久しぶりに重心の記事。
(長く、かつ分かりづらいことを先にことわっておきます)
もともと僕のブログは、ふろしきと重心で別々にあったが
重心の記事を読んでいただきたいばかりに
重心のほうへふろしきも統合したのでした。
以前、ランデブーというラジオに出させていただいた折に
パーソナリティの女性から
「重心が低いと、何がよいのですか?」と質問を受けて
数秒黙ってしまった。やむなく彼女が何らかの助け舟を仰ったのだが
僕のいつものくせというか、言いたいことがたくさんありすぎてしゃべれなくなったようだ。
だが、単純に 重心は土台であるから、低いのが特別ではなく
低くて、普通、当たり前のところが
日本人では昭和40年代あたりから 頭で考えすぎると反比例するように
足腰を使う機会が減っていったためか ぐんぐんと重心が上がっていったのだ。
日本人の90%が、胸以上の重心の高さというのは残念な現状である。
生まれたときはみんな低い。自我がなく、周りの環境と自分との意識の境界線がない、
大自然と一体であるため、重心が足よりも低いということもある。
物の重心と考え方、捉え方、解釈が違うのではと聞かれることもあるが
違いはないと思っている。
心も肉体もつながっているし、物にだってこころがある。
だから、家具や道具の重心さえ、単なる計算だけでは計りきれないところがあると思う。
心をこめて、真剣に作られたものと、愛のない製品では重心が変わってくる。
書けば書くほど分かりづらくなりそうだが、
たとえば鳥は、みずからの肉体と、乗っている風をひとつに感じられるからこそ飛べるのだと思う。
実際に、飛んでいる鳥の重心をみると、体よりも数メートル下であったので
ああ、ここの風を土台に飛んでいるのだと感じた。
昭和30年代ころまでの日本人の重心は、平均して腰の高さにあった。
江戸時代、幕末の写真をみると、腰よりも低くひざの高さ。
僕は20代になってから、彼/女のように重心が低くなれば、どんな感覚で生きられるのだろうという
憧れをもって、重心を下げる=自然体で生きるために あれこれと自分なりの修行を続けた。
それはやはり体をたくさん使うことになるのだが、筋力トレーニングではなく
実地の生活に即することが大切で、ふき掃除、一枚歯の下駄で全国旅行、風呂敷を背負って長く歩く
土、石、植物、生き物に親しむ、着物を着て帯を締める、そういう日常の連続。
重心を見る方法も、はじめは腰のみなぎりや肩の力の抜け方、顔の表情の緊張などから
割り出していたが、
そのうち、自分の意識を頭ではなく、腰から下へ集中させると
相手の重心のところへ目が留まる、という感覚になった。
それはそれで集中力を消耗するものであったが、
幾度となく繰り返すことによって、
今度は 見つめるだけで相手の重心で目が留まるようになった。
これは、考えてみれば当然かもしれないが
動物は敵や獲物の弱点を見抜いて、防いだり攻撃しなければ生きていけない。
この弱点というのは、弱いところ、弱っている部分ではなく
相手の頼みとする、重要な部位のところである。
右手が弱っていて、あまり使っていない人の右手を攻撃しても、その人は極端に困ることはないが
頼みにしている左手を攻撃され傷ついてしまうのは困る。
そういう考え方で、本当の弱点というのは 通常最もよく使っているところ
=血が集まって、筋肉もみなぎって体の中で重みをもつ位置=重心なのだ。
だから、先入観や印象判断なしで自然体で見つめて目が留まる部位こそが重心なのであります。
僕はもともと筋肉が少なくて上半身が軽かったお蔭か、足腰を意識してよく使うようになると
重心を徐々に落として、高校時代に肩にあったのが胸、腹、腰 そして、膝
最近は足首の位置にあった。
だから、どでかい風呂敷包みを背負ってもまったく腕や肩を力ませることがないので
後ろに背負って正面から見ると、何も持っていないように肩の力を抜くことができた。
今日、久しぶりに自分の写真を見て重心を確認したところ、うれしいことに
足首からちょっと下がって、くるぶしの高さだった。
自分の重心をみるには、鏡に映したり写真を見ます。
僕は、生活の安定を保障するようなものが、本当に何ひとつなく
おそらく同窓生の中でもっとも貯金が少ないと思われるのだが
それでもノイローゼにならずにこうして健やかに生きていることができるのは、
やはり低い重心で心身を安定させ、いますべきことだけを感じて動くことができるから、と
感謝しています。
そして、顔知れずとも ここのブログを読んでくださっている人がたの時間を
かけがえのない応援にかえて、
僕の日々の行動が はからずも この地球と、ここに暮らす全ての命に
何らかのよい貢献ができていれば、と願います。
いつもありがとう、すべてのものに。
追記
ふろしき講座とは別に、
忍者(ナンバ)歩き、忍者走りのワークショップをしてほしいと
言われたので、そのうち開催したいが
歩き方というものを一度の講習で変えることは困難と思う。
ただ、この感覚を味わってもらえれば、その後の日々の
意識と歩き方によって、僕が20才を過ぎてから変えたように
誰でもできるとは思う。何しろ、もともと忍者歩きのほうが自然なのだから。
右手と右脚、左手と左脚を同時に出す、とよく言われて、
いかにも変な歩き方を披露している映像を見かけることもあるが
実際はだいぶ違い、非常に涼やかで風のすべり流れるような歩き、走りです。
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