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嘉義農林がまいた種…郭源治氏との縁

2015-02-24 | 先住民族関連
デイリースポーツ-2015年2月24日
映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」が昨年は台湾、今年は日本でヒットした。KANOとは台湾の嘉義農林学校(現国立嘉義大学)の愛称で、映画では日本統治下にあった時代、初出場で準優勝を果たした快進撃が描かれている。当時の監督は、松山商業出身の近藤兵太郎。“外地”の学校を率い、民族の垣根を越えた近藤氏の足跡、そして嘉義農林の歴史が今に伝えるものを、書く。
 嘉義農林は南部からの初出場であると同時に、それまでの台湾代表は日本人によるチームだったが、嘉義農林は漢民族、日本人、そして高砂族(先住民)の混成チームだった。
 躍進の原動力となったのはエースの呉明捷(漢民族)。ダイナミックなフォームから繰り出す速球にカーブとシンカーを巧みに操る制球力もあった。2回戦の神奈川商工戦では1安打完封。これは台湾代表初の快挙だった。
 映画「KANO」では小市慢太郎が演じる新聞記者が喝采を送るシーンがあるが、その元になっているのが作家の菊池寛が大会終了後に東京朝日新聞に寄せた「甲子園印象記」だ。『嘉義農林が神奈川商工と戦った時から嘉義びいきになった』。高校野球がファンをひきつけるのは「郷土愛」と並んで「判官びいき」だが、その第1号と言ってもいいのがこの大会での嘉義農林だろう。
 のちに「麒麟児(きりんじ)」と呼ばれる明捷が生まれたのは、12年2月17日。北部の苗栗という街で、父は裁判所の書記官を務め、広大な土地を所有する地主だった。苗栗と嘉義は、当時は列車で4時間。農業を学びたくて進学した。
 最初はテニス部。近藤に見いだされ、スパルタ練習で明捷の才能は開花した。甲子園では打者としても4割1分2厘の大活躍。腸チフスのため、1年遅れで進んだ早大では野手に専念し、通算7本塁打を放った。これはのちに長嶋茂雄に破られるまで、東京六大学の最多タイ記録だった。しかし、早大で野球とは決別した。
 「プロからも誘いはありましたが、断ったみたいです。息子としてはプロに行ってもそれなりの記録は残したんじゃないかと思いますが、アマチュアリズムとでもいうのでしょうか。『お金をもらって野球を見せようとは思わなかった』と話していました」
 こう話したのは次男の堀川盛邦氏(59)だ。明捷は71歳で亡くなるまで台湾籍のままだったが、4人の子どもたちには日本国籍を選ばせ、妻の姓を名乗らせた。
 嘉義農林がまいた種は、思わぬところでも花を咲かせていた。中日で通算106勝116セーブを挙げた郭源治氏(58)だ。
 「僕たち先住民には娯楽がない。野球が遊びだった。でも、野球の基礎を教わったのは嘉農の人だった。嘉農がなければ今の僕はないんです」
 源治に野球の手ほどきをしたのは、郭光也、子光親子。父・光也は36年に嘉義農林が最後の甲子園に出たときのメンバーだった。その源治が今度は台湾で子どもたちに野球を教える…。84年前にまかれた野球の種は、今も台湾で育っている。
http://www.daily.co.jp/baseball/2015/02/24/0007765613.shtml

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マレーシア(下) サラワク州都クチン 「ネコの街」多様性に満ち

2015-02-24 | 先住民族関連
西日本新聞2015年02月23日(最終更新 2015年02月23日 14時31分)

(写真)サラワク文化村で、カラフルな民族衣装をまとう子どもたち
 多民族国家として知られるマレーシア。ボルネオ島北部、サラワク州の州都クチンもまた、多くの民族が共存して暮らしている。バラエティーに富んだ人口60万人の街と近郊を訪ねた。
 クチンとは、マレーシアでネコの意味。19世紀の半ば、「白人王」として統治した英国人が、インドのクチンに似た風情のこの地に同じ名前を付けたともいわれるが、諸説あるらしい。
 真偽はともかく、あちこちにネコの像が立つ。すっかり「街の顔」だ
 白人王が100年間統治しただけに、街には当時の王宮や裁判所などコロニアル建築が点在する。
 市街地にはインドの食料品店や中華料理の店などが軒を連ね、その先にはモスクのタマネギ形のドームも見える。歩道脇の壁に描かれたウオールアートも面白い。街全体がカラフルだ。
 クチン中心部から車で約50分の「サラワク文化村」。ここでは先住民族やマレー系など7民族の復元家屋が並ぶ。
 伝統舞踊を演じる女性、色鮮やかな伝統衣装を着た子どもたち…。気候がそうさせるのか、人々の表情はどこか穏やかで温かい。
 ●メモ
 日本‐クチンの直行便は、今のところない。九州から訪れる場合、関西国際空港からマレーシアの首都クアラルンプールに向かい、入国審査を受けた後、マレーシア航空などが毎日運航するクチン行きに乗り継ぐルートが便利。同国政府は今年、「マレーシア・イヤー・オブ・フェスティバル2015」と銘打ち、イベントを多数予定している。
 ◆マレーシア政府観光局=http://www.tourismmalaysia.or.jp/
 ◆サラワク州観光局=http://sarawaktourism.com/
    ×      ×
 ●寄り道
 「世界最大の花」として知られるラフレシア。その自生地が、クチンから西へ約90キロの場所にある。「グヌン・ガディン国立公園」だ。
 植物に寄生するラフレシアは、どこに、いつ開花するのか定かでない。花も3~7日で枯れるため、遭遇できるかは運次第だ。直前の開花情報は公園事務所で確認できる。
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/travel_report/article/147398

