毎日新聞 2017/08/11
19世紀の欧州で、頭骨の計測から人種の違いを探る人類学が盛んになると、当時の研究者から「最も原始的」と見なされたアイヌ民族への関心が高まり、多くのアイヌ遺骨が研究資料として国外に持ち出された。そうした遺骨の一つが先月31日、138年ぶりに日本政府に返還され、故郷の札幌に戻った。政府が海外にあるアイヌ遺骨について、外交交渉を通じて返還を実現したのは初めてで、アイヌにとって歴史的出来事になった。【ベルリン中西啓介】
今回返還された遺骨は、帝政ドイツ時代を代表する医学者で人類学者でもあったルドルフ・ウィルヒョウ・ベルリン大教授(1821~1902年)が収集したものだ。ウィルヒョウは世界各地から多様な人種の遺骨を集めて計測する形質人類学を通じ、人種の系譜を解明しようとした。
収集を促進したのは植民地政策だ。ドイツは19世紀後半から第一次大戦(1914~18年)まで、アフリカや中国などに植民地を所有。独領南西アフリカ(現ナミビア)で植民地支配に抗して黒人のヘレロ人らが蜂起すると、「20世紀最初のジェノサイド(大虐殺)」と呼ばれる苛烈な弾圧を行った。研究の中心地ベルリンには1万体以上の人骨が集められたが、中には虐殺されたヘレロ人の遺骨も含まれている。
明治期の日本でアイヌ遺骨を人類学の対象にし、日本人の起源を探ろうという研究を率いたのが、ベルリン大で学びウィルヒョウとも親交があった帝大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)教授(1859~1944年)だ。小金井教授はドイツから帰国後の1888年、北海道で遺骨の収集を開始。その後、研究は北海道大でも行われ、戦後も続いた。
アイヌの同意なき発掘や不十分な記録は、多くの身元不明遺骨を生んだ。こうした悲劇は明治以降、国が北海道開拓を進めアイヌが土地や独自の言語と習慣を奪われていく中で起きた。そのため国は今、先住民族アイヌの尊厳回復の一環として、遺骨の確認や返還に取り組んでいる。
盗掘の記録、取材で判明
「ドイツにアイヌの遺骨もあるようだ」。独研究機関が返還を進めるヘレロ人の遺骨問題を取材していた記者に昨年春、情報が寄せられた。当時、日本政府は国内の大学にある遺骨の状況確認を進めていたが、ドイツにアイヌ遺骨があるという情報は把握していなかった。
ドイツの研究者の協力を得て、19世紀の民族学誌を分析すると、ベルリンには北海道やサハリンで収集されたアイヌの遺骨が送られ、計測データを比較する研究会が頻繁に行われていたことが分かった。ウィルヒョウが設立を主導した「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)と政府系団体「ベルリン博物館連合」(SMB)にアイヌ遺骨の収蔵記録が残ることが判明した。
ドイツには遺骨などの人体資料の返還について、博物館などが従う「指針」がある。指針は返還協議の前提として、盗掘などの「不適切な収集」を掲げる。取材で判明した最大17体のアイヌ遺骨のうち、これに該当する遺骨が1体見つかった。
「倫理上許されぬ」 保管団体が表明
「夜の闇に紛れ、冒とく行為がもたらす危険の中、手前にあった頭骨を素早く入手した」。1880年の民族学誌でドイツ人旅行者、ゲオルク・シュレージンガーは札幌にあったアイヌ墓地から、遺骨を盗んだ経緯を報告していた。遺骨はウィルヒョウの手に渡り、彼の頭文字を取り「RV33」という番号がつけられ、BGAEUに保管された。
昨年8月の報道でドイツの遺骨の存在を把握した日本政府は当初、2020年度までに北海道内に慰霊施設を備えたアイヌ文化振興施設が建設されることを念頭に、海外からの返還については「慰霊施設の建設までをめどに進めたい」としていた。
