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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

新法人の名称「アイヌ民族文化財団」に

2018-03-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/01 05:00
 公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)の理事会が28日、札幌市内で開かれ、2020年に胆振管内白老町に開設される「民族共生象徴空間」の運営主体となる新法人の名称を「アイヌ民族文化財団」とすることを決めた。
 名称は重要事項を最終判断する評議員会で3月、正式に決定する。
 象徴空間は機構と、整備区域内にある一般財団法人「アイヌ民族博物館」(白老町)が合併した新法人が運営する。博物館は3月末に閉館し、新法人が4月1日付で発足。象徴空間の開設に向けた準備を進める。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/168298

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松前藩最古のアイヌ宛文書

2018-03-01 | アイヌ民族関連
佐賀新聞 2/28 15:51
【モスクワ共同】江戸時代の1778(安永7)年に、当時の松前藩が北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書がロシア・サンクトペテルブルクの国立図書館に保存されているのを東京大史料編纂所などの研究チームが発見した。松前藩がアイヌに送った文書としては最古の原本とみられ、松前藩のアイヌ政策を知る上で貴重な史料となる。
 文書は松前藩の「蝦夷地奉行」が「ノッカマップ」(現在の北海道根室市)のアイヌ有力者ションコに宛てたもの。
 内容は(1)けんか・口論の禁止(2)アイヌと和人が交易で使う小屋の火の元の用心(3)和人の漂流船への救助、対応の規定(4)和人の漂流民を和人が滞在する場所まで送り届ける指示―の4項目から成り、これらを守らなかった場合は処罰するとしている。
 共同研究者の北海道博物館(札幌市)の東俊佑(あずましゅんすけ)学芸主査によると、文書は2016年10月に図書館で日本関連の史料を閲覧中に偶然、発見した。松前藩の文書は幕末・明治維新期の箱館戦争などの混乱の影響で、ほとんど残存していないという。
 鎖国が続いた江戸時代の文書がロシアで保存されていた理由は不明。
 文書の宛名のアイヌ有力者ションコは、千島列島のウルップ島でロシアの書簡を受け取り、松前藩士に渡した記録があるほか、和人の圧政に苦しむアイヌが北海道東部で蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」(1789年)で、アイヌ首謀者らを説得し、戦いを収束に導いたとされる。
 ションコはまた、松前藩家老の蠣崎波響(かきざきはきょう)がアイヌの長老を鮮やかな色で描いた「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」の12人の中の1人としても知られる。
http://www.saga-s.co.jp/articles/-/186960

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先人から継承、歌や踊り披露 白老・アイヌ民博で特別公演

2018-03-01 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/2/28配信

さまざまな古式舞踊が披露された特別公演
 白老町のアイヌ民族博物館で25日、特別公演「アコラ シノッ~私達の芸能」が行われた。3月末の閉館を控え、同博物館の職員が先人から受け継いできた白老に伝わる歌や踊りを披露。定時公演で取り上げていない「タプカラ」や「ハンチカプリムセ」など、長年かけて積み重ねてきた伝承の成果を披露した。
 2020年の民族共生象徴空間開設に向けた整備の都合で、同博物館は3月末で閉館。18日から開かれている最後の企画展「ポロトコタン ウパシクマ」の関連企画として特別公演を開催。同博物館が人材育成として力を入れてきた伝承活動を通して先人から受け継いできた歌や踊り、ムックリなど、定時公演とは違った演目を披露した。
 最初に穀物を脱穀する作業の際に歌われる「イウタ ウポポ」を女性3人が杵をつきながら披露。また、アイヌ民族の踊りでは珍しい男性による踊りとして大地を踏みしめながら神に感謝を込めて祈りを捧げる「タプカラ」、水鳥が舞う様子を表現した「ハンチカプ リムセ」、魔物を払う舞「エムシ リムセ」のほか、ムックリ演奏や、「イオマンテ リムセ」といった演目を実演し、来場者からたくさんの拍手が送られた。
 最後にサプライズ企画として、村の恵みを集まった人たちに配る「ハル ラン ナ」として、来場者たちにシト(団子)が配られた。
 次回特別公演は3月3日午後1時15分から。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/13292/

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「先住民族に伝わる伝承」をもとに科学的新発見につなげる取り組みは有効なのか?

