ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 





ふろしき仲間の1人のブログに、大あさの小ふろしきによる
おけいこバッグが紹介されていました。
furoshikigirl
麻はその生長の早さと生地の通氣性と速乾、丈夫さにより
長く日本人の暮らしの布として愛用されてきました。

SNS社会では、視覚的な「いいね」が第一義となっていますが、
実際につかって、肌で触れてこそ分かる魅力があります。
ふろしきとして使いやすい麻は、大あさ(ヘンプ)と
亜麻(リネン)の2種類あり、前者は生成り(ナチュラルグレー)や白が多く、
リネンは各色あります。

僕がいつも背負っているふろしきも、
本体は大あさ、カバーはリネンで、
中身の風呂敷は、木綿の小が6枚(きんちゃく状に結んだ小物入れも含む)、大あさの小が2枚、
木綿の大が2枚、大あさの大が1枚、ナイロンワッシャーの大(雨具などに)が1枚です。
まとめると、麻が5枚、木綿が8枚、化繊が1枚ですが、
表面積でいうと麻が7割を占めます。お蔭で、背負っても汗で蒸れることが少なくて助かっています。

オーダーメイドを承っておりますので、
お氣軽にお問合せください。
使い方にあわせて、ふさわしいサイズと、
結び方のご提案もさせていただいています。
プレゼント用などに、名前の刺繍(手縫い)も可能です。
メール isamix@gmail.com 横山功

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都市農園についての映画の試写版が、明日6/21までyoutubeで配信されているのを
友人より教えていただいたので、こちらにも紹介します。僕も、これから観てみようと思います。

「都市を耕す エディブルシティ」

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実家の屋上に蒔いた種から、エゴマと青ちそが
人に配れるほど採れている。

週に1度訪れて実家に1,2泊している程度なので
水やりもほぼ雨頼りですが、
期待以上のワンサカ娘に育ってくれて
ありがたいことです。

トマトやゴーヤ、モロヘイヤはまだそれほど繁っていないので、
肥料不足なのかと、草しか食べていないうさぎの糞(無臭)を
試しに少々うずめてみました。
次週どう変化しているか、楽しみです。

ともあれ、日当たりのよい屋上は、日蔭がちな地面より
むしろ野菜は育ちやすいかもしれないし、
排ガスの影響も多少少ないだろう。

でも、それが地面でも路地の鉢でも、
街路樹の下であっても、
日々、人の目と手と思いを注いだなら、
植物は理由あるリアクションを必ず見せてくれる。

日野の家には今、キウリの苗もある。
それを実家の屋上に植えて、げんきににょっきりと
育ってくれたら、お店のスタッフの方たちと、
自家製の味噌をぬってかじる、
そんな夏の、夢をみている。

店は道具屋だけど、そこには道具に関することだけでなく、
様々な世界が同居している。

人のよろこびもまた、
表向きの目標とそこへのプロセス、
つまり本業、それとは無関係にみえるところに
人それぞれの本質や生き甲斐があったりするものだ。

それはそのままでもよいし、
併せて趣味や副業にするのも、
転職するのも自由。

自由意思、じいう行動を、
会社や社会が抑圧してきても、
決してまるめこまれることなく、
自分がその権力や理不尽をまるめこんでしまえ。

あなたはかしこく、
自由なつばさを愛し、
そしてたくさんの存在に愛されているから、

やさしい心で蒔いた種は、
いつか必ず、大輪小輪の花々をさかせる。

恩師のことば
「何をしても苦労はあるから、
好きなことで、
すきな人と、苦労しよう」◎

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ふろしき仲間たちと協同する漫才風呂敷講座のほか、
これまでのようにピンでも変わらずつづけてゆきますが、