だが、今年1月、BGAEUが毎日新聞に対し、「RV33は倫理的に許されない手法で収集された。日本政府と返還協議をしたい」と表明したことで、事態は急展開した。内閣官房アイヌ総合政策室は即座に在独日本大使館に協議着手を要請。駐独公使が担当者となり、BGAEU側と半年にわたる協議を実施。独側の懸念を払拭(ふっしょく)するため、遺骨の保管基準に関する閣議決定を行うなどし、返還で合意した。
7月31日、ベルリンの日本大使館で、海外に渡ったアイヌ遺骨として初の返還式が行われた。アレクサンダー・パショスBGAEU代表、加藤忠・北海道アイヌ協会理事長、平井裕秀・内閣官房アイヌ総合政策室長が返還を証明する書類に署名。パショス氏の手により、白布に包まれた木箱に入った遺骨が日本側に引き渡された。
返還式の模様はロイター通信やドイツ国営放送ドイチェ・ウェレなどにより配信された。遺骨は8月2日、加藤理事長の手により、発掘現場から近い札幌市内にある北大構内の納骨堂に一時保管された。4日には、恒例の先祖供養の儀式「イチャルパ」が営まれ、アイヌの人たちによる慰霊が実現した。
豪、露など国外へ散逸 日本の対応方針、未確定
アイヌ民族の遺骨は、ドイツ以外でも複数の博物館や研究機関で保管されていることが分かっている。毎日新聞の取材でオーストラリアとロシアの博物館で確認されたほか、英国▽米国▽チェコ▽ハンガリー▽スイス--でも保管の情報がある。海外の広い範囲にアイヌの遺骨が散逸した背景の一つには、19世紀後半から世界に広がった研究者ネットワークがあった。
オーストラリアの2博物館では、アイヌ民族の頭骨計3体が保管されている。豪政府は今年6月、北海道アイヌ協会側に駐日豪大使が面会して返還の意思を伝えた。アイヌ協会側も3体の返還を求める方針だ。これらの遺骨は東大の小金井良精教授が、オーストラリアの人類学者へ送ったものだった。
ドイツに留学して解剖学や人類学を学んだ小金井氏は、ベルリン大のルドルフ・ウィルヒョウ教授をはじめ海外の研究者と活発に交流していた。日豪双方で見つかった資料によると、小金井氏は1911年、豪アデレードの人類学者との間でオーストラリアなどの先住民アボリジニとアイヌの遺骨各1体を交換。35~36年にはメルボルンの博物館館長との間で、アボリジニとアイヌの遺骨各2体を交換した。アデレードに送られた遺骨は、後に移管されたキャンベラの国立博物館で見つかった。
43年に当時東大解剖学講座の助教授だった男性が発表した論文には「東大解剖学教室に保存の六個の豪州人男女性頭骨」の記述があるが、小金井氏の資料を管理する東大はこれまでのところ、アボリジニ遺骨の所在について明らかにしていない。
独団体は今回、「不当な手段」で収集した遺骨を日本に返還した。一方、豪政府は収集経緯を問わず、確認された海外先住民の遺骨全てについて返還を申し出るなど、返還への姿勢は国や機関ごとに異なる。日本の対応は緒に就いたばかりで、国内外の調整をする政府の担当部署もルールもない状態だ。北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)は「日本はアイヌ遺骨に対してどのような対応を取るかが問われるし、それはそのまま日本国内で確認される海外の先住民遺骨の返還への対処に影響する」と指摘する。
北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会の3組織は7月、先住民族遺骨の国際返還に関するガイドラインの検討を始めた。海外の博物館などが保管するアイヌ遺骨について日本が返還を求める場合▽日本国内の大学などが保管する先住民族遺骨について海外の先住民族団体などから返還を求められた場合--の2通りの状況について、日本の基本姿勢や返還手続きの流れを示すものになる。今後、オーストラリアとの国際返還の際に適用されることが見込まれている。【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/007/040/028000c
