×───
1 2 2 1 3 3 1 日本人 日本人 1 全体 全体 1
1/全体は全体の中の1部、部分であること、それは1なる自分は全体に支えられているということでもあります。
一方、全体/1は全体は部分よって出来ている、部分によって支えられてると形になります。
また、一なる自分の生命体験によって全体なる世界が出来ているということでもあります。
1 全体
自己=───×─── 自己というのは宇宙の中では部分でありつつ全体性を有しているということになります。
全体 1
この式の×は兼ねているという意味に解すると、佛教の言葉で出てくる「即」に当たるでしょう。
「一即一切 一切即一」「一心一切法 一切法一心」「煩悩即菩提」「色即是空 空即是色」etc
例えば、坐禅もそうではないでしょうか。全体分の1の肉体でもって全体の宇宙を体現することを意味します。