漢字の音符

漢字の字形には発音を表す部分が含まれています。それが漢字音符です。漢字音符および漢字に関する本を取り上げます。

漢字の筆画(ストローク)の重要性

2017年11月18日 | 漢字の音符
 漢字を分解してゆくと、一・亅・ノ・㇆・㇗・㇜・㇇・㇙・㇛などの要素から構成されていることが分かる。これらを筆画ヒッカクまたは漢字の画(ストローク)といい、漢字の字体を構成する最小単位の要素(エレメント)となっている。書道では普通、点画テンカクと呼ぶ。これらの要素は、一画一画、筆を離してきちんと書く楷書とともに成立していったと考えられる。

 漢字を初めて習う小学生は、学校で先生から漢字の書き順を学ぶが、この一つ一つが筆画である。筆画はいわば「漢字の書き順のひと区切り」でもある。このため、本来的には最小単位とは言いがたい㇉・㇡・乙などの要素も、一つのストロークとされている。筆画は、一と乙のように1ストロークが一つの文字となっているものを除くと、意味も発音もなく、漢字を構成する最小単位である。この単位がいくつか集まって結合すると、突然、意味と発音のある基本漢字に変身する。この最小単位(ストローク)は漢字の画数を決定し、漢字字典を検索する際の画数索引のもとにもなるから、非常に重要なものである。
 ところで、日本では小学校で筆画の初歩を学ぶが、筆画が全部で何種類あるのか、一つ一つに名称があるのか、といったようなことは学ばないし、第一、教える先生も知らないようだ。実は、これを書いている私も知らない。

非漢字圏から筆画の研究者が現れた
 ところが、非漢字圏の日本語学習者の中から、漢字を筆画の要素から分析する研究者が現れている。中央アジアの山岳国家であるキルギス共和国のガリーナ・ヴォロビヨワさん(以下、「ガリーナさん」と表記)もその一人である。以下の文章は、ガリーナ・ヴォロビヨワ, 伊藤広宣著『人生をかけた日本語教育 : 実践と研究をつなぐ二人の対話』 からの引用・抜粋である。(書名を検索サイトに入力すると、PDFで閲覧できます)
 ガリーナ・ヴォロビヨワさん 
 ガリーナさんはキルギス日本センターで開講された日本語講座で、46歳から日本語を学びはじめた。最初は平仮名、続いて片仮名と、日本の見慣れぬ字を繰り返し書く練習をした。何とかマスターして次に漢字の学習に入ると、その習得の大変さに辟易した。頑張っても漢字がなかなか覚えられない、覚えてもすぐに忘れてしまうので、日本語学習をやめようかと思うほど苦しかった。だから、漢字学習が難しくて主にそのせいで日本語の勉強をやめた同級生が多かった。

 しかし、努力して課程を修了したガリーナさんは卒業後、キルギス日本センターの常勤講師になり、さらに後にキルギス国立総合大学の日本語上級講師として働いた。彼女は、ひたすら暗記にたよる漢字学習を改善しようと、自分で漢字の教科書を作って出版した。初級Ⅰレベルで220字を収録した『漢字物語Ⅰ』(2005年)、および初級Ⅱレベルで298字収録の『漢字物語Ⅱ』(2007年)である。この教科書のなかで、彼女は漢字の画について画期的な方法を採用している。それは、漢字の筆画を24種類とし、そのストロークのおのおのにローマ字を当て、一つの漢字の筆順をローマ字で示したのだ。これによって日本人もはっきり知らなかった筆画(ストローク)を体系づけたのである。

彼女はなぜ筆画に注目したのか? 
 ガリーナさんはなぜ筆画に注目したのだろうか? 著書のなかで彼女は語っている。「ある日、一人の日本語に無関係の友達に私の日本語の教科書を見せてほしいと頼まれました。教科書を見せると、驚いて私に聞きました。『あなたは一体どうやって漢字を見分けるの。みんな同じじゃない。ほら、みんな小さい家の形をしているじゃない』。初めて漢字を見る非漢字系の人のこのような反応は当然だと思います。日本人の子供は生まれてから周りの漢字を見て、それを学習すべきだ、学習しないと生活ができないという考えがいつの間にか脳に入ります。それに対して非漢字系学習者の脳の準備はまったくなく、漢字学習をしはじめてショックを受けるのは当然のことです。そのため非漢字系学習者には漢字学習の予備段階が必要だと思いました。」