19世紀の欧州で、頭骨の計測から人種の違いを探る人類学が盛んになると、当時の研究者から「最も原始的」と見なされたアイヌ民族への関心が高まり、多くのアイヌ遺骨が研究資料として国外に持ち出された。そうした遺骨の一つが先月31日、138年ぶりに日本政府に返還され、故郷の札幌に戻った。政府が海外にあるアイヌ遺骨について、外交交渉を通じて返還を実現したのは初めてで、アイヌにとって歴史的出来事になった。【ベルリン中西啓介】
今回返還された遺骨は、帝政ドイツ時代を代表する医学者で人類学者でもあったルドルフ・ウィルヒョウ・ベルリン大教授(1821~1902年)が収集したものだ。ウィルヒョウは世界各地から多様な人種の遺骨を集めて計測する形質人類学を通じ、人種の系譜を解明しようとした。
収集を促進したのは植民地政策だ。ドイツは19世紀後半から第一次大戦(1914~18年)まで、アフリカや中国などに植民地を所有。独領南西アフリカ(現ナミビア)で植民地支配に抗して黒人のヘレロ人らが蜂起すると、「20世紀最初のジェノサイド(大虐殺)」と呼ばれる苛烈な弾圧を行った。研究の中心地ベルリンには1万体以上の人骨が集められたが、中には虐殺されたヘレロ人の遺骨も含まれている。
明治期の日本でアイヌ遺骨を人類学の対象にし、日本人の起源を探ろうという研究を率いたのが、ベルリン大で学びウィルヒョウとも親交があった帝大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)教授(1859~1944年)だ。小金井教授はドイツから帰国後の1888年、北海道で遺骨の収集を開始。その後、研究は北海道大でも行われ、戦後も続いた。
アイヌの同意なき発掘や不十分な記録は、多くの身元不明遺骨を生んだ。こうした悲劇は明治以降、国が北海道開拓を進めアイヌが土地や独自の言語と習慣を奪われていく中で起きた。そのため国は今、先住民族アイヌの尊厳回復の一環として、遺骨の確認や返還に取り組んでいる。
盗掘の記録、取材で判明
「ドイツにアイヌの遺骨もあるようだ」。独研究機関が返還を進めるヘレロ人の遺骨問題を取材していた記者に昨年春、情報が寄せられた。当時、日本政府は国内の大学にある遺骨の状況確認を進めていたが、ドイツにアイヌ遺骨があるという情報は把握していなかった。
ドイツの研究者の協力を得て、19世紀の民族学誌を分析すると、ベルリンには北海道やサハリンで収集されたアイヌの遺骨が送られ、計測データを比較する研究会が頻繁に行われていたことが分かった。ウィルヒョウが設立を主導した「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)と政府系団体「ベルリン博物館連合」(SMB)にアイヌ遺骨の収蔵記録が残ることが判明した。
ドイツには遺骨などの人体資料の返還について、博物館などが従う「指針」がある。指針は返還協議の前提として、盗掘などの「不適切な収集」を掲げる。取材で判明した最大17体のアイヌ遺骨のうち、これに該当する遺骨が1体見つかった。
「倫理上許されぬ」 保管団体が表明
「夜の闇に紛れ、冒とく行為がもたらす危険の中、手前にあった頭骨を素早く入手した」。1880年の民族学誌でドイツ人旅行者、ゲオルク・シュレージンガーは札幌にあったアイヌ墓地から、遺骨を盗んだ経緯を報告していた。遺骨はウィルヒョウの手に渡り、彼の頭文字を取り「RV33」という番号がつけられ、BGAEUに保管された。
昨年8月の報道でドイツの遺骨の存在を把握した日本政府は当初、2020年度までに北海道内に慰霊施設を備えたアイヌ文化振興施設が建設されることを念頭に、海外からの返還については「慰霊施設の建設までをめどに進めたい」としていた。