2018-03-01 | 先住民族関連
GIGAZINE2018年02月28日 06時30分00秒
人類が大きく進化した理由として「火を使うようになった」ことが挙げられますが、オーストラリア北部には「火を使って狩りをする鳥」が存在することが確認されました。研究者たちによって「発見」されたこの現象ですが、オーストラリア北部のアボリジニは古くからこの現象を知っていて、研究者たちはアボリジニの伝承をもとに研究を行ったそうです。
When Scientists "Discover" What Indigenous People Have Known For Centuries | Science | Smithsonian
https://www.smithsonianmag.com/science-nature/why-science-takes-so-long-catch-up-traditional-knowledge-180968216/
かつては道具を使う動物は人間だけだ、と信じられていた時代もありましたが、近年の研究によって動物たちが道具を使う事例が次々と発見されているとのこと。チンパンジーはシロアリを捕獲するために小枝をアリ塚に差し込んで「アリ釣り」を行い、タコは半分に割れたココナッツを運んで自分の隠れ家として利用します。しかし、「鳥が火を使う」という発見は非常に大きな衝撃を学者たちに与えました。
マーク・ボンタ氏とロバート・ゴスフォード氏らの研究チームは、オーストラリア北部に生息する「Milvus migrans(トビ)」「Haliastur sphenurus(フエナキトビ)」「Falco berigora(チャイロハヤブサ)」の3種類の猛禽類が火の付いた枝をくわえて運び、餌となる小動物をあぶり出していることを発見しました。鳥が火災に乗じて逃げる動物を捕獲していることは知られていましたが、実際に鳥が木の燃えさしを使って火事を拡大させている事実は西洋の科学者たちを驚かせました。
しかし、「鳥が火を使って狩りをする」という現象はオーストラリア北部のアボリジニにはよく知られており、部族の儀式や習慣にも「火を使う鳥」のモチーフが取り入れられていたとのこと。このアボリジニの伝承は西洋の人々も知っていたものの、「鳥が火を使って狩りをするわけがない」として、ただの迷信として扱われてきました。鳥が火を使う現象を発見したボンタ氏とゴスフォード氏はアボリジニの伝承を前向きに研究し、アボリジニの伝承を元に火を使う鳥の存在を発見したとのこと。先住民族に伝わる伝承を非科学的だとして切り捨てるのではなく、「伝承には理由があるはずだ」として西洋的な科学研究に生かしたのです。
火を使う鳥の事例は、全世界の科学者たちに「先住民族の伝統的知識を科学的新発見に生かすことができるのでは?」というアイデアを与えるものです。同様に、先住民族に伝わる伝承を科学研究に生かしている例として、海氷の観測に関する気候学研究において、過去の海氷状態の変化を知るためにイヌイットの伝統的知識が使われているとのこと。
しかし、先住民族の知識が科学的研究に有効であるという実例があるにもかかわらず、多くの科学者は先住民族の知識を研究に持ち込むことを避けています。それらの知識は科学的な考証に沿っているときには「この現象は先住民族にも知られていた」と補足的に使われますが、伝承が「科学的に信じられていること」と食い違っている場合、それらは単なる伝説や神話として切り捨てられてしまいます。「火を使う鳥」の伝承も、今回の発見が公表されるまでは単なる伝承として信じられてきたのです。
Smithsonian.comは「しかし、果たして科学だけが真に客観的で定量可能、人類の知識を進歩させるものであり、伝統的知識はそうでないと切り捨てるのは正しいのでしょうか。先住民族の伝統的知識は、私たちが世界に関する知識を手に入れるための入り口を提供してくれるのではないでしょうか」として、先住民族の伝統的知識は科学的に考えるに値するかもしれないとしています。