友人いわく、僕は芯が生真面目だそうなです。
まじめな者が真面目に表現するよりは
やわらげた方が調和するため、

今までも多少はユーモアを添えようと
意識してきましたが、
より、ボケをふやしていっそう楽しい講座にしてゆきたいと思います。

折しも、ウイルス騒動もあって
動画配信の需要や日常化がありますので、
エンタメ色を増すのは意味のあることと感じます。

結び方は、丁寧に分かりやすければよいのではなく、
受講者が興味を持つことが大事なので、
堅苦しくなく、笑いのある講座へと
切り替えて参ります。

それは無理に演じるのではなく、
より自然体で臨むことで、即興の面白さが出てくるでしょう。

思い起こせば、10年ほど前、あらびき団という
お笑い芸人の登龍門のような番組に
何故か出演したことがあります。

そのときはお笑い志向が無かったので
あまり期待に添えなかったかもしれませんが、
オファーがあったのは何らかのご縁なので、
感謝の意も込めて、今後、面白い講座へと向かっていけたらと
楽しみにしています。

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ホームページ
http://furoshikiouji.asia/
のトップの写真がカタカタするのは、
1つの動画ファイルにすることで解決したようです。

今後はより躍動的に、スライドショーから、
動く映像へと向上させる予定。

本日は実家へ。
牧草由来の堆肥を、野菜用に持ってきました。
よい土になると嬉しい。

短ぱんと下駄も、宿泊時の部屋着として用意しました。

路地の金魚には砂利を足します。

雨の前に、屋上のひび割れの補修もします。
曇りなら作業はしやすいかと。

様々な作業を、店の手伝いの合間に手早く、
氣づかれず(きづかれてもよいが)、忍者のように
無駄なくぱぴっと行なうようにしている。

しかし一見無関係なあらゆる行動は、
互いに補完しあうもので、結果的に
お店の進化へとつながるものだろう。

まだまだ、余計な経費がかさんでいると思う。
売上をあげようとするばかりでなく、固定費を減らそう。
その分を人件費に回せば、モチベーションと内容、サービスの
充実へ向かう投資ともなる。

ともあれ、何事も片付け掃除からはじまる。
ちょっとした片隅を整えつつ、
美の連鎖反応を
世界へと広げてゆこう。

追伸
風呂敷講座のエンタメ枠として、
漫才ふろしき講座を始動しています。

全国の風呂敷なかまと連繋しながら、
笑えて楽しめて、役にたつ伝え方を
生み出してゆこうと思います。 

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ふろしき講座、たのしんで無事に終え、帰宅中。
みなに親切に和やかにしていただいて、
心より感謝です。

懇親会まで開いていただき、名残惜しくも、
短い時間のなかで濃い交流ができて、
うれしく思っています。

今回は、座席を離すことで見づらくなる方のために、
手元の映像をスクリーンにうつしながら行ないました。

同時に、お手伝いの方も入り、
より親しみやすくなったかと感じています。

話が変わりますが、
こちらのブログを引っ越す可能性があります。
10年以上の記録でもあり、削除はしませんが
ホームページと一本化したほうがよいとの意見をいただき、
僕も性格的にはすっきり一つにまとまったほうが好きなので、
このブログより前に1999年から書いていた日記の形、
それは、HTMLデータで日記のページも作ること、に戻そうかと思います。

そうなると、サーバーのデータ量の制限もあるため
これまでのような思うままの文章にならないかもしれないけれど、
元々中学時から俳句を詠んでいたので、短くするのは嫌いでないし、
かえって内容のまとまった分かりやすい形になるかもと、
期待もしています。

また、スマホからは僕のホームページが、
写真の移り変わりの影響か、カタカタと揺れると
今日お聴きしましたので、手直ししていきます。

あらまほしき形は、シンプルだけど内容がよい、というものです。

部分が全体を変えるような、ちょっとした所への
心くばりに満ちたものにしよう。

2020年、変わり目です。

今日の講座を支えてくださった、
主催者、参加者、助手の方、自分のからだに
並々ならぬ愛情を送りながら、
すてきな明日を希求してゆきたく、
改めて、無限のげんきを確認いたしました。

