毎日新聞 2015年02月10日
◆氷点下40度の町
旧ソ連製のターボプロップ機「An−24」からの景色は単調なようで少しずつ変わっていった。雪にまみれた針葉樹林帯・タイガ。その中にゴルフ場のバンカーのように点在する、凍った大小の丸い池や沼。やがて、雪を頂いたピラミッドのような低い山地が続き、再びタイガに入る。森林を自在に蛇行する凍った川は複雑に枝分かれし、モノクロの大理石模様を描く。
日が暮れたころ、真っ白な滑走路に雪煙を上げながら着陸した。東シベリア・サハ共和国の奥地ズィリャンカ。人口約4000人の小さな町だ。船着き場のような素朴な空港ターミナルから氷点下40度の屋外へ出ると、吐いた息の水分が口ひげで白く凍った。ただ、乾燥して風がなく、上下とも分厚いダウンで固めれば、まだ耐えられる寒さだった。地球温暖化の影響を受けつつも、氷点下50度まで下がることがあるという。
サハ共和国は、ロシア人のほかにアジア系先住民族のヤクート(自称はサハ)の人々などが暮らす世界最大の自治体だ。面積は約310万平方キロと日本の8倍。首都ヤクーツクでもモスクワから飛行機で7時間かかり、時間帯は日本と同じになる。
1月下旬、取材で訪れたズィリャンカは、ヤクーツクから空路さらに3時間。両者間には2時間の時差があり、その距離は札幌−大阪間に匹敵する。緯度では北極圏より少しだけ南、経度では北方領土・択捉島より東。東シベリアの奥地である。ホテルは長期出張者向けの寮を兼ねたものが2軒、カフェが1軒、レストランはない。食料品店だけは何軒もあった。
◆シベリアの「小ドンバス」
「私は3歳ぐらいのとき、両親に連れられて(ウクライナ東部の)ルガンスク州からやって来ました。両親のお墓は向こうにあるし、親類や友人も住んでいる。一昨年までは毎年、休暇に訪れていました。今は彼らの生活を助けるため、時々送金し、電話もしています」
ズィリャンカ中心部にある木造の新聞社の一室。サハのテレビ局の支局長を務める女性、ナタリヤ・ロマノワさん(45)は遠く離れた生まれ故郷の現況をまるで隣の州のように熱を込めて語り始めた。
そこには歴史的な経緯があった。ズィリャンカには支え合う兄弟のような町が約60キロ離れて存在する。ウゴリヌイ。ロシア語で「石炭の」という名前の通り、露天掘りで石炭を産出する炭鉱の町だ。ズィリャンカは東シベリア海へ注ぐコリマ川に面した港町で、ウゴリヌイの石炭の舟運によって発展してきた。帝政時代から流刑の地とされ、ソ連前期のスターリン時代には強制収容所の囚人たちが重労働を課せられた。
一方、内戦状態が続くウクライナ東部ドネツク、ルガンスク両州は「ドンバス」の愛称で知られる世界有数のドネツ炭田を擁する。帝政時代から開発が進み、旧ソ連屈指の重工業地帯となった。
共に石炭を産出する両地方の接点は、ソ連時代の労働政策だ。ズィリャンカのような生活の厳しい遠隔地には好待遇を用意し、必要な労働者、技術者を集めた。「1970〜80年代、こちらの給料が良いのでドンバスから大勢がやってきました。だから、かつては『小ドンバス』と呼ばれていたんですよ」と語るロマノワさんはどこか誇らしげだ。
ウクライナ東部の話が続いた。ルガンスク州に住む独身女性の友達は地元の炭鉱で働いていたが、紛争で職場は閉鎖され、無給状態に。「家庭菜園のジャガイモとビーツで何とかしのいでいるけれど、バターを買うお金も無いと……」。砲撃音が響く中で空腹を抱える遠くの友人へ、ロマノワさんは送金を続けている。
ウクライナ南東部ザポロージェ州出身でズィリャンカに暮らす友人男性の場合は、電話した母親に「ロシアの分離主義者」とののしられた。両国のテレビや新聞が相手国を敵視するニュースを流す「情報戦」の生んだ小さな悲劇だ。一方で、男性は姉妹に頼まれ、ウクライナの徴兵から逃げてきたおいっ子を預かっているという。