by Ron Knight
最新科学が先住民族の知識に追いついたパターンとして、カナダの先住民族クワキウトル族や他の北アメリカ大陸先住民族が行っていた貝の養殖活動が挙げられます。クワキウトル族は海の中に岩で囲んだテラスを作り、その中で貝の養殖を行っていたとのこと。この方法によって貝類の収穫量が大幅に向上し、同時に海産資源の保護にもつながります。先住民族が何百年も昔から行ってきた資源管理のシステムは、現代における資源保護活動を先取りするものだったといえます。
また、1876年に発生したアメリカ陸軍と北米先住民族間に発生したリトルビッグホーンの戦いにおいて、ラコタ族とシャイアン族に伝わる口伝が、戦闘直後にアメリカ陸軍によって残された記録よりも正確であった事例も挙げられます。1984年に戦場跡地で発生した火災により、戦場に残された軍の持ち物や兵士の遺体など考古学的な物証が発見されたことで、バイアスのかかった白人の記録よりも先住民族の記録が正しいと判明しました。しかし、これも実際の物証が発見されなければ、歴史学者たちも先住民族の記録のほうが正しいと認めなかっただろうとのこと。
先住民族の伝統的知識と西洋の知識は一見かけ離れたものに思えるかもしれませんが、それが反復と検証、推論と予測、パターンイベントの経験的観察と認識を通して絶えず検証されるものだという点は共通しています。伝統的知識は時として実証不可能で、物理的証拠もないことが多いため、あまり重きを置かれていません。しかし、先住民族の知識は西洋の知識にはない「文脈依存性」があり、これは西洋科学からは発見しづらい洞察をもたらす可能性があります。長年の経験と観察により得られた文脈は、時として科学的予測の範囲外に飛躍した結論に達していることもあるというのです。
アボリジニに伝わっていた「火を使う鳥」の伝承と今回の「新発見」の事例は、先住民族の伝統的知識と西洋の科学知識を組み合わせることで、さらに人類の知識が進展する可能性を示す点でも重要だったとSmithsonian.comは述べています。
https://gigazine.net/news/20180228-scientists-discover-indigenous-people-knew/

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第37回人権理事会ハイレベルセグメント 堀井学外務大臣政務官によるステートメント