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身近な題材で実験、調査 小中学生108人が発表

2015-02-24 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 2/23)

(写真)大型スクリーンを使って調査研究を発表
 千歳市内の小中学生が総合的な学習の時間などで取り組んださまざまな実験や調査研究の内容を発表する「千歳サイエンス会議」が21日、千歳科学技術大学で開かれた。市教委と同大学の共催。15小学校、5中学校から選ばれた児童生徒代表108人が、地域の自然や産業に関する調査、身近な題材を使った実験など、さまざまなテーマの発表をした。
 末広小4年6人のグループは、同校の特色であるアイヌ文化学習について発表。アイヌの遊びや言葉に親しみ、イナキビやアハ(土豆)の栽培を通じアイヌの食文化や暮らしに理解を深めたことなどを丁寧に説明した。
 駒里中1、2年6人のグループは、校区を流れる美々川の水質調査と保全活動を発表。同校は毎年のサイエンス会議で同じテーマを扱い、先輩たちが残した過去のデータを基に、年々調査を発展させている。保全活動では、近年、川に繁茂し、流れを停滞させているクサヨシの除去を行った。
 午後の部の講評を述べた千歳市校長会会長の杉本祐治勇舞中校長は「大学の立派な会場で発表できるのは貴重な体験。小学生も中学生も以前より発表が上手になってきている。今後も身の回りのさまざまな疑問を発見し、科学に対する興味を深めて」と呼び掛けた。
http://www.tomamin.co.jp/20150222504

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白老(しらおい)・民族博物館を訪問(ほうもん) アイヌ文化学んだよ/通信員だより

2015-02-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞  (2015/02/21)
 胆振(いぶり)管内白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館に行ったことがありますか? 北海道などで昔から暮(く)らしていたアイヌ民族の歴史や文化を紹介(しょうかい)する施設(しせつ)です。最近はキャロライン・ケネディ駐日(ちゅうにち)アメリカ大使が訪問(ほうもん)したことでも話題になりました。2月中旬(ちゅうじゅん)、フムフム通信員の宍戸美友佳(ししどみゆか)さん=苫小牧(とまこまい)・豊川(とよかわ)小5年=が初めて博物館を訪(おとず)れ、古くから伝わる物語を聞く体験などを通して、アイヌ文化を学びました。《文・阿部里子(あべさとこ)、写真・能正明(のうまさあき)》
独特(どくとく)の文様(もんよう) 衣装(いしょう)にししゅう
 アイヌ民族博物館は1984年にオープンしました。すぐそばにあるポロト湖の周辺では、2020年に北海道で初めてとなる国立の博物館ができることが決まっています。
 ここにはかやぶき屋根のチセ《伝統家屋(でんとうかおく)》が立ち並(なら)び、その中で踊(おど)りを見たり、楽器の演奏(えんそう)をきくことができます。外には、「サッチェプ」とよばれる保存食(ほぞんしょく)となるサケの丸干(まるぼ)しがあちこちにつるされ、かつてのアイヌの人たちの暮(く)らしぶりを再現(さいげん)しています。
 宍戸(ししど)さんはまず、アイヌ民族の伝統衣装(でんとういしょう)を着せてもらいました。独特(どくとく)の文様(もんよう)がししゅうされているのを見て「とてもきれいで気に入りました」とうれしそう。学芸課の矢崎春菜(やざきはるな)さん(27)は「この文様(もんよう)は、地域(ちいき)や家によってそれぞれちがっていました。魔(ま)よけの意味もあるんですよ」と教えてくれました。
暮(く)らしの知識(ちしき) 物語で伝える
 アイヌの人たちは、アイヌ語のほか生活にかかわるすべてのことを、文字を使わずに語りついできました。人や動物、神様などが登場する物語も、そうやって伝えています。こうした物語のことを「口承文芸(こうしょうぶんげい)」と言います。
 しかし、最近ではアイヌ語が使われる機会が減(へ)っているため、博物館は物語を将来(しょうらい)へ残そうと、昨年夏から毎月第2、4土曜日に訪(おとず)れた人に聞いてもらう取り組みを続けています。
 この日は、日高(ひだか)管内平取(びらとり)町の二風谷(にぶだに)地区に伝わる「ホタルのむこ選び」という物語を聞きました。宍戸(ししど)さんは少し緊張(きんちょう)した様子で赤く火が燃(も)えるいろりの前にすわり、教育普及(ふきゅう)係の熊谷由布子(くまがいゆうこ)さん(25)の語りに合わせて手でリズムを取りました。
 このお話は、ホタルが語り手です。メスのホタルがおむこさんをさがしに海の上を飛んでいると、ヒラメとサメとタラに出合います。しかし、もっといい相手がいるような気がして、心が動きません。それからしばらく行くと、今度は体が大きくて力が強いカジキマグロに出合いました。「この若者なら、わたしにぴったりだ」と思って夫に選んだという内容です。
 でも、大きさが3メートルほどもあるカジキマグロと小さなホタルが、なぜ結婚(けっこん)するのでしょう。
 矢崎(やざき)さんは「ホタルが飛ぶ季節になると、海ではカジキマグロがとれるようになります。アイヌの人たちは生活に必要なこうした知識(ちしき)を、物語として語りついでいたんですね」と説明してくれました。
 宍戸(ししど)さんは「自分が住んでいる北海道には、このような文化があるのだとあらためて分かりました。とても勉強になりました」と話していました。
<アイヌ民族博物館>
 胆振(いぶり)管内白老(しらおい)町若草(わかくさ)町2の3の4 (電)0144・82・3914 http://www.ainu-museum.or.jp/
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/fumfum/257421.html

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