たのしく、
自然体で、結果的に
有意義に、

何があっても
芯は優しく、
奇跡を信じて、
直接の交流を大事にして、
末ながく、永遠の今を愛でて、
まなざしの清らかさと温もりをめざし、

笑顔を忘れず、
愛に基づき、
離れていても目を閉じて見つめ、
必ず再会しよりよい関係を築き、
嫌いな人と分かりあえる日をねがい、
二度と会えなくなっても自分の音色にその人をかんじ、
あの日のぬくもりと匂いを思い出して、
必ず、あるべき清浄を取り返し、
そのために、
確かな思いと、
生きている時間を
そっとずつ、重ねつづけていくと、決める。

いつも、自分に、
さようならと、
はじめましてと、祝おう。

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白いくちなしの、優しいかおり。
可憐な、ユリのオーラ。
ムクドリの若鳥。
ノウゼンカヅラの夏色。

今日は、愛知県の春日井市でふろしき講座です。
テーマは防災。

とゆうても、風呂敷の使い方はいつでも臨機応変なので、
非常用の特別なむすび方があるのではなく、
応用、アレンジ、見立ての1つになる。

状況と環境によって、答えも変化する。
その問題を、その場にある素材を生かし組み合わせて
するりと解決する。

選択肢が少ないと、ときに致命的な無理をしかねないので、
日々の日常の暮らしのなかで風呂敷の技を
身につけていれば、涼やかに事もなげに対処できる。

技といっても、ふろしきはとてつもなく簡単だ。
大切なのはさじ加減で、
結び目の大きさの調節次第でも結果は変わる。

現代は、既に使い方が決まって、用意されており、
誰がやってもそこそこ形になるという商品に
囲まれているため、小刀のように、初めはおぼつかなくとも
使いこなせば便利至極、という身体化の感覚が減っていると
思われる。

失敗しない、無難で表面的な道具やレシピは、
勘や身体感覚を低下させる。

本来、1人1人の体の癖は異なるため、道具も自分に
合わせて作ったり改造するのも自然であるし、
逆に、どんな道具も使いこなせる、柔軟な身体性の、
双方の歩み寄りあって、まほう使いとなれる。

ともあれ、本日の講座は、非常時における
様々な場面で、風呂敷をどう生かして解決へつなげるかを
まずは受講者が自分で考えて試してみる、
というスタイルを主にしよう。
みんなで先生のいう通りに、1から順を追い真似てゆく
ような、駄目な学校のようなやり方はしたくない。

それでは暗記すれば成績がとれるのと同じだが、
実際はリアルにどんな状況が訪れるかは未知なので、
先生のいう通りにやったけど、
中身がでかくて風呂敷の角が届かなかったから
無理でした、ということにならないよう、
ゼロから自分で、不器用でも愚直に試して、
たくさん失敗する中に発見や感動も得、
自分のからだを、
自分のふろしきを
見つけ育てていく、
そういう人がふえていったら、
世の中はもっと、
たのしくなるだろう。

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屋上にさつま芋を植えた。
エゴマはどんどん収穫できているが、
トマトやゴーヤは小さいままなので、
肥料分が足りないと思っている。
次回、何らかの堆肥か糠など混ぜてみようかと。

屋上から階下への雨漏りは、かなり前に
ひび割れをコーキングしたときに
ヘラが無くてきちんと埋まっていなかったと
思われるため、このたびいったんはがして
再びしっかりと塗り固めた。
ただ、材料が途中で尽きたため、これも次回つづきをする。

お店の屋上からの雨漏りは、前回のコーキングが効いたのか
その後の大雨でも漏れなかったようだ。
工務店にお願いすると、全面打ち直しレベルで完璧になおす
ため、数百万かかるようなので、
自分で丁寧にやってみている。