2018-03-01 | 先住民族関連
Ministry of Foreign Affairs of Japan (プレスリリース) 2018/02/28
人権理事会議長,ゼイド高等弁務官,ご列席の皆様,
 日本国政府を代表して,人権理事会でステートメントを行う機会を得たことを大変光栄に思います。まず,昨年11月のUPR(ユーピーアール)日本審査において,多くの国から日本の人権分野の取組に対する前向きな評価や建設的なご意見を頂いたことに感謝いたします。
議長,
 本年は記念すべき世界人権宣言採択70周年です。日本は,戦後一貫して,同宣言で唱われた自由や人権といった高い理想を掲げながら,法の支配に基づく自由で開かれた社会の実現に向けて国内外の施策に取り組んでまいりました。
 その一方,国際社会においては,紛争の長期化・複雑化,テロ・暴力的過激主義の台頭,難民の大量発生等が存在し,自由や基本的人権といった基本的な価値が挑戦を受けています。こうした価値を維持し,促進していくためには,多大な努力が必要です。日本政府も,人権理事会等国際社会における議論のリード,SDGsの達成を視野に入れた国際ルールに基づく開発支援,各種制度構築を含む技術協力等を通じて,弛まぬ努力を進めてまいります。
議長,
 日本は,アジア出身の人権理事会理事国として,地域における人権の保護・促進に積極的に取り組んで参りました。同地域では,めざましい経済発展や着実な民主化の進展が見られるものの,自国民の基本的な自由と民主主義の抑圧・弾圧,人権擁護者の抑圧などの問題が依然として存在しています。
 日本は,国際社会との意味のある関与を拒否し,深刻な人権侵害を継続する国・地域に対しては,関係国と協力しながら,強く政策の是正を求めていく考えです。一方で,持続的な真の改善をもたらすためには,どのようなアプローチが最も効果的か,包括的・総合的に検討することも重要です。
 ミャンマーのラカイン州情勢について,日本は,その人権・人道上の懸念や国際社会との協力の重要性について,あらゆるレベルでミャンマー政府に伝えてきています。また,状況改善及び問題の持続可能な解決に向けたミャンマー政府の取組を後押しするため,ミャンマー及びバングラデシュへの人道支援に加えて,ラカイン州の抱える課題は複雑であり中長期的な支援が必要との観点から,避難民の帰還・再定住や,ラカイン州の発展のための支援を含むコミュニティ間の融和に繋がる開発援助等に取り組んでいます。
 カンボジアにおいては,本年7月の国政選挙を国民の意思が反映される形で実施することが極めて重要です。日本は高い関心を持って情勢の推移を注視しており,引き続きカンボジア政府へ必要な働きかけを行っていく考えです。
 日本は,地域における人権や法の支配といった基本的価値の定着のため,今後も粘り強く取り組んでいく考えです。
議長,
 昨年12月,国連総会において北朝鮮人権状況決議が13年連続で採択されました。同決議は,組織的かつ広範で深刻な人権侵害を非難し,その終結を強く要求するものです。これは,拉致問題を始めとする北朝鮮の人権侵害に対する国際社会の強い懸念の表れです。北朝鮮による日本人の拉致が発生して長い年月が経った今も,2002年に帰国した5名を除き,未だに拉致被害者の帰国が実現していないことは痛恨の極みです。日本としては,引き続き,北朝鮮に対し,拉致問題の早期解決に向けた具体的な行動を強く求めていきます。
 北朝鮮は,人々の生活や福祉を犠牲にして,核・ミサイル計画を執拗に追求しています。北朝鮮への圧力を最大限まで高め,北朝鮮が,国際社会の声を真摯に受け止め,拉致問題の早期解決を含む国際社会との協力に向けた具体的行動を取ることを強く求めていくことが重要です。日本は,今次人権理事会においても,北朝鮮人権状況決議案をEUと共同提出する予定です。各国の支持を期待します。
議長,
 日本は,社会的弱者の権利の保護促進にも積極的に貢献して参りました。UPRの審査でも多くの国から評価頂いた女性,障害者分野における日本の積極的な取組は,今や世界に誇れるものとなりました。紛争下の性的暴力は,看過できない問題であり,日本も,女性・平和・安全保障に関する行動計画に基づき,その防止のための取組を実施しており,紛争下の性的暴力担当国連事務総長特別代表事務所に対しトップドナーの一つにもなっています。児童の保護の分野では今月,私自身がスウェーデンで開催された児童の暴力撲滅に係るソリューションズサミットに出席し,「児童に対する暴力撲滅グローバル・パートナーシップ」のパスファインダー国入りや,「児童に関する暴力撲滅基金」への拠出の表明を含むコミットメントを力強く打ち出しました。引き続きこれらの分野で一層積極的に取り組んでいく所存です。
議長,
 韓国の代表が言及した慰安婦問題については,日本政府は長きに亘って真摯に対応してきましたが,2015年12月には,日韓両政府による多大な外交努力の末,慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を確認するとともに,国連等国際社会において互いに非難・批判することを控えることとしました。合意を受け,韓国政府が設立した財団には,日本政府から10億円を拠出し,実際に元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の癒やしのための事業が実施されてきました。合意時点で生存していた元慰安婦の方々47名のうち,7割以上の方々がこうした事業を受け入れるなど,多くの韓国人元慰安婦の方々も合意を評価しています。日韓合意は,国と国との約束であり,たとえ政権が代わったとしても責任をもって実施されなければならないことは国際的かつ普遍的原則です。日本側は,合意で約束したことを全て誠実に実行しており,合意が着実に履行されることが重要です。
 なお,先週,女子差別撤廃委員会において,韓国代表団が「性奴隷」との言葉を使用しました。「性奴隷」という言葉は事実に反するので使用すべきではないというのが日本側の考えであり,この点は日韓合意の際に韓国側とも確認していたものです。
 これに関連して,日本政府は,日韓間で慰安婦問題が政治・外交問題化した1990年代初頭以降,慰安婦問題に関する本格的な事実調査を行いましたが,得られた資料の中には,軍や官憲によるいわゆる「強制連行」を確認できるものはありませんでした。「慰安婦が強制連行された」という見方は,1983年,「私の戦争犯罪」という本の中で,故人になった吉田清治氏が,「日本軍の命令で,韓国の済州島において,大勢の女性狩りをした」という虚偽の事実を捏造して発表し,当時,日本の大手新聞社の一つにより,事実であるかのように大きく報道されたことにより,国際社会にも広く流布されました。しかし,これは,後に,完全に想像の産物であったことが証明されています。この大手新聞社自身も,後に,事実関係の誤りを認め,正式にこの点につき読者に謝罪しています。
議長,
 日本は国内の先住民族であるアイヌの権利の保護・促進に向けた施策にも積極的に取り組んでいます。また,難民については,国際機関と連携し,人道支援とともに難民発生の根本原因の解決に資する開発協力を実施してきているほか,受入れについても,アジアで初めて第三国定住を実施し,ミャンマー難民とその家族を暖かく受け入れてきています。
 人権の保護・促進に向けた国際社会の議論に積極的に貢献するとの決意の下,本年6月の自由権規約委員会選挙及び女子差別撤廃委員会委員選挙に,それぞれ日本から素晴らしい専門家が立候補しています。皆様のご支持をお願いいたします。
 人権理事会で議論される人権課題は増大傾向にあります。限られたリソースの中で,一層効率的・効果的に人権を保護・促進していくためには,人権理事会や人権条約体,OHCHR等の国際的な人権メカニズムの見直しも重要です。日本は,各種機能の質の向上や効率化に関する議論に積極的に参画していく考えです。
議長,
 世界人権宣言70周年にあたり,国際社会と協力しつつ,世界の人権の保護・促進に向け一層努力していく決意を新たにしたいと思います。
 ご静聴ありがとうございました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page4_003806.html

