建国記念の日
今日は建国記念の日、朝から日の丸の旗を玄関に掲げました。今年は紀元2675年、西暦とは660年の差がありますね。神武天皇即位の日ということで神代の話だからいい加減なところですが、国がある以上建国もあったのでしょう。素直な気持ちで祝いたいと思います。
さて、最初から脱線ですが、神武で思い出したことがあります。昭和46,7年のことだと記憶しますが、同じ職場の先輩が競馬ファンで大穴狙い、ある時、当時ジンムという名の馬がいて当たれば万馬券、それを10枚買っていた。「そんなの当たりまっかいな」と馬鹿にしていたら、「当たったらフグ食わしたる」なんて話に発展、ところがそれが何と大当たり。「神武以来の景気や」と京橋でてっちりを御馳走になりました。初めて食べたフグは美味かったという話です。
※昭和29年3月から32年6月までの高度成長期の好景気を国始まって以来の好景気ということで神武景気と言いなぞられています。
話変わって、ここから自己の国を作ろうという話をさせていただきます。
随処に主となれば立つところ皆真なり(臨済録)
今、ここにおいて自己を主人公として確立するならば自己の周りの一切は自己のものとなる。
「我が物と思えば軽し笠の雪」
「三界は我が有するところ その中の衆生皆吾が子」(法華経譬喩品第三)
何もかも愛おしくなる、内山老師のいうところの「出逢うところ我が生命」となるわけです。
自己世界を持ち、つまり自己の国を持つことですが、そこの主として振る舞うことなのです。
誇大妄想でもいい、国を持ち、それに名前を付けることです。
物でも買えば自分の所有物だということで名前を書くでしょう。それによって所有が明確になるのです。
日本人はロボット、玩具でも名前をつけます。それでより親近感を得るのです。
先週土曜日に淀川の土手をサイクリングして休憩場所で一息入れていたらベンチに猫がいて、おばさんが「ミーちゃん」と言いながら頭を撫でているのので、「その猫、何歳ですか」と聞いたらおばさんが「知らんの、野良猫だから」と返事。どこからともやってきて日向ぼっこしていることが多いらしい。その猫におばさんは「ミーちゃん」と名付けて勝手に呼んでいるだけ。
猫は知らん顔だが、おばさんにはとても可愛く思えるようです。
しかし、藤原道長の「この世をば」わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば」とこの世で自分の思うようにならないことは一つもないなんて考えたら大きな間違いである。どうせ最後は死にたくないのに死ななければならない。天から地への落差は大きい、その衝撃は普通の人間よりはるかに大きいに違いないのです。
イスラム国なんていうケッタイなものが現れたが、あれはテロリストによる悪の帝国、あんなものを作っては良くないのは明白です。
以前にも建国の勧めをしましたが、改めてお勧めします。いい名前を考えてください。名は体を表します。