読売新聞 2017-08-29
前田 耕司/早稲田大学大学院教育学研究科教授
ユニバーサル・アクセスとアファーマティブ・アクション
今月3日に文部科学省が発表した2017年度の「学校基本調査」(速報値)によれば、大学(学部)への進学率(過年度卒を含む)が52.6%に達するという。こうした50%を超える状態は、マーチン・トロウの説を援用すると[1]、「個人の教育機会の均等化」をめざすとされる「マス型」の段階から普遍的に多様な顧客層の高等教育段階への参加が認められるという「ユニバーサル型」の段階への移行を意味する。「ユニバーサル型」の段階になると、人種・民族・社会階層・性などの属性による進学機会の不均衡が是正され、高等教育へのアクセスにおいて不利益を被っているとされる人びとなどより多様で異なる属性を持つ集団を受け入れる方向にシフトする。そうした集団の高等教育人口に占める割合が国民全体の構成と等しくなるように積極的な措置(クオータ制)がとられる、いわゆるアファーマティブ・アクション(差別撤廃措置)の適用だ。
2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利宣言」の第14条2項では[2]、「先住民族である個人、特に子どもは、国家によるあらゆる段階と形態の教育を、差別されずに受ける権利を有する。」と定め、アファーマティブ・アクションを想定した差別撤廃のための特別措置の必要性を規定している。
先住民族への高等教育施策において日本とオーストラリアではどのような温度差がみられるか。
アイヌ民族の大学進学状況と修学支援
「アイヌ政策推進会議」(座長:内閣官房長官)の作業部会が2011年に編集した『「北海道外のアイヌ生活実態調査」作業部会報告書』によると、アイヌ民族の北海道内の大学進学率が29歳以下で20.2%、道外の進学率が31.1%である一方で、彼(女)らの大学進学に対する希望では道内で31.7%、道外で42.5%と低くはなかった。進学を断念した理由として経済的要因をあげるアイヌが道内外を通して70%を超え[3]、大学への低進学率に象徴される貧困問題が浮き彫りにされた。アイヌ民族にとって大学進学奨励の充実は焦眉の課題とされる。
今のところ大学入学における「先住民族枠」の設置は、「被差別少数者特別推薦入学」(沖縄人および奄美諸島出身者含む)制度を導入した四国学院大学、および給付奨学金による修学支援を行う札幌大学の「ウレシパ」(アイヌ語で「育て合い」の意味)・プロジェクトの先行事例をおいてほかにない。こうした学校法人独自の取り組みを除いて、国家レベルにおける「アイヌ民族」枠設置にむけての取り組みはない。アイヌ民族に大学教育の可能性を広げていくといった視点の構築は急務だ。
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2016年8月、オーストラリアのモナシュ大学教育学部滞在中に撮影。左から、アボリジニ教育研究者のゼーン・マ・リア准教授(モナシュ大学)、筆者、アボリジニ研究・開発室副所長のピーター・アンダーソン准教授(クイーンズランド工科大学)。 現在、上記メンバーによる国際共同研究( Post-Imperial Perspectives on Indigenous Education: Lessons from Japan and Australia) のプロジェクトを実施。
政府主導のアボリジニ高等教育支援システム
オーストラリアに目を転じてみれば、女性、非英語圏出身者、低所得階層出身者、僻遠地域出身者、しょうがい者、先住民族などの文化的背景をもち、周辺文化を形成してきた集団に対する支援システムの導入が連邦政府主導で進められている。1990年、連邦政府発表の政策文書「万人に公平な機会を」(A Fair Chance for All)は先住オーストラリア人である「アボリジニおよびトーレス海峡島系の先住民族」を高等教育への参加において最も不利益を被っている集団とみなし、受け入れの段階から在学中にいたる支援システムの構築に向けた枠組みを示した。以下はそのアウトライン――[4]。
特別入学のシステムの提供により、中等教育未修了の大学入学資格を有しないアボリジニ学生の受け入れを促進する。
学位取得コース入学前のオリエンテーションの課程を開設するなど、基礎学力向上のための方策を導入する。
入学後の研究・学習活動にとって不可欠な学業面の支援から個人的なカウンセリングまでを網羅するアボリジニ学生支援室を開設する。
識字力・基礎的計算能力の向上や、コース履修に必要な知識の習得を目的とする授業の補習を行う。
僻遠地域に居住するアボリジニに対して、通信教育および選択的な形態の学習の機会を提供する。
アボリジニ学生および彼らのコミュニティの事情や要求が反映されるようなカリキュラムや教授法を開発する。
大学内の意思決定過程へアボリジニの参画を促進する。
連邦政府が示した上記の支援の枠組みを下敷きに、大学側は個々の学内事情に照らして具体的な支援策を策定し、アボリジニ学生を受け入れるための働きかけを行うというのだ。たとえば、ニューサウスウェールズ州には、健康・衛生上の観点から劣悪な状態に置かれることがあるアボリジニ・コミュ二ティの医療に携わる先住民族医師の養成を行っている大学がある。「アボリジニのことはアボリジニで解決する」という自己決定の視点に基づく政策意図をふまえて、支援室で32名のアボリジニ・スタッフを擁しメディカルプログラム参加のアボリジニ学生のサポートにあたっている。選考基準もHSCといわれる大学入学資格試験の合格最低点においてアボリジニには20点のアドバンテージが付与されていることに加え、彼/女らの学習様式や教育背景の違いを考慮して、口頭試問の審査員の中にアボリジニ・コミュ二ティの代表が入りアシストできる仕組みが構築されているだ[5]。
頃しも高等教育の無償化の議論が活発化する中、ユニバーサル型の大学教育の意味を問い直すことも必要ではないだろうか。
注
^ マーチン・A,トロウ(1976)『高学歴社会の大学―エリートからマスへ―』天野郁夫/喜多村和之共訳,東京大学出版会,pp.194-195.