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フィリピンの日本大使館が地域の貧困対策の支援を実施。

2018-03-01 | 先住民族関連
海外不動産ポータルサイト SEKAI Property 2018/02/27
過激な発言で知られるロドリゴ・ドゥテルテ氏が大統領を務めるフィリピンは、都市部には近代的な高層ビルや世界的なモールなどが立ち並んでいる。経済成長率は約7%を誇り、着実な経済発展が進んでいる。
その一方では、都市部を離れた地方に目を向けると、学校や病院などの設備もない地域で、多くの人々が貧しい生活をしている現状もある。
昨年5月にフィリピンの日本大使館に赴任した小林篤3等書記官は、政府開発援助(ODA)の事業を担当している。
小林氏が担当するODA事業では、道路や鉄道のインフラの整備などの大規模な援助ではなく、貧しい地域の様々な課題を解決したり、地域のニーズに応えるための小規模支援を行なっている。
大使館のある首都マニラの南にあるバタンガス港からフェリーに2時間ほど乗ると、フィリピンで7番目に大きな島であるミンドロ島に到着する。島内の道を車で約3時間走り、険しい山道を登っていくと、そこにはミンドロ島の先住民族であるマンヤン族の集落がある。
マンヤン族は、米、ココナッツ、コーヒー豆などを生産する農業で生計を立てている民族だ。人里離れた山間部に住んでいるため、穀物を売る機会があまりなく、効率的な農業を行うための知識や技術も不足している。
マンヤン族の平均的な月収は日本円にすると約3000円で、先住民族の住民はいわゆる貧困状態にあった。
そうした状況の中で、マンヤン族に対してのODAの小規模支援が行われた。能力開発のための訓練施設が建設され、およそ3800人のマンヤン族に対して、彼らの伝統的な農業の生産性を向上するための研修が実施された。
日本政府の資金が貧困に悩む地域の人々の生活を向上させるために使われた形だが、小林氏が施設の引渡式に出席した際、マンヤン族に伝わる踊りや歌、食事などによる歓迎の機会があったという。その時の彼らの笑顔が今でも忘れられない、と小林氏は語った。
小林氏は今後の事業展開について、フィリピン国内で2番目に大きい島である、ミンダナオ島への支援の実施を考えている。
ミンダナオ島は、イスラムの過激派組織とフィリピンの政府軍との激しい戦いが、長期にわたって続いている地域である。昨年の5月にも大規模なテロが発生し、大統領による戒厳令が今も発令されている状況にある。
日本国内においても、日本政府はミンダナオ島への支援を重要視している。昨年の秋に行われた日比首脳会談でも、安倍首相は今後の一層の支援を表明した。
フィリピンは昨年は東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国を務めており、連合の一連の会議を成功させた実績もある。
フィリピンは、特に経済面において確実に成長の道を進んでいる一方で、少数民族やミンダナオ島に象徴される、貧困と紛争という厳しい現実の課題もある。
小林氏は、今後の治安情勢を冷静に見極めつつ、できる限りの支援を実施していきたいとする。それによって、日本とフィリピンの緊密な関係の更なる強化に役立つと信じる、と語った。
https://ja.sekaiproperty.com/news/2211/the-japanese-embassy-in-the-philippines-implements-support-for-local-poverty-alleviation