だが、今年1月、BGAEUが毎日新聞に対し、「RV33は倫理的に許されない手法で収集された。日本政府と返還協議をしたい」と表明したことで、事態は急展開した。内閣官房アイヌ総合政策室は即座に在独日本大使館に協議着手を要請。駐独公使が担当者となり、BGAEU側と半年にわたる協議を実施。独側の懸念を払拭(ふっしょく)するため、遺骨の保管基準に関する閣議決定を行うなどし、返還で合意した。
7月31日、ベルリンの日本大使館で、海外に渡ったアイヌ遺骨として初の返還式が行われた。アレクサンダー・パショスBGAEU代表、加藤忠・北海道アイヌ協会理事長、平井裕秀・内閣官房アイヌ総合政策室長が返還を証明する書類に署名。パショス氏の手により、白布に包まれた木箱に入った遺骨が日本側に引き渡された。
返還式の模様はロイター通信やドイツ国営放送ドイチェ・ウェレなどにより配信された。遺骨は8月2日、加藤理事長の手により、発掘現場から近い札幌市内にある北大構内の納骨堂に一時保管された。4日には、恒例の先祖供養の儀式「イチャルパ」が営まれ、アイヌの人たちによる慰霊が実現した。
豪、露など国外へ散逸 日本の対応方針、未確定
アイヌ民族の遺骨は、ドイツ以外でも複数の博物館や研究機関で保管されていることが分かっている。毎日新聞の取材でオーストラリアとロシアの博物館で確認されたほか、英国▽米国▽チェコ▽ハンガリー▽スイス--でも保管の情報がある。海外の広い範囲にアイヌの遺骨が散逸した背景の一つには、19世紀後半から世界に広がった研究者ネットワークがあった。
オーストラリアの2博物館では、アイヌ民族の頭骨計3体が保管されている。豪政府は今年6月、北海道アイヌ協会側に駐日豪大使が面会して返還の意思を伝えた。アイヌ協会側も3体の返還を求める方針だ。これらの遺骨は東大の小金井良精教授が、オーストラリアの人類学者へ送ったものだった。
ドイツに留学して解剖学や人類学を学んだ小金井氏は、ベルリン大のルドルフ・ウィルヒョウ教授をはじめ海外の研究者と活発に交流していた。日豪双方で見つかった資料によると、小金井氏は1911年、豪アデレードの人類学者との間でオーストラリアなどの先住民アボリジニとアイヌの遺骨各1体を交換。35~36年にはメルボルンの博物館館長との間で、アボリジニとアイヌの遺骨各2体を交換した。アデレードに送られた遺骨は、後に移管されたキャンベラの国立博物館で見つかった。
43年に当時東大解剖学講座の助教授だった男性が発表した論文には「東大解剖学教室に保存の六個の豪州人男女性頭骨」の記述があるが、小金井氏の資料を管理する東大はこれまでのところ、アボリジニ遺骨の所在について明らかにしていない。
独団体は今回、「不当な手段」で収集した遺骨を日本に返還した。一方、豪政府は収集経緯を問わず、確認された海外先住民の遺骨全てについて返還を申し出るなど、返還への姿勢は国や機関ごとに異なる。日本の対応は緒に就いたばかりで、国内外の調整をする政府の担当部署もルールもない状態だ。北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)は「日本はアイヌ遺骨に対してどのような対応を取るかが問われるし、それはそのまま日本国内で確認される海外の先住民遺骨の返還への対処に影響する」と指摘する。
北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会の3組織は7月、先住民族遺骨の国際返還に関するガイドラインの検討を始めた。海外の博物館などが保管するアイヌ遺骨について日本が返還を求める場合▽日本国内の大学などが保管する先住民族遺骨について海外の先住民族団体などから返還を求められた場合--の2通りの状況について、日本の基本姿勢や返還手続きの流れを示すものになる。今後、オーストラリアとの国際返還の際に適用されることが見込まれている。【三股智子】
https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/007/040/028000c