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開発予算6000億円超要求 4年連続 白老の象徴空間整備

2017-08-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/26 09:30
 国土交通省は25日、2018年度の北海道開発予算の概算要求額を4年連続で6千億円超とする方針を固めた。胆振管内白老町に20年4月に開設するアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」の整備や、訪日外国人の増加につながる事業に力点を置く。
 概算要求額は、17年度の当初予算(5464億円)を2割近く上回る見通しだ。
 同省北海道局は、閣議了解した概算要求基準に沿って公共事業など裁量的経費を17年度当初予算から10%削減する一方、人材育成や生産性向上を目指す事業に充てる4兆円の特別枠を活用し、前年を上回る予算額確保を目指す。
 新規事業では、政府が今年6月に策定した「ダム再生ビジョン」を踏まえ、上川管内幌加内町の雨竜第1、第2ダムの本体をかさ上げし、放流設備も増強して貯水能力を高める事業に着手する。
 「民族共生象徴空間」の関連では、中核となる国立民族共生公園や慰霊施設など本体施設の工事を本格化。新千歳空港の国際線ターミナルと滑走路を結ぶ誘導路の増設事業を継続する。20年までに訪日外国人客を4千万人に増やす政府目標の実現に向け、道路標識や観光施設などの看板を多言語で表示する事業も引き続き要求する。
 北海道開発予算は1997年度の1兆59億円をピークに減少傾向が続き、12年度には4305億円まで落ち込んだ。13年度以降は、5年連続で前年度を上回る予算確保が続いている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/128014


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「関ケ原」後、北に新天地/弘前藩お抱え忍者 ルーツは石田三成?

2017-08-27 | アイヌ民族関連
東奥日報8/26(土) 11:32配信
 弘前藩お抱えの忍者のルーツは石田三成? 弘前藩の忍者組織をテーマに郷土の歴史を探る活動をしている青森大学忍者部は25日、豊臣秀吉を支え、関ケ原の合戦で敗れた石田三成の子孫が組織を形成した-との研究成果を発表した。合戦後、三成の娘が津軽家に嫁ぎ、子孫も家老職を務めるなど、三成と津軽家の縁は深い。研究に基づく旅行商品造成の動きもあり、関係者は「地元の人にも興味を持ってほしい」と意気込んでいる。
 関ケ原の合戦で石田三成が率いた西軍が、徳川家康を大将とする東軍に敗れると、弘前藩祖・津軽為信(ためのぶ)の長男信建(のぶたけ)は豊臣家中で親しかった三成の次男重成を逃がし、現在の板柳町にかくまったとされる。重成は杉山源吾と名を改め、その後、杉山家は弘前藩の家老職を務めた。三成の三女・辰姫(辰子)は為信の三男で2代藩主信枚(のぶひら)に嫁いだ。
 研究を発表した忍者部顧問で同大学薬学部の清川繁人教授によると、重成の息子・吉成は、アイヌが蜂起したシャクシャインの戦い(1669年)に出陣。その際、諜報(ちょうほう)活動を行い、アイヌと松前藩双方の情報を収集、国元を通じ幕府に戦況を報告したとされる。吉成の死後、4代藩主信政は、甲賀忍者の中川小隼人を召し抱え、忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」が結成された。甲賀・信楽地方は重成が所有していたとの説もある。
 弘前藩庁日記などの文献では、杉山家の指揮下で、早道之者が活動したとされる。また、中川に忍術皆伝を受けた棟方家か、杉山家のいずれかが藩の忍者屋敷に居住していたという。
 忍者部は昨年、忍者が住んでいた可能性があるとされる弘前城南側の古民家を発見、研究を進めていた。清川教授は「忍者と三成がつながるとは当初は想定外。記録自体ほとんどないと思っていたが、史料の点と点を結んだら意外とつながった」と説明する。
 研究の思わぬ「副産物」も。ANA(全日空)販売事業本部青森営業所は「三成と忍者ゆかりの地を巡る津軽の旅」と題し、忍者屋敷や津軽家菩提(ぼだい)寺の長勝寺などを巡るツアーを冬季に実施する。伊丹空港発着で、三成の人気が高い関西圏の取り込みを狙う。
 峯尾泰子所長は「今まで知らなかった観光コンテンツが青森にはまだまだある。大変興味深いのではないか」と期待した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170826-26113243-webtoo-l02