ロマノワさんは眉をひそめ、「ルガンスクに住む私と夫の知人はみんな、反ウクライナ(反ポロシェンコ政権)。声をそろえて『ウクライナなんて言葉を聞くのも嫌だ。将来はロシアの一部に入りたい』と言っている」と語気を強めた。
その後、ズィリャンカで何人かの話を聞いたが、クリミア編入を含むプーチン政権の対ウクライナ政策を強く支持する人ばかりだった。メディアへの国の締め付けが厳しい現在のロシアでは、政権と異なる意見を持つ人はそもそも少ない。それでも、モスクワやサンクトペテルブルクでは「異論派」が一定の割合で健在だ。この町の歴史的な事情もあるが、大都市と地方の町村の温度差を感じた。
◆タイガの「離島」と北方領土
韓国製カップ麺でしのいだ3泊の取材を終え、小型機でヤクーツクへ戻る。機内は冷え切っており、ヤクート女性のキャビンアテンダントはくるぶしまである黒い毛皮のコートを着ていた。急病人も乗っている。
再び白銀の山々と大森林、凍りついた河川を眺めながら実感したのは、想像以上に広大なシベリアの姿だ。資源豊富とはいえ、冬は厳寒となる広すぎる地域を国土に抱えるロシアのジレンマは、その維持コストの高さから、西側の研究者に「シベリアの呪い」と表現された。
ズィリャンカに即して言えば、大都市との連絡は空路中心で、はるばる陸路で届けられる物資の値段は2倍に跳ね上がる。荒々しいタイガにぽつんぽつんと点在するこうした町の存在は、大海原の中の離島とほとんど変わらない。大学に行くため町を出た若者が戻ってこないという、典型的な過疎化が進んでいた。
こんな町がシベリアにいくつあるのだろうか。ノーベル賞作家のソルジェニーツィンの文学作品「収容所群島」さながら、市町村の「群島」がタイガとツンドラの海に浮かんでいる。
それでも住民が暮らし続けるのはなぜか。やはりウクライナ系の血を引く地元紙編集長のミーラ・シャルケビッチさん(45)は即答した。「私たちは素晴らしい自然の中で暮らしています。魚釣りでも、狩猟でもすぐ近くでできる。女性だって楽しんでいますよ。夫は『どこへも行きたくない』と言っています」
一方で、シャルケビッチさんは「文化的なものからは遠く、バーもクラブもない。若者の楽しみは何もありません」と認め、「ヤクーツクで学生生活を送る次女には、卒業後も仕事を探してそこに住むよう勧めている」と明かした。長女はインターネットを通じて知り合ったウクライナ人男性と結婚し、キエフで暮らしているという。ソ連当時の好待遇や生活支援の仕組みはほとんど消え、あえてズィリャンカに暮らすメリットは小さくなっている。
身を寄せ合うように軒を連ねる木造の共同住宅、広場に立つ古ぼけたレーニン像、自然豊かで静かな環境、地元を愛する中高年と離れていく若者たち−−。ふと思い出したのは、2013年夏に「ビザなし訪問」で訪れた北方領土の国後、色丹両島の光景だった。ソ連・ロシアに占拠されて今年で70年。最果てともいえる辺境の町同士、状況はかなり似ている。
ズィリャンカ一帯は炭田が支え、北方四島は国家戦略的な重要性や漁業が支えている。どちらも極めて不便な土地だが、骨をうずめるつもりの住民は少なくない。その上、彼らの多くは大都市住民に比べてより保守的、愛国的にみえる。
北方領土問題が何らかの形で解決に向かった場合、大きな課題として必ず立ち現れるのが現在の住民の扱いだ。どうすれば共存共栄が可能か。今から少しずつ考えておくべきだと、シベリア上空で思った。【真野森作】
http://mainichi.jp/feature/news/20150210mog00m030006000c.html