店の床は、業者にワックスかけを毎月頼んでいるのだが、
掃除はせず、ホコリがあっても
塗ってしまうのが数十年つづき、
白かった床はグレーになっている。

そこで、黒ずんだワックスをヘラで剥がしてみたが、
非常に地道で時間のかかる作業となる。

ちょうどそこへ、若いころワックスがけのバイトをしていたという
方が来店し、こんどワックス剥がし液を分けてくださるという。

剥がしたあとに改めてワックスをかけるのも、
試しに自分でやってみたいと考えている。

個人的には、床は、しゃれたタイル張りがよい。

様々な変化も、ちょっとした片隅の、
手をかけた掃除が、呼び水となり、
広がって、ふくらんでゆく。

一点集中で何かを整えると、
思いつく、考えつく、
目標自体が変わってくる。

散らかった部屋で思いつくような目標は、
本当にしたいことか疑わしい。
部屋と同じく、ごちゃごちゃした心を忘れられそうな
目標を、無意識に立ててしまうかもしれないから。

ワンコーナーだけでもよいから、
無心にととのえることから、
いろいろと、扉がひらく◎

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週に1度、実家の店に単身赴任をしています。
僕が通うからには、生きものや植物が
知らず知らずふえてゆくことに。

ただ加えるだけでは、混み合って目につきますが、
片づけをして空いたスペースに置き換えることで、
四季のような自然な変化を目指します。
屋上にエゴマやモロヘイヤ、ミニトマトの畑、
路地に金魚とミント、玄関にヨシ。
今はそれたちに会いにいくのが楽しみ。

下町の玄関の前には、植木鉢がならんでいて、
家の人や通る人と、日々見つめあっている。
その街の雰囲氣は、人と植物の関係性が生み出している。

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プロフィール写真用に頼まれ、筆ペンで。




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この季節、庭木のどこかよりしばしば
雨がえるの声の鳴りひびいている。
会えるとすれば、夜に水場のそばに。
メスを呼んでいると思われるものの、
ここにいるのはオス2匹だけかも。
それでも、あきらめずに鳴いていれば
きっとメスも現れるでしょう。

あまがえるの、灰褐色のおたまじゃくしが大好きです。

その他の、庭にひそみたるカエルたち。


あかがえる(山あかがえるかも)


ひきがえる。毎年庭の池で産卵


東京だるまがえる


おまけ。クサガメの亀吉(あるいは、かめちき)
友達が殖やしたちっちゃなゼニガメが、だいぶ成長しました。人に慣れていて、食いしん坊。

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昨晩の激烈の雨、そして雷に洗われて、
街も空氣も清浄な、居るだけでげんきになる日でした。

家族は裏高尾へ散策に行きましたが、
僕は留守番しながら、麻のマスクを縫ったり
庭でいきものを観て過ごし、
夕飯を手がけました。

明日は午前中に縫いものをし、
午後は借りている、山の畑に行く予定。

まだ桑の実あるかな。

本日は、裏庭のセリで育ったキアゲハが羽化しました。

いきものたちは食べ盛りの季節で、
3匹の亀はミミズや団子虫に食らいついている。

姫睡蓮の甕から、久しぶりに、トウキョウダルマガエルが
顔を出していた。
まだ比較的小さな、子どもの蛙だが
どこから来たのか不明。

ひとけを感じれば、シュッと水中へ潜ってしまうものですが、
不思議と末っ子が手を伸ばしても逃げず、
なんとカエルの額をぴとっと撫でていました。

動植物の反応は、人次第で変わる。
まだ見せたことのない動向がたくさん隠されていて、
そこが今世紀最大の秘境ではなかろうか。

それは人にもいえること。

ふわふわと微笑んでいるような人も、
扉がひらけば、熱くて激しい思いを
投げかけてくることだってある。

自分のまなざしが変わることで、
見慣れた風景がまるで新鮮に映り、そして
その見え方にふさわしい状況がしぜんと訪れる。

物は、自分に丁寧に、こまめに手をかけてくれる存在を愛する。

もしも、物がその氣になったら、
生きもの以上にエネルギーを発して、
望む在り方を実現するだろう。

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実家の玄関のテントが真っ黒に汚れていたのを、
脚立に乗って水とぞうきんとモップで拭いて、そこそこは
きれいになった。

