リセマム 2017.8.18 Fri 9:00
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不健康なリンゴから黄金のリンゴへ?知られざるトマトの歴史と語源
イタリアンでは欠かせない食材のトマト。実は、初めは食べるものではなく、見て楽しむ観賞用であった?トマトなのにリンゴと呼ばれている国もある?知られざるトマトが食べられるようになるまでの歴史と、トマトの語源について紹介していく。
1. 原産地のアンデス高原から、メキシコそしてヨーロッパへ
原産地はアンデス高原
トマトの原産地はアンデス高原が有力とされ、現在のペルー、コロンビア、エクアドル、ボリビアあたりに野生で生えていた「トマトゥル」が起源といわれている。トマトゥルは直径2ほどの大きさしかなく、現在のミニトマトのようなものであった。
メキシコで食用として進化
このトマトゥルが、アンデス高原からメキシコに運ばれてトマトの食用への歴史がはじまった。メキシコに伝わったトマトゥルは、1000年以上の長い年月をかけて少しずつ栽培に適したものに進化していった。
海をわたってヨーロッパへ
メキシコで食用へと進化してきたトマトは、それから海をわたってヨーロッパへ広がっていった。
1492年にコロンブスが新大陸を発見した。植民地にできる土地が新大陸にあることを知ったスペイン人はメキシコの征服に乗り出す。そして、その征服の戦利品としてトマトを持ち帰り、ヨーロッパに広めたと考えられている。このとき、ジャガイモ、トウモロコシ、ペッパーなどの今日のヨーロッパ人の重要な食糧も伝えられた。
ちなみに、トマトに出会った最初のヨーロッパ人は、1521年にアステカ文明を征服したスペイン人「エルナン・コルテス」という説が有力とされている。
2. 観賞用から食用へ
毒と考えられて食べられなかった
ヨーロッパでは長い間トマトは食べるものではなく、見て楽しむための観賞用として栽培されてきた。これは、トマトの強烈な匂いと鮮やかな赤い色によって、毒があると信じられていたためと考えられている。
実際に1544年、イタリアの博物学者P.A.マッティオーリの博物誌には、トマトはナス科のマンドラゴラの仲間であると書かれていた。マンドラゴラは別名「悪魔のリンゴ」と呼ばれ、当初トマトは「不健康なリンゴ」と呼ばれる始末であった。さらに、ナス科の植物には有毒植物が多かったのも、食用を遠ざける理由になってしまったと考えられている。
飢餓がきっかけで食用へ
15世紀には伝わっていたとされるトマトだが、それから100年以上観賞用とされてきた。トマトが食用になるきっかけは、16世紀半ばにイタリアでおきた飢饉である。毒があるとされていたトマトですら食べるしかない状態になってしまい、恐る恐る口にしたと言われている。しかし、このトマトが意外にもおいしかったことから、少しずつトマトは食べられるようになっていったとされている。
トマトの利用の道が大幅に進んだきっかけは、1838年にアメリカでトマト缶の製造技術が完成したことである。このことによって、トマトを1年中利用することが可能になり、栽培や加工技術の研究が進められた。そして1876年にはトマトケチャップが発売された。この頃から品種改良も盛んになり、トマトは欠かせない食材になっていた。
日本でのトマトの歴史
日本にトマトが伝わったのは17世紀なかばの江戸時代の頃で、長崎に渡来したといわれる。当時は「唐なすび」や「唐ガキ」と呼ばれており、日本でも食用ではなく観賞用とされていた。
その後の明治初めには、欧米から導入されたものを「赤茄子」の名で売り出したが、トマトの臭いと見た目は当時の人々に受け入れられなかった。大正時代になってからは、北海道と愛知県を中心にして栽培量も少しずつ増えていったがやはり普及しなかった。
しかし、第二次大戦後にトマトに転機は訪れる。食生活の洋風化が進み、トマトやレタスなどのサラダ野菜の需要が高まったのである。その後、現在のようなトマトへの品種改良が進められていき今日に至る。
3. さまざまな名で呼ばれるトマトの語源
語源は「膨らむ果実」
トマトという呼び名は「膨らむ果実」を意味する「トマトゥルtomatl」からきている。メキシコの先住民族アステカ人のナワトル語である。このトマトゥルは現在のトマトではなく、同じナス科のホオズキであった。トマトはこのホオズキに似ていたため、同じ名前で呼ばれていたとされている。
イタリアでは「黄金のリンゴ」
イタリアでは「ポモドーロpomodoro 」と呼ばれている。Pomo=リンゴ、oro=黄金。つまり「黄金のリンゴ」という意味である。なぜトマトなのにリンゴ、しかも黄金なのか疑問に思うであろう。
これには2つ理由がある。1つめは、ヨーロッパでは貴重なものを「リンゴ」と呼ぶ習慣があったこと。2つめは、当時のトマトは現在の我々が思い浮かべる赤色ではなく、黄色の種類であったためである。
フランスでは「愛のリンゴ」
フランスでは「ポム・ダ ムール(愛のリンゴ)」という。これは先ほど紹介した「ポモドーロ」が似た音の「Amore=愛」に変わり、フランスに伝わった際に「ポム・ダ ムール」になったと言われている。イギリスでは英訳した「ラブ・アップル(愛のリンゴ)」と呼ばれている。
なぜ「愛」が使われたのかという理由には面白い説がある。トマトは昔マンドラゴラの仲間とされていた。マンドラゴラの根の形は男女のからみあう姿にみえること、当時マンドラゴラは媚薬であると信じられていたこと。この2つからトマトに「愛」がついたといわれている。
結論
不健康なリンゴから黄金のリンゴと呼ばれるようになったトマト。観賞用からスタートし、食用へなるまでは長い道のりがあった。
黄金のリンゴ、愛のリンゴと呼ばれる理由も面白いトマト。実は学名はラテン語で「リコペルシコン・エスクレンタム=食べられる狼の桃」である。トマトがりんごへ、そして桃へ。桃へなった理由ははっきりしていないそう。さまざまな名前へ七変化するトマトは、料理でもたくさんのおいしいものへ七変化する。トマトを手に取る際には、トマトの歴史と語源について、イメージをふくらませてみよう。きっと料理がもっと楽しくなるはずだ。
《オリーブオイルをひとまわし編集部》
https://resemom.jp/article/2017/08/18/39873.html