日経ビジネスオンライン2017年8月29日(火)
なぜ競争と乱獲が繰り返されるのか
日本漁業の歴史の中で獲れなくなった魚の代表例として思い浮かぶのがニシンだ。ニシン漁は江戸期から戦後にかけて北海道を中心に一大産業となり、多くのニシン長者を産んだ。身は昆布巻きや燻製として、卵は数の子として広く親しまれてきた。しかし、現在の漁獲量は往時の1%にも満たず、輸入品が台頭している。
ニシンが枯渇した背景には、質より量を追い求める漁の形態や、資源の回復力を過信して規制を設けずに漁を続けたことがある。資源減少が近年話題となっているクロマグロなどと通じる問題がある。
北海道沖の日本海に浮かぶ焼尻島。クルマで走れば一周20分程度の小島では、漁業が約200人の住民の重要な生活の糧となっている。漁港を見下ろす高台に、古びた木造建築の家が残る。黒檀や檜をふんだんに使い、蔵も備えた延べ床面積569平方メートルの広大なつくり。建造当時は瀟洒な豪邸だっただろうその建物は、北海道の長者番付十傑にも入った小納家の旧邸だ。小納家の豊かな財を築き上げたのは、島近海に来遊するニシンだった。
文化財として邸宅を保有する羽幌町によると、小納家は明治17年ごろに石川県から焼尻に入植した。当初は雑貨店や郵便局を営んでいたが、ニシン漁の権利を譲り受けたことで一気にその財を膨らませた。
焼尻は元々、ヤンゲシリと呼ばれるアイヌの居住地だった。江戸時代中期から松前藩の商人がアイヌの住民を雇ってニシン漁を本格的に始めた。幕末期には蝦夷地への定住が解禁されたことで出稼ぎ漁師が急増した。
マグロに通じるニシンの問題
ニシン漁は明治20~30年代に最盛期を迎える。人口は2000人を超え、島全体で2万トン以上のニシンが水揚げされた。小納家のニシン御殿が建ったのもこの頃だ。しかし、以降は不漁と小幅な回復を繰り返しながら徐々にニシン漁は衰退。昭和30年代には、ニシンの産卵・放精によって海が白く染まる群来(くき)は全く見られなくなった。小納家もこの時期にニシン漁から撤退。昭和50年代に羽幌町に寄贈されるまで、ニシン御殿は無人の廃墟となった。
ニシンの漁獲量はピーク時の1%にも満たない(出所:北海道立総合研究機構中央水産試験場)
焼尻のマグロ漁師、高松幸彦さんは、北海道のマグロ漁師約70人が参加する「持続的なマグロ漁を考える会」の代表だ。減少していくマグロ資源に危機感を覚え、2014年に会を立ち上げた。高松さんは「日本漁業の本質的な問題はニシン漁の頃から変わっていない」と話す。
ニシン漁の歴史に詳しい小樽市総合博物館の石川直章館長によると、北海道全体のニシンの年間漁獲量はピーク時の100万トン弱から4000トン程度まで減っている。
ニシン漁が衰退した理由として有力な説は2つ。幕末期に「建て網」という2隻の船で魚群を取り囲む効率的な漁法が開発され、乱獲が一気に進んだこと。もう1つは水温の変化により、産卵行動が阻害されたことだ。石川館長は特に乱獲の影響が大きかったという考えだ。「ニシンが減少し始めた時期は、海水温の変化はまだ大きくなかった」からだ。
乱獲を止められなかった当時の背景は、今の日本漁業の問題と通底するものが多く見つかる。
実は買い叩きされていたニシン
まず1つは漁師が魚価を上げる工夫をしてこなかったということだ。実は当時のニシンの9割以上は綿や藍などの肥料として用いられ、利益の大きい食用はごくわずかだった。しかし、当時の漁師は「量を取ればいいとしか考えなかった」(石川館長)。近年、養殖用の魚粉として利用され、資源が急減しているイワシなどに通じる問題だ。
そして、焼畑農業のように続いた漁獲。漁師は魚群を求め北上を続けた。現・江差町周辺の道南地区の漁場は江戸時代にはすでに枯渇。最後には礼文島、利尻島まで行き着く。「資源は減少と回復を繰り返す。漁師は魚の来る来ないは自分たちではコントロールできないことだと考え、漁獲規制には及び腰だった」(石川館長)。漁業者の目先の生活保護を優先し、規制の議論にしばしば疑問を投げかける日本漁業の現代の状況に似る。
最後に、マグロ漁師の高松さんが最も問題視するのは、1980年代のことだ。この頃一時期だけニシンの来遊があった。資源を回復させるチャンスだった可能性があるが、「目の前にある魚を見過ごせないで、また獲り尽くしてしまった。失敗に学ぶ姿勢が日本の漁師にはない」。
漁業に詳しい東京財団の小松正之上席研究員は「日本の漁業は制度もメンタリティーも江戸時代から変わらない」と厳しく批判する。日本の漁業者の9割は小規模な沿岸漁業者。各漁村の漁師は浜の環境を自ら守ることと引き換えに独占的な漁獲が許されてきた歴史があり、その自主的管理の文化は漁業協同組合に形を変えて今も生きている。
しかし、回遊範囲が広い魚種に関しては漁業者組織同士の漁獲争いが起こり、自主管理はしばしば破綻する。昨季にクロマグロを巡って不正操業が相次ぎ発覚し、国際会議で妥結した漁獲枠を超過したのもその典型例といえる。
ここまで朽ちた日本漁業を変えるのは誰か。漁業者か、漁協か、水産庁か。いずれにせよ、過去に学ぶ姿勢がなくては、その責は担えない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/082400157/082400002/