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弘前の忍者集団 三成の子孫が関係か

2017-08-27 | アイヌ民族関連
陸奥新報 2017/8/26 土曜日
 弘前市内で忍者屋敷と推定される古民家を発見するなど、弘前藩に仕えた忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」について調べている青森大学忍者部は25日、早道之者の成り立ちに戦国武将・石田三成の子孫が関わっていたのではないか―という調査結果を明らかにした。弘前市の忍者屋敷も三成の子孫が暮らしていた可能性があるという。知名度の高い人気武将との意外な縁が浮上したことを受け、関係者は三成と早道之者ゆかりの地を巡るツアーを企画中。今冬実施予定で、国内外に本県の新たな観光コンテンツとして広くアピールする考えだ。
 同大忍者部顧問の清川繁人薬学部教授によると、早道之者の結成は1669年にアイヌが松前藩に挑んだシャクシャインの戦いで、弘前藩からの派遣部隊が戦況を確認する諜報活動を行ったことがきっかけ。実際に諜報活動を行った杉山八兵衛吉成は関ケ原の戦いの後、津軽に逃れてきた石田三成の次男重成の子で、三成からは孫に当たる。杉山の死後、諜報活動を行う者として甲賀忍者とされた中川小隼人を弘前藩が江戸でスカウトし、早道之者の結成につながった。
 早道之者は杉山家の指揮下で活躍し、諜報活動のほか、蝦夷地や弘前藩内のアイヌの対応をしたとみられる。
※詳しくは本紙紙面をご覧ください。
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2017/08/47855.html

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「十勝日誌」分かりやすく 自由訳で今秋発行

2017-08-27 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞2017年8月26日 13時47分

当時の北海道の様子がつづられた「十勝日誌」。この現代語版が秋に発行される
 幕末の探検家で北海道の名付け親として知られる松浦武四郎(1818~1888年)の紀行文「十勝日誌」の自由訳(現代語版)が今秋、発行される。情報発信事業を行う「たけしろうカンパニー」(三重県津市、乗山徹社長)と、十勝産小豆を使った氷菓「あずきバー」などを販売する「井村屋グループ」(同、浅田剛夫会長)が共同で刊行する。巻末には武四郎が豆好きだった話や、小豆が栽培されて商品になるまでの過程なども掲載。本は帯広市内の一部小学校にも無料で配布される。
 来年は武四郎の生誕200年で、「北海道」命名150年。両社は道150周年事業実行委員会(会長・高橋はるみ知事)の49企業・団体の1つに、北海道を盛り上げるパートナーとして選ばれている。
 武四郎は三重県松阪市生まれ。江戸時代に6度、蝦夷地を訪れ、アイヌや当時の北海道の様子を記録した紀行文シリーズ「東西蝦夷山川地理取調紀行」を残した。「十勝日誌」はその中の1冊で、2014年には同じくシリーズの1つである釧路地方版の「久摺(くすり)日誌」の自由訳が同カンパニーから刊行されている。
 「久摺日誌」の読者対象が大人だったのに対し、今回の「十勝日誌」自由訳は対象年齢の幅を広げる。振り仮名を増やすなど、必要に応じて内容も補足しながら、子どもにも分かりやすいよう平易な文章にまとめる。
 同カンパニー編集者の下村友惠さんは「武四郎直筆の『小豆』の文字も残っており、貴重な資料として今回掲載する。子どもたちに、より武四郎について知ってほしい」と話す。
 10月末の発行を予定。約4000冊作り、松阪市と帯広市、津市の一部小学校に無料配布する。
http://www.tokachi.co.jp/news/201708/20170826-0027340.php

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