 そこで彼女が思いついたのは、ロシア語で使用されるキリル文字を覚えたとき、文字を書かせられる前にその文字のエレメント(構成要素)を書かされたことだった。そのおかげでキリル文字の書き方が分かりやすくなって、きれいに書けるようになったという経験があった。そこで彼女は日本語の先生に、漢字を構成するストローク(漢字の画)の種類と数を尋ねたが、聞いた先生の誰もが説明できなかったという。そこで自分で漢字を分解してストロークを抽出した。のちにロシアで発行された中国語の教科書にストロークの種類が入っている表が公開されているのを知り、それを利用することにしたという。

基本となる24の筆画
 こうしてガリーナさんは、中国語教科書に載っていたストロークの種類表に準拠して24種類のストロークを採用し、さらに学習する生徒に分かりやすいように各ストロークにアルファベットのコードをつけた。ガリーナさんの論文、「漢字の構造分析に関わる問題:漢字字体の構造分解とコード化に基づく計量的分析」(国立国語研究所論集9) 及び、「非漢字系日本語学習者の漢字学習における阻害要因とその対処法:体系的な漢字学習の支援を目指して」(国立国語研究所論集12) にその内容が報告されている。(いずれも論文名を検索サイトに入れると、PDFで閲覧できます)
 以下の表が24種類の画とそのアルファベット・コードである。なお、私はガリーナさんが採用した筆画ストローク表(以下、ガリーナ表という)を分析して、点・たて画・よこ画・斜め画・折画・複合画に分けて表にしてみた。日本の書道の点画や、現在の中国での筆画と比較するのに都合がよいので、一緒に掲載させていただく。
 ガリーナ表

 
 
 それから彼女は、この表をタテ一列に配列した漢字の画の練習シートを作成したのである。初めての学習者にこの表でストロークを練習させたうえで漢字の筆順の説明をすると、学習者にとって分かりやすいことが確認できたという。

 非漢字系の学習者にとって、今まで見たこともない漢字がどのような要素から出来上がっているのか説明し、その要素の一つ一つを書いて練習する。次にこれらの要素を順番に書いてゆくと漢字が書ける、という手順は非漢字系の学習者にとって大変分かりやすいと思われる。さらにガリーナさんは、この表は片仮名を教えるのにも役立つことを指摘している。片仮名は漢字の一部を取って作られた文字であり、漢字との共通の画を含んでいる。片仮名の書き方の習得を漢字の予備段階として指導することで漢字学習の初歩は容易になるという。
 日本の漢字学習でもこの方式は有効であると思われる。子供たちに最初にストロークの種類を教えれば、子供たちは生涯これを忘れないだろうし、次の段階である漢字の書き順も、より容易に覚えることができ、さらに漢字字典の画数索引をもっと気軽に利用するのではないだろうか。

 次にガリーナさんは、このストロークを基礎にして漢字の構造を説明する。例えば、町という漢字は、「田+丁」だが、さらに田と丁をストロークに分解して、それを一緒に図示するのである。
 
 町という字にとって、この字を構成する画(ストローク)は言わば原子であり、これらの原子が組み合わさり文字としての最小単位である田と丁となる。田と丁は分子であり、これら2つが組み合わさった町は高分子であるといえよう。そして町はストロークコードで、BHBAAAJと筆順を表示するのである。漢字をここまで踏み込んで分析した日本人はいない。非漢字系の研究者だからこそできた成果である。

日本では筆画をどうとらえているか
 ところで、ガリーナさんが漢字の画に興味をもち、日本語の先生にストローク(漢字の画)の種類と数を尋ねたが、聞いた先生の誰もが説明できなかったという話を紹介した。私もストロークの種類と数を知らなかったので図書館で調べてみた。
 まず、書道では筆画を点画というが、ほとんどの本は点画の説明として、よこ画の書き方として「三字三法」、たて画は「川字三法」、たてと横画は「十字二法」など、実際の文字(三・川・十)によりその書き方を説明する。複雑な画については、「永字八法」と言って永の書き方に八つの方法が含まれているとしている。しかし、永の字のストロークは5画である。5画の字で八法を説明すること自体が、筆画の認識を欠いていると言わざるをえない。それに続いて、左払い・右払い・そり・折れ・曲がりなどの基本点画を示すものが多い。しかし、点画の種類と数を記述したものはなかった。

