十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

魂の叫び

2008年09月23日 | 人生

 子が親を呼ぶのは魂の叫、だから外国語で呼ばすような躾けをしてはならないと前に書いた。
 ところが近頃の親はパパ、ママの方が小さい子にはの方が言い易い、どこの家庭でも使っているのという理由でパパ、ママとよばせている。


 子供は教えればちゃんと母親を呼ぶ時「お母さん」「お母ちゃん」と呼べるのである。昔は皆それで育ってきた。私も幼い時は、「お母ちゃん」、長じては「お母さん」と呼んでいる。
 娘たちには端から「お父さん」「お母さん」と呼ばせている。


 さて、子は声のかぎりに親を呼ぶと同時にわが名を呼んでくれることを心底から願っているのである。パパ、ママ族にはその心情が理解できない、いや、考えてもいない。


 最近紐解いた書物の中に詩人三好達治の「わが名をよびて」という母を思う絶唱が紹介されていたがこのような心情が日本人の心の奥底には存在しているのである。


 わが名をよびてたまはれ
 いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
 あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
 風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
 庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
 ちらちらと雪のふるひのとほくよりわが名をよびてたまはれ
 よびてたまはれ
 わが名をよびてたまはれ



 子は親に呼びかけ、呼びかけられるのを待っているのである。そこにいのちの絆がある。絆となる言葉が軽薄に使われた外国語で
切れてしまう。


 親は子に呼ばれたら必ず答えてやらなくてはならない。面倒くさがっていては駄目である。そして名前を呼んでやる。


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老人の心構え

2008年09月15日 | 人生

 前期老人になって1年経った。
 老人の心構えは次の3つ。今の老人にできていないものばかり。


 もがかない   愚図らない   いつでも死ねる

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大阪クラシック

2008年09月13日 | 道楽

 9月11日、ザ・シンフォニーホールで行われた大阪フィルハーモニー交響楽団のイベント「大阪クラシック」を聴きに行った。



指揮:大植英次
ピアノ:河村尚子
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第4番
レスピーギ/ローマの松



 両方とも聞き知った曲だったので、気楽に楽しめた。初めての曲は緊張を強いられ疲れて聞き流すということになり勝ちなのは、年の所為か。



 西川香代さん、当日エキストラ出演したフリーランスのクラリネット奏者だが、実にチャーミングーな女性。10年ほど前、彼女がまだ京都芸術大に入学が決まったばかりの頃に知り合い、以来心の内で応援している。出演の案内をもらった時はできるだけ出かけている。



 今回はチケットの入手が遅かったので座席が後ろの方になって、顔がよく見えない。その上前のフルート奏者が演奏時に頭を傾けると隠れてしまう。その点、残念だった。

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行く先に我が家ありけり かたつむり

2008年09月07日 | 生命

 視点をどこに置くかで見えるものの様相が変わる。しかし、自分においては視点は常に「今、ここ」。この一点は動かない。不動である。
 
 いずこに赴こうとも自分のいるところが中心になって、そこから世界が展開している。自分が自分の世界の中心なのである。


  行く先に我が家ありけり かたつむり

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生まれ変わり

2008年09月02日 | 他教

 この国の人間は生まれ変わりの話が大層好きのようのようだ。
テレビでも生まれ変われたら、何になりたいとか、同じ人と一緒になるかなんて話がしょっちゅう出てくる。大真面目に質問して聞かれた方も大真面目に答えている。

 

 「生まれ変われるとしたら・・・」ならまだ仮定の話だが、中には「生まれ変わったら・・・」なんて質問をするのもいる。

 

 馬鹿馬鹿しい話だがまとも受け答えをするのは、生まれ変わりを信じているからであろう。このような迷妄をここで解いておきたい。

 

1 「生まれ変わり」つまり「再生」には個体の機能が維持されていることが条件である。維持された機能のみが再生されるのである。死はその機能が崩壊することであり、死して後の霊魂やらがどこにその機能が蓄えられるのか、そんなものはない。

 

2 生まれ変わりの霊魂は説かれるところでは1:1の対応である。一つの霊魂が二つになることは聞いたことがない。1:1なら人口が増加している状況の中では霊魂の数が足りないのである。

 

3 原始生物に霊魂が有や無しや、ばい菌に霊魂が有や無しや、霊魂が生命の元とはいえないのである。

 

4 人間生命は両親の精子と卵子の結合から始まるのである、そこにどのように他者の霊魂が入り込むのか。草葉の陰でチャンスを狙っているなんていやらしいったらありゃしない。

 

5 自分が誰の生まれ変わりなんて誰も覚えがないはずである。それを占い師や宗教家、霊能者と呼ばれる輩に「あなたは誰それの生まれ変わりだ」と言われて信じてしまうというのは頭が悪すぎる。

 

6 両親の愛の結晶として生まれてきているのに、他者を自己の中心に入れ込むのは親不孝の極みである。

 

7 自分の精神を成しているものは何か。親の資質を引き継ぎ、いろんな人に教わり、自らが体験してきたことばかりである。自らが自らを生きる、他はないのである。

 

8 生まれ変わりを説くことにより多くの差別が行われてきた歴史がある。

9 どの状態で生まれ変わるのかという問題もある。赤ちゃんからか、大人になってからか、人生の終焉ならまたすぐ死ぬことになる。赤ちゃんには天国も地獄もないだろう。

 

まあ、生まれ変わりなんかを信じるのは、暗示に掛かりやすい精神力の弱い人間だと言い切っておこう。それにそういうことを言ってそれを銭儲けにしている奴、許せんね。

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