^ United Nations,General Assembly,61/295.(2007).United Nations Declaration on the Right of Indigenous Peoples,p.5.
(http://www.unhcr.org/refworld/docid//471355a82.html 2010年1月12日閲覧)
^ アイヌ政策推進会議「北海道外のアイヌの生活実態調査」作業部会編(2011)『「北海道外のアイヌの生活実態調査」作業部会報告書』pp.17-21.
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/dai3/siryou3_3.pdf 2017年8月23日閲覧)
^ Dept. of Employment, Education and Training (DEET) and National Board of Employment, Education and Training.(1990). A Fair Chance for All: National and Institutional Planning for Equity in Higher Education, A discussion paper, Australian Government Publishing Service, pp.23-26.
^ クーリー大学(仮名)のアボリジニ支援室のエグゼクティブ・オフィサーのコーウィー(Cowie,K.,仮名)への半構造的インタビューから(2010年8月30日,於:アボリジニ支援室)。
前田 耕司(まえだ・こうじ)/早稲田大学大学院教育学研究科教授
早稲田大学大学院教育学研究科教授。博士(教育学)。専攻は多文化教育論。日本国際教育学会会長、日本学習社会学会会長、藤沢市生涯学習大学副学長などを歴任。モナシュ大学アフィリエイト。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/culture_170828.html
前田 耕司/早稲田大学大学院教育学研究科教授
ユニバーサル・アクセスとアファーマティブ・アクション
今月3日に文部科学省が発表した2017年度の「学校基本調査」(速報値)によれば、大学(学部)への進学率(過年度卒を含む)が52.6%に達するという。こうした50%を超える状態は、マーチン・トロウの説を援用すると[1]、「個人の教育機会の均等化」をめざすとされる「マス型」の段階から普遍的に多様な顧客層の高等教育段階への参加が認められるという「ユニバーサル型」の段階への移行を意味する。「ユニバーサル型」の段階になると、人種・民族・社会階層・性などの属性による進学機会の不均衡が是正され、高等教育へのアクセスにおいて不利益を被っているとされる人びとなどより多様で異なる属性を持つ集団を受け入れる方向にシフトする。そうした集団の高等教育人口に占める割合が国民全体の構成と等しくなるように積極的な措置(クオータ制)がとられる、いわゆるアファーマティブ・アクション(差別撤廃措置)の適用だ。
2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利宣言」の第14条2項では[2]、「先住民族である個人、特に子どもは、国家によるあらゆる段階と形態の教育を、差別されずに受ける権利を有する。」と定め、アファーマティブ・アクションを想定した差別撤廃のための特別措置の必要性を規定している。
先住民族への高等教育施策において日本とオーストラリアではどのような温度差がみられるか。
アイヌ民族の大学進学状況と修学支援
「アイヌ政策推進会議」(座長:内閣官房長官)の作業部会が2011年に編集した『「北海道外のアイヌ生活実態調査」作業部会報告書』によると、アイヌ民族の北海道内の大学進学率が29歳以下で20.2%、道外の進学率が31.1%である一方で、彼(女)らの大学進学に対する希望では道内で31.7%、道外で42.5%と低くはなかった。進学を断念した理由として経済的要因をあげるアイヌが道内外を通して70%を超え[3]、大学への低進学率に象徴される貧困問題が浮き彫りにされた。アイヌ民族にとって大学進学奨励の充実は焦眉の課題とされる。
今のところ大学入学における「先住民族枠」の設置は、「被差別少数者特別推薦入学」(沖縄人および奄美諸島出身者含む)制度を導入した四国学院大学、および給付奨学金による修学支援を行う札幌大学の「ウレシパ」(アイヌ語で「育て合い」の意味)・プロジェクトの先行事例をおいてほかにない。こうした学校法人独自の取り組みを除いて、国家レベルにおける「アイヌ民族」枠設置にむけての取り組みはない。アイヌ民族に大学教育の可能性を広げていくといった視点の構築は急務だ。
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2016年8月、オーストラリアのモナシュ大学教育学部滞在中に撮影。左から、アボリジニ教育研究者のゼーン・マ・リア准教授(モナシュ大学)、筆者、アボリジニ研究・開発室副所長のピーター・アンダーソン准教授(クイーンズランド工科大学)。 現在、上記メンバーによる国際共同研究( Post-Imperial Perspectives on Indigenous Education: Lessons from Japan and Australia) のプロジェクトを実施。
