約200人が戦争犠牲者の冥福と世界平和を祈願
日刊まにら新聞-2015.10.26
太平洋戦争終盤、日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦。71年目となった24、25日両日、海戦に参加した神風特攻隊と戦艦武蔵に関連した行事がフィリピンと日本でそれぞれ行われた。
太平洋戦争末期に神風特別攻撃隊が出撃してちょうど71年目に当たる25日、ルソン地方パンパンガ州クラーク特別経済区にある平和公園で戦没者慰霊祭が行われ、比日両国の関係者や地元住民ら約200人が戦争犠牲者の冥福と世界の平和を祈った。今年で18回目。
日差しが照り付ける中、真言宗の護摩法要も行われ、参加者らはそれぞれの願いを書き込んだ護摩木を炎の中に投げ込んだ。
集まったのは、地元マバラカット市のモラレス市長や空軍関係者のほか、先住民族アエタの子供たち約40人。また地元の大学で観光学を専攻する学生約20人が初めて参加した。日本側からは、戦没者の遺族や在留邦人、医療法人徳洲会の関係者らが参加した。
モラレス市長は、ジョン・レノンが平和を願って作った曲「イマジン」の歌詞を引用し、「世界中で起こっている戦争などのトラブルに対する唯一の解決法は平和になることだ。世界はきっと一つになれる」と平和の大切さを語った。
護摩法要を務めた最福寺(鹿児島市平川町)の僧侶、池口豪泉さん(51)は「第二次世界大戦が終了して70年後の今も、世界で紛争は絶えません。これからも、マバラカット市から世界に向けて平和を呼び掛けましょう」と参加者に向けて協力を呼び掛けた。
一方、「戦争の歴史」を次世代へ継承する動きも着々と進んでいる。
今回、若者に戦没者のことを知ってもらうため、初めて地元大学の学生らが慰霊祭に招待された。大学1年のシェリー・デビッドさん(16)=マバラカット市=は、「日本人観光客と接する機会も多い。日本と比の関係を学び、日本に対する理解を深めたいと思った」と語った。
ルソン島で祖父が戦死したという山田貴嗣さん=愛知県名古屋市=は、戦争の恐ろしさを比日両国の若者に伝えるため、一般社団法人を設立している最中という。「戦争の記憶が薄れてきているように感じる。2度と戦争を起こさないためにも、次の世代に戦争の恐怖を伝えたい」と話し、今後の活動に意欲を見せた。
神風特攻隊は1944年10月25日午前7時25分、クラーク特別経済区内にあった旧日本軍の飛行場からレイテ島方面に出撃した。特攻機は米護衛空母に体当たり攻撃を行い、撃沈した。(押田健太)
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news220219.html
日刊まにら新聞-2015.10.26
太平洋戦争終盤、日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦。71年目となった24、25日両日、海戦に参加した神風特攻隊と戦艦武蔵に関連した行事がフィリピンと日本でそれぞれ行われた。
太平洋戦争末期に神風特別攻撃隊が出撃してちょうど71年目に当たる25日、ルソン地方パンパンガ州クラーク特別経済区にある平和公園で戦没者慰霊祭が行われ、比日両国の関係者や地元住民ら約200人が戦争犠牲者の冥福と世界の平和を祈った。今年で18回目。
日差しが照り付ける中、真言宗の護摩法要も行われ、参加者らはそれぞれの願いを書き込んだ護摩木を炎の中に投げ込んだ。
集まったのは、地元マバラカット市のモラレス市長や空軍関係者のほか、先住民族アエタの子供たち約40人。また地元の大学で観光学を専攻する学生約20人が初めて参加した。日本側からは、戦没者の遺族や在留邦人、医療法人徳洲会の関係者らが参加した。
モラレス市長は、ジョン・レノンが平和を願って作った曲「イマジン」の歌詞を引用し、「世界中で起こっている戦争などのトラブルに対する唯一の解決法は平和になることだ。世界はきっと一つになれる」と平和の大切さを語った。
護摩法要を務めた最福寺(鹿児島市平川町)の僧侶、池口豪泉さん(51)は「第二次世界大戦が終了して70年後の今も、世界で紛争は絶えません。これからも、マバラカット市から世界に向けて平和を呼び掛けましょう」と参加者に向けて協力を呼び掛けた。
一方、「戦争の歴史」を次世代へ継承する動きも着々と進んでいる。
今回、若者に戦没者のことを知ってもらうため、初めて地元大学の学生らが慰霊祭に招待された。大学1年のシェリー・デビッドさん(16)=マバラカット市=は、「日本人観光客と接する機会も多い。日本と比の関係を学び、日本に対する理解を深めたいと思った」と語った。
ルソン島で祖父が戦死したという山田貴嗣さん=愛知県名古屋市=は、戦争の恐ろしさを比日両国の若者に伝えるため、一般社団法人を設立している最中という。「戦争の記憶が薄れてきているように感じる。2度と戦争を起こさないためにも、次の世代に戦争の恐怖を伝えたい」と話し、今後の活動に意欲を見せた。
神風特攻隊は1944年10月25日午前7時25分、クラーク特別経済区内にあった旧日本軍の飛行場からレイテ島方面に出撃した。特攻機は米護衛空母に体当たり攻撃を行い、撃沈した。(押田健太)
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news220219.html