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「手塚治虫文化賞」マンガ部門ノミネート作が発表、「うつヌケ」「蒼き鋼のアルペジオ」など10作が候補に

2018-03-01 | アイヌ民族関連
アメーバニュース2月27日(火) 10:00提供:ウレぴあ総研
朝日新聞社が主催する「第22回 手塚治虫 文化賞」のマンガ大賞の最終候補作が発表されました。
非モテ女子に悪女! 漫画家・あいだ夏波が「型破りな少女漫画ヒロイン」を描く理由【ロングインタビュー】
マンガ大賞の候補作となるのはアニメ化もされた人気SFマンガ『蒼き鋼のアルペジオ』、手塚治虫作品のパロディで知られる漫画家・田中圭一さんのエッセイ漫画『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 、アイヌの文化にフォーカスをあてた漫画『ゴールデンカムイ』など、全10作品がノミネートされています。
選考には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で知られる漫画家・秋本治さんのほか、俳優・杏さん、小説家・桜庭一樹さん、漫画家・里中満智子さんなど、8人の社外選考委員が参加。書店員・マンガ関係者による推薦もあわせて決定したそう。
受賞作品の発表は2018年4月下旬ごろに朝日新聞紙面にて発表される予定です。
「第22回 手塚治虫 文化賞」マンガ大賞 ノミネート作品
『蒼き鋼のアルペジオ』 Ark Performance(少年画報社)
『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 田中圭一(KADOKAWA)
『狂気の山脈にて』 田辺剛(KADOKAWA)
『ゴールデンカムイ』 野田サトル(集英社)
『傘寿まり子』 おざわゆき(講談社)
『先生の白い噓』 鳥飼茜(講談社)
『それでも町は廻っている』 石黒正数(少年画報社)
『BLUE GIANT』 石塚真一(小学館)
『MATSUMOTO』 作:LF・ボレ、画:フィリップ・ニクルー、訳:原正人(G-NOVELS/誠文堂新光社)
『約束のネバーランド』 原作:白井カイウ、作画:出水ぽすか(集英社)
https://news.ameba.jp/entry/20180227-293

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島義勇の蝦夷地開拓説明 城東中で出前授業 さが維新塾

2018-03-01 | アイヌ民族関連
佐賀新聞2/27 7:10
 県内の中学校に新聞を届ける「さが維新塾」の一環として、佐賀新聞の記者が幕末維新期の歴史を教える出前授業が26日、佐賀市巨勢町の城東中(大坪泰校長)であった。佐賀新聞社の江島貴之記者が、2年3組の生徒34人に島義勇の蝦夷地開拓の歴史について講義した。
 江島記者は、ロシアによる南下を防ぐために佐賀藩が島と犬塚与七郎に蝦夷地調査を命じたことや、有力藩で蝦夷地を分割して管理しようとしたことを説明。「分割領有は実現しなかったが、明治に入って(島らの調査が)北海道開拓につながった」と解説した。
 生徒から「なぜ佐賀藩は北海道に関心を持っていたの」と質問が挙がると、江島記者は「近代化を進めるためにお金が必要で、藩内で作った焼き物などの売り先にしたかった」と背景を紹介し、生徒は興味深げに聞き入っていた。
 講義を踏まえ、生徒は各班に分かれ、「島の跡を受け継いで、どのように北海道を発展させていくか」を話し合った。「豊かな水源と広い土地を使い畜産と農業をする」「アイヌ民族も住んでいるため、多様な文化を取り入れる」など、地理条件などを生かしたアイデアが挙がった。
 元村颯真さん(14)は「島以外にも蝦夷地調査に行ったとは知らなかった。島の銅像が佐賀にもできるみたいですごい」と話していた。
http://www.saga-s.co.jp/articles/-/186300