 書道関係の本で参考になったのは、本橋亀石著『現代 書道三体字典』(尚学図書 1983年)の表紙裏の見返しである。ここに「楷書の基本点画」と題した表が掲載されており、点画の基本的なものが体系的に紹介されている。以下が、その一覧表である。

 この表は全部で28のマス(枡)に各種の画を収めているが、1列下Dマスの点は2種あり、7列の最上部Aマスは阝(こざと・おおざと)を構成する画で日本では2画に数え、下部C・Dマスの灬(れんが)と辶(しんにょう)は部首であるから省くと、差し引き26種となる。
 具体的に見てゆくと、右の第1列は、よこ画2種、点3種である。第2列は、たて画が4種。第3列は左払い4種。第4列は、右払い2種・右上払い2種。第5列は折れ4種。第6列は曲がり2種・そり2種。第7列は折れそり1種で、合計26種である。さすが書道の本だけあって、たて画や左払いは細かく分類している。この表には折れ画にフや、㇜の画はないが、これらを除くと書道の基本点画はほぼ揃っていると思われる。
 問題は、これらが合わさった複合画である。ガリーナ表にある、㇠・㇉・㇋・㇡などはない。一般的に言って書道では、三字三法のように3つとも同じ筆画である「三」の字を、どうバランスをとって書くか、といった方法に重点がおかれて、点画を漢字の要素として包括的に捉える意識はうすいようである。

漢字字典では筆画をどう扱っているか
 では漢字字典では筆画をどう扱っているのだろうか。字典には必ず各漢字の画数が記載されている。だから筆画について何らかの説明があるはずだ。そこで私の持っている漢字字典計11冊を調べてみた。何らかの形で筆画に触れている字書は3冊あった(3冊しかなかった)。 そのうち2冊は出版社(大修館書店)が同じで「部首と画数」と題する同じ内容のコラムである。そこでは画数について「画数の数え方は、一筆で続けて書く形を一画と数えるのが基本である」としながら、「ものによっては、何画で数えるか判断が難しい場合も生じてくる。例えば、比の第二筆めは明朝体活字では二画のように見えるが、筆写するときはレのように続けるので一画である」などと、明朝体の活字と筆写の字形での違いや、さらに旧字体と新字体での画数の違いについて説明している。これは画数とはどんなものか分かっているとの前提に立っての説明で、画数の種類やその数について触れていない。

 もう一冊は『漢検漢字字典』である。ここに「漢字の画数」という項目があり、「画数で注意するのは、ひとつづきに書く線はすべて一画として数えることである。例えば、弓という字を書くときに「㇕」を書いて鉛筆を紙からはなし、「一」を書いてはなし、最後に「㇉」をひと筆で書く。鉛筆を紙から3回はなすので、この漢字は三画であることがわかる。たとえ曲がっていても、ひとつづきに書く線を一画として数えるので、例えば「㇚・㇆・㇗・㇜・㇇・㇙・㇛・㇠・㇉・㇡」などは、すべて一画となるのである。ちなみに「凸」「凹」は「㇅」の部分を一画で書くので、画数は供に五画になる」(要旨)と述べている。かなり複雑な筆画まで挙げて説明しているが、全体で種類がいくつあるかは触れていない。
 以上で分かるように、日本の漢字字典は筆画の定義はするが、具体的な種類とその数については何も説明していないのである。結局、書道を含めて、日本でストロークの種類とその数は正式に確定されたものがないことが分かった。これでは国語の先生が説明できないのも無理はない。

中国では筆画はどうなっているか
 日本語の先生がわからなかったストロークの種類と数を、ガリーナさんはロシアで発行された中国語の教科書で公開されている表を見つけて採用したという話を先に紹介した。これに関して私は現在の中国では筆画はどうなっているか、ネットに手掛かりがないか調べてみた。筆画は中国で「笔画(bǐ huà)」という。笔画で画像検索すると、いくつかの表が見つかった。さすが漢字の国・中国である。また、それぞれの筆画に名前もついている。主なもので4種の表を見つけることができた。28種を含む表が3つ、31種を含む表が1つあった。ここで最も種類の多い31種の表を紹介する。
 「漢字筆画名称」
 上記筆画を私が形態別に表にしたのが、以下の表である。