政府主導のアボリジニ高等教育支援システム
オーストラリアに目を転じてみれば、女性、非英語圏出身者、低所得階層出身者、僻遠地域出身者、しょうがい者、先住民族などの文化的背景をもち、周辺文化を形成してきた集団に対する支援システムの導入が連邦政府主導で進められている。1990年、連邦政府発表の政策文書「万人に公平な機会を」(A Fair Chance for All)は先住オーストラリア人である「アボリジニおよびトーレス海峡島系の先住民族」を高等教育への参加において最も不利益を被っている集団とみなし、受け入れの段階から在学中にいたる支援システムの構築に向けた枠組みを示した。以下はそのアウトライン――[4]。
特別入学のシステムの提供により、中等教育未修了の大学入学資格を有しないアボリジニ学生の受け入れを促進する。
学位取得コース入学前のオリエンテーションの課程を開設するなど、基礎学力向上のための方策を導入する。
入学後の研究・学習活動にとって不可欠な学業面の支援から個人的なカウンセリングまでを網羅するアボリジニ学生支援室を開設する。
識字力・基礎的計算能力の向上や、コース履修に必要な知識の習得を目的とする授業の補習を行う。
僻遠地域に居住するアボリジニに対して、通信教育および選択的な形態の学習の機会を提供する。
アボリジニ学生および彼らのコミュニティの事情や要求が反映されるようなカリキュラムや教授法を開発する。
大学内の意思決定過程へアボリジニの参画を促進する。
連邦政府が示した上記の支援の枠組みを下敷きに、大学側は個々の学内事情に照らして具体的な支援策を策定し、アボリジニ学生を受け入れるための働きかけを行うというのだ。たとえば、ニューサウスウェールズ州には、健康・衛生上の観点から劣悪な状態に置かれることがあるアボリジニ・コミュ二ティの医療に携わる先住民族医師の養成を行っている大学がある。「アボリジニのことはアボリジニで解決する」という自己決定の視点に基づく政策意図をふまえて、支援室で32名のアボリジニ・スタッフを擁しメディカルプログラム参加のアボリジニ学生のサポートにあたっている。選考基準もHSCといわれる大学入学資格試験の合格最低点においてアボリジニには20点のアドバンテージが付与されていることに加え、彼/女らの学習様式や教育背景の違いを考慮して、口頭試問の審査員の中にアボリジニ・コミュ二ティの代表が入りアシストできる仕組みが構築されているだ[5]。
頃しも高等教育の無償化の議論が活発化する中、ユニバーサル型の大学教育の意味を問い直すことも必要ではないだろうか。
注
^ マーチン・A,トロウ(1976)『高学歴社会の大学―エリートからマスへ―』天野郁夫/喜多村和之共訳,東京大学出版会,pp.194-195.
^ United Nations,General Assembly,61/295.(2007).United Nations Declaration on the Right of Indigenous Peoples,p.5.
(http://www.unhcr.org/refworld/docid//471355a82.html 2010年1月12日閲覧)
^ アイヌ政策推進会議「北海道外のアイヌの生活実態調査」作業部会編(2011)『「北海道外のアイヌの生活実態調査」作業部会報告書』pp.17-21.
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/dai3/siryou3_3.pdf 2017年8月23日閲覧)
^ Dept. of Employment, Education and Training (DEET) and National Board of Employment, Education and Training.(1990). A Fair Chance for All: National and Institutional Planning for Equity in Higher Education, A discussion paper, Australian Government Publishing Service, pp.23-26.
^ クーリー大学(仮名)のアボリジニ支援室のエグゼクティブ・オフィサーのコーウィー(Cowie,K.,仮名)への半構造的インタビューから(2010年8月30日,於:アボリジニ支援室)。
前田 耕司(まえだ・こうじ)/早稲田大学大学院教育学研究科教授
早稲田大学大学院教育学研究科教授。博士(教育学)。専攻は多文化教育論。日本国際教育学会会長、日本学習社会学会会長、藤沢市生涯学習大学副学長などを歴任。モナシュ大学アフィリエイト。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/culture_170828.html