◆氷点下40度の町
旧ソ連製のターボプロップ機「An−24」からの景色は単調なようで少しずつ変わっていった。雪にまみれた針葉樹林帯・タイガ。その中にゴルフ場のバンカーのように点在する、凍った大小の丸い池や沼。やがて、雪を頂いたピラミッドのような低い山地が続き、再びタイガに入る。森林を自在に蛇行する凍った川は複雑に枝分かれし、モノクロの大理石模様を描く。
日が暮れたころ、真っ白な滑走路に雪煙を上げながら着陸した。東シベリア・サハ共和国の奥地ズィリャンカ。人口約4000人の小さな町だ。船着き場のような素朴な空港ターミナルから氷点下40度の屋外へ出ると、吐いた息の水分が口ひげで白く凍った。ただ、乾燥して風がなく、上下とも分厚いダウンで固めれば、まだ耐えられる寒さだった。地球温暖化の影響を受けつつも、氷点下50度まで下がることがあるという。
サハ共和国は、ロシア人のほかにアジア系先住民族のヤクート(自称はサハ)の人々などが暮らす世界最大の自治体だ。面積は約310万平方キロと日本の8倍。首都ヤクーツクでもモスクワから飛行機で7時間かかり、時間帯は日本と同じになる。
1月下旬、取材で訪れたズィリャンカは、ヤクーツクから空路さらに3時間。両者間には2時間の時差があり、その距離は札幌−大阪間に匹敵する。緯度では北極圏より少しだけ南、経度では北方領土・択捉島より東。東シベリアの奥地である。ホテルは長期出張者向けの寮を兼ねたものが2軒、カフェが1軒、レストランはない。食料品店だけは何軒もあった。
◆シベリアの「小ドンバス」
「私は3歳ぐらいのとき、両親に連れられて(ウクライナ東部の)ルガンスク州からやって来ました。両親のお墓は向こうにあるし、親類や友人も住んでいる。一昨年までは毎年、休暇に訪れていました。今は彼らの生活を助けるため、時々送金し、電話もしています」
ズィリャンカ中心部にある木造の新聞社の一室。サハのテレビ局の支局長を務める女性、ナタリヤ・ロマノワさん(45)は遠く離れた生まれ故郷の現況をまるで隣の州のように熱を込めて語り始めた。
そこには歴史的な経緯があった。ズィリャンカには支え合う兄弟のような町が約60キロ離れて存在する。ウゴリヌイ。ロシア語で「石炭の」という名前の通り、露天掘りで石炭を産出する炭鉱の町だ。ズィリャンカは東シベリア海へ注ぐコリマ川に面した港町で、ウゴリヌイの石炭の舟運によって発展してきた。帝政時代から流刑の地とされ、ソ連前期のスターリン時代には強制収容所の囚人たちが重労働を課せられた。
一方、内戦状態が続くウクライナ東部ドネツク、ルガンスク両州は「ドンバス」の愛称で知られる世界有数のドネツ炭田を擁する。帝政時代から開発が進み、旧ソ連屈指の重工業地帯となった。
共に石炭を産出する両地方の接点は、ソ連時代の労働政策だ。ズィリャンカのような生活の厳しい遠隔地には好待遇を用意し、必要な労働者、技術者を集めた。「1970〜80年代、こちらの給料が良いのでドンバスから大勢がやってきました。だから、かつては『小ドンバス』と呼ばれていたんですよ」と語るロマノワさんはどこか誇らしげだ。
ウクライナ東部の話が続いた。ルガンスク州に住む独身女性の友達は地元の炭鉱で働いていたが、紛争で職場は閉鎖され、無給状態に。「家庭菜園のジャガイモとビーツで何とかしのいでいるけれど、バターを買うお金も無いと……」。砲撃音が響く中で空腹を抱える遠くの友人へ、ロマノワさんは送金を続けている。
ウクライナ南東部ザポロージェ州出身でズィリャンカに暮らす友人男性の場合は、電話した母親に「ロシアの分離主義者」とののしられた。両国のテレビや新聞が相手国を敵視するニュースを流す「情報戦」の生んだ小さな悲劇だ。一方で、男性は姉妹に頼まれ、ウクライナの徴兵から逃げてきたおいっ子を預かっているという。