ゼロか100かではなく、そういうちょっとした手入れが、
見た目だけでなく、無視や放置をしていない意味で
テントと自分が通じあうようになる。

物と友達になるには、下手でも自分の手をかけるのがよい。

年に1度、業者に完璧に掃除してもらうのもよいが、
月にいったん、軽く水拭きするような
ささやかだけど小まめな手入れ。
そのほうが、長持ちするし、よい氣分が持続すると思っている。

買った金魚5匹は、まだ新しい環境に慣れないのか
底の方の藻の下に寄り集まっている。
たまに遠出(?)をしても、物音をたてたり
人が近づけばすぐまた、中央の底にある藻の下に
瞬時に避難する。

来週また実家の手伝いにゆくときには
水槽じゅうをスイスイと泳ぎ回っているかな。
ここに、砂利とヌマエビを足す予定。
ヌマエビは食べ残しを片付けてくれる。
よかったら、もしよかったら、どじょうも一緒に来ませんか?

これまで、金魚は見た目、特に色の華やかさが
魅力なのだと思いこんできたが、
このたびきちんと目の当たりにして、
金魚は仕草と、顔の表情も可愛いという、
新たな感動を得ました。

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今日は、まず田町で買いもの。お塩など。
スタッフの方たちとお話しして交流。

次に、稲荷町の小料理屋にふろしきを届けます。
出前弁当配達用。
浴衣地三巾の大風呂敷が、そこで使うにゃちょい大きすぎる
とのことで、ひと回り小さく縫い直してきました。
保育園に送る風呂敷と合わせて、
一晩で18枚縫製。
裁断は前日にしています。

お届けしたお店で、今度ランチをしてまた紹介したいと思います。

13時からは実家のお店。
路地の水槽用に、エビと水草を持ってきました。

こまめく通うようになると、徐々に自分の世界を
作ってゆく。

実際に鉢植えを置いたり、整理整頓して見える化すると、
物や場と知り合いになり、それらは味方になってくれる。

急な変化は長つづきしない。
日々、ほんの少しずつでも
手と思いを込めながら、
場や物と、言葉のない対話をつづけているうちに
いつの間にか、揺るがないものとなっている。

それを支えるのは、これまでの思いの蓄積。

嬉しさや楽しさによる、思いの深まりももちろんですが、
悲しさや悔しさはより忘れたくないものでもある。

新しい水槽にヌマエビを移したとき、
水質の急変によって死なせてしまったことがある。

しかし、元の水をたくさんは持ってこれないこともあるので、
出来るなら、エビが元々いた所の砂利を、
洗い流さずに持ってくるとよいと思う。

透明だったエビは、死ぬると赤くなり、
魂の抜けたことを見せつけられる。

金魚やメダカは、意外と新しい水にも順応するように見える。
それはきっと、粘膜が守っている。

エビが死んだことを悔やみながらも、
自宅の水槽にはまだ沢山いて、殖えている。

死骸は団子虫が食べにくる。
お互い、殻が頼りの存在なので
引き寄せるものがあるのかも。

ともあれ、人は意図も予期もせず、
当然悪氣がなくとも、失敗はつきものだから、
それを前提に、システムを構成する必要がある。

うまく行かずとも、いつでも元通りにほどいて
もどせるのは、まさに風呂敷の方法。

死んだエビは団子虫の一部となり、
食物連鎖を通して
様々にいのちの形を変えながら、
またいつか、きっと
エビに関わる要素に舞いもどるだろう。

さて、お店の後に
熱帯魚屋まで自転車を漕いで、
金魚を買いました。
金魚すくいにいるような、小赤と呼ばれる
ワキンの子どものようなもの。

路地に置いた水槽にボウフラがわかないようにという
目的が半分で、
あとは心の潤い用。

江戸できんぎょが流行ったのも
ボウフラ対策という説があります。

このような多目的性を期待するため、
風呂敷も金魚も、
それ自体はシンプルなものを選びたい
感覚があります。

何にでも似合うというのは、
全てに共鳴できるという意味で、
シンプルというのは要素が少ないのではなく、
全部あるから飛び抜けた特徴が分からないという
完全無欠のシンプルであろうと、
矜持を抱いております。

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