 この形態別の表から、中国の筆画の特徴を述べてみたい。この筆画表は全部で31種あるが、まず、最下段の中国特有画は、①②が簡体字でのみ使われる画、③④は日本では2画に数える画である。この4つを引くと27種になる。中国の筆画がガリーナ表と比べて異なるのは、
(1)点が1種であることである。書道の本橋亀石表(以下、本橋表という)では3種、ガリーナ表では2種あるのに対し、中国では1種に限っている。 
(2)たて画はガリーナ表が2種に対し中国は、たてのそり画を加えた3種である。(本橋表は4種) 
(3)よこ画は、すべてが2種で共通。 
(4)斜め画は、左斜めがガリーナ表2種に対し、中国は「ノ」1種のみである。しかし、中国の別の筆画表には角度の急な「㇁」があるが、左斜めとしては1種になっている。中国では左斜めであれば傾斜の具合は区別していないようだ。(本橋表は4種ある) 
(5)はね上げ画は、どちらも1種。(本橋表は2種) 
(6)右斜めはガリーナ表、中国ともに2種。(本橋表は3種) 
(7)折画のたて折は、ガリーナ表3種。中国画は、たて折①から角が曲がる形を独立させて4種。(本橋表は3種) 
(8)く折画は、ガリーナ表、中国ともに2種。(本橋表は1種) 
(9)折画のよこ折は、ガリーナ表3種、中国画は右下そり画を加えた4種。(本橋表は3種) 
(9)複合画はガリーナ表が5種、中国画はさらに、㇅と㇞を加えた7種になっている。
 全体として見ると、ガリーナ表24種に対し、中国画27種で、㇅と㇞など、わずかの画が採用されるか否かの違いで、基本的な差異はない。ガリーナ表の元はロシア発行の中国語教科書であることから当然ともいえる。
 以上、中国の筆画について調べたてみたが、中国では何種類もの筆画一覧表が作られている。この点において一覧表をつくる試みがまったく見られない日本と対照的である。

日本の筆画一覧表をつくる試み
 非漢字圏の日本語研究者・ガリーナさんによって、日本漢字のストローク(筆画)を確定する試みがなされ、初級の漢字教科書で筆順のコード記号として採用されている。私は、この試みに大変感動した。そして、彼女の試みによって筆画(ストローク)が漢字を構成する最小の単位だということを認識した。
 本稿で、ガリーナさんの筆画の表と、日本の書道家・本橋亀石氏が作った楷書基本点画表、それに中国の漢字筆画一覧表を紹介した。ガリーナさんの表はロシアの中国語教科書からの表であるが初級のものと思われ、日本人の私からみると一部追加していただきたい筆画もある。そこで、日本人として日常生活で用いる4000字程度の漢字に適用できる筆画一覧表ができないものか検討してみることにした。以下が、私が試みに作ってみた筆画一覧である

 この表は最初に使用した形態別のガリーナ表に、追加したい筆画を赤字で記入したものである。赤字の筆画は4種になり、筆画の合計は28種になった。追加した種類とその理由を以下に説明する。
 まず、たて画③の「たて反り」であるが、この形は筆記体では、手・子・了などで広く見られる画である。しかし、活字体の種類によっては、たて線で表される(この文章の活字もたて線になっている)。ガリーナ表はこうしたことも配慮して省いたのかも知れない。しかし、犭(けもの偏)・家や豚の豕シ・いのこの3画目は、「たて反り」になっており、この画は必要と思われる。
 次は、折画のよこ折④の「力」などに見られる画である。これは、力・万・句・勺などに現れ、ふたつ前の、よこ折②が、司・永・門などの、直角に下に伸びてはねる画とは違いがあるので追加した。
 3番目は複合画⑥の㇅と、⑦の㇞である。かなり特殊な画だが、㇅は鼎や凸・凹などに、㇞は呉・凸などで使われる。日本人なら知っておくべき画であるので追加した。しかし、非漢字系の学習者向けには省いても差し支えないと思う。

 この筆画表の試案はまだ発案の段階で個々の漢字で検証したものではない。筆画表というのは個々の漢字のストロークを抽象化する作業である。あまり細かくすると、そのストロークに属する漢字が1字ということにもなりかねない。より大胆に抽象化し、かつ学習者が納得できる方法を模索してゆかなければならない。今後、より精密な検討を経て日本の筆画一覧表を作成する試みを続けてゆきたい。(石沢誠司)

追記 その後、私は2018年8月13日に「日本漢字の筆画一覧表の提案」と題して、日本の筆画一覧表を提案させていただいた。お読みいただければ幸いです。


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