ロマノワさんは眉をひそめ、「ルガンスクに住む私と夫の知人はみんな、反ウクライナ(反ポロシェンコ政権)。声をそろえて『ウクライナなんて言葉を聞くのも嫌だ。将来はロシアの一部に入りたい』と言っている」と語気を強めた。
その後、ズィリャンカで何人かの話を聞いたが、クリミア編入を含むプーチン政権の対ウクライナ政策を強く支持する人ばかりだった。メディアへの国の締め付けが厳しい現在のロシアでは、政権と異なる意見を持つ人はそもそも少ない。それでも、モスクワやサンクトペテルブルクでは「異論派」が一定の割合で健在だ。この町の歴史的な事情もあるが、大都市と地方の町村の温度差を感じた。
◆タイガの「離島」と北方領土
韓国製カップ麺でしのいだ3泊の取材を終え、小型機でヤクーツクへ戻る。機内は冷え切っており、ヤクート女性のキャビンアテンダントはくるぶしまである黒い毛皮のコートを着ていた。急病人も乗っている。
再び白銀の山々と大森林、凍りついた河川を眺めながら実感したのは、想像以上に広大なシベリアの姿だ。資源豊富とはいえ、冬は厳寒となる広すぎる地域を国土に抱えるロシアのジレンマは、その維持コストの高さから、西側の研究者に「シベリアの呪い」と表現された。
ズィリャンカに即して言えば、大都市との連絡は空路中心で、はるばる陸路で届けられる物資の値段は2倍に跳ね上がる。荒々しいタイガにぽつんぽつんと点在するこうした町の存在は、大海原の中の離島とほとんど変わらない。大学に行くため町を出た若者が戻ってこないという、典型的な過疎化が進んでいた。
こんな町がシベリアにいくつあるのだろうか。ノーベル賞作家のソルジェニーツィンの文学作品「収容所群島」さながら、市町村の「群島」がタイガとツンドラの海に浮かんでいる。
それでも住民が暮らし続けるのはなぜか。やはりウクライナ系の血を引く地元紙編集長のミーラ・シャルケビッチさん(45)は即答した。「私たちは素晴らしい自然の中で暮らしています。魚釣りでも、狩猟でもすぐ近くでできる。女性だって楽しんでいますよ。夫は『どこへも行きたくない』と言っています」
一方で、シャルケビッチさんは「文化的なものからは遠く、バーもクラブもない。若者の楽しみは何もありません」と認め、「ヤクーツクで学生生活を送る次女には、卒業後も仕事を探してそこに住むよう勧めている」と明かした。長女はインターネットを通じて知り合ったウクライナ人男性と結婚し、キエフで暮らしているという。ソ連当時の好待遇や生活支援の仕組みはほとんど消え、あえてズィリャンカに暮らすメリットは小さくなっている。
身を寄せ合うように軒を連ねる木造の共同住宅、広場に立つ古ぼけたレーニン像、自然豊かで静かな環境、地元を愛する中高年と離れていく若者たち−−。ふと思い出したのは、2013年夏に「ビザなし訪問」で訪れた北方領土の国後、色丹両島の光景だった。ソ連・ロシアに占拠されて今年で70年。最果てともいえる辺境の町同士、状況はかなり似ている。
ズィリャンカ一帯は炭田が支え、北方四島は国家戦略的な重要性や漁業が支えている。どちらも極めて不便な土地だが、骨をうずめるつもりの住民は少なくない。その上、彼らの多くは大都市住民に比べてより保守的、愛国的にみえる。
北方領土問題が何らかの形で解決に向かった場合、大きな課題として必ず立ち現れるのが現在の住民の扱いだ。どうすれば共存共栄が可能か。今から少しずつ考えておくべきだと、シベリア上空で思った。【真野森作】
http://mainichi.jp/feature/news/20150210mog00m030006000c.html