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米国で有毒物質を最も多く排出する意外な街

2018-03-01 | 先住民族関連
日経BPネット2018.02.26
自給自足の伝統的な暮らしを脅かす鉱山による汚染
 極北の街コッツビューは、米国アラスカ州の北極圏、チュクチ海の入江に位置する。街には「ヌラグヴィク・ホテル」というホテル、数軒のB&B、いくつかの教会とメキシコ料理を出すレストランがある。3500人の住人の約70%が「イヌピアト」という先住民で、伝統を強く残した生活を営んでいる。
 住民の多くはできるだけ自給自足の生活をしようとしていて、海でアザラシを獲ったり、ツンドラの大地でガンやライチョウ、ヘラジカ、カリブーを獲ったりしている。ちなみにこの辺りのカリブーは、最近の調査で25万9000頭が確認されたアラスカ最大の集団だ。
 ただし、コッツビューにはもう一つ、あまりうれしくない特色がある。この点については、米国環境保護局の有毒化学物質排出目録(Toxic Release Inventory:TRI)という、一般の人にはほとんど知られていないデータに詳しく記載されている。(参考記事:「こんなにうじゃうじゃいるのはなぜ? 野生動物が群れる理由とは」)
34万トンの有毒化学物質
 TRIは、製造業、鉱業、発電などの産業関連施設に対し、リストに記載されている約650種類の有毒化学物質の排出量を報告するよう義務付けている。2016年のTRIのデータが昨年公開され、米国で最も汚染されている街がコッツビューであること、じつに34万トンもの有毒化学物質を排出していることが明らかになった。これは、鉄鋼業が盛んなインディアナ州ゲーリー、鉱山で有名なネバダ州バトルマウンテン、ミシシッピ川流域に多くの石油化学プラントがあるルイジアナ州ルーリングよりも多い。(参考記事:「銀山からリチウム産地へ、米ネバダ州」)
「報告書を見て驚愕しました」と話すのは、アンカレジを拠点として環境健康研究と権利擁護のために活動する「有毒物質問題に取り組むアラスカ・コミュニティー・アクション(Alaska Commynity Action on Toxics:ACAT)」のパメラ・ミラー事務局長だ。
 ミラー氏は、コッツビューから排出されているとされる有毒物質のすべてが、街から北に130キロほどのところにある世界最大級の亜鉛・鉛鉱山「レッドドッグ」から出ていると指摘する。排出されているのは鉛とカドミウム、そして水銀だ。これらの元素は人体に有害で、環境に長い間とどまる。この地域特有の強風に吹き散らされた物質は地衣類に蓄積し、その地衣類をカリブーが食べ、カリブーを人間が食べることになる。
「この土地は、将来にわたって汚染されつづけるのです」とミラー氏。「食料を自給自足している人が多い地域なので、非常に心配です」
レッドドッグ鉱山
 1989年に開業したレッドドッグ鉱山は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の金属鉱山会社「テック」が経営している。鉱山はアラスカ先住民の会社「NANA」が所有する土地にあり、NANAの株主600人が鉱山の従業員または請負人として働いている。NANAのウェブサイトによれば、レッドドッグは単なる鉱山ではなく、「アラスカ北西部とアラスカ州全体の希望であり、触媒」であるという。
 テック社のクリス・スタンネル上級広報担当官は、TRIの報告書にある排出量は、人里離れた鉱山の採掘現場で出る大量の岩石や鉱石についてのものであり、これらの物質は、州と国の許可の下、貯蔵設備の中でしっかり管理されていると説明する。彼は、「2016年について言えば、TRIの報告書にあるレッドドッグ鉱山からの排出物の99.93%以上が現場の選鉱くず貯蔵所にありました」と言い、このような物質が出るのは「採掘プロセスでは普通のことであり、環境に影響を及ぼすものではありません」と付け加える。
 実際、コッツビューの市職員は、有毒物質の排出についてあまりよく知らないようだ。市政担当者のビリー・ライク氏は「私が知るかぎり、鉱山は安全です」と言った。「有毒物質の排出については、全然気づきませんでした」
 しかし、コッツビューから海岸沿いに約145キロ北の、レッドドッグ鉱山に近い先住民の村キバリナでは、鉱山への懸念が高まっている。
 キバリナ村はウリク川の河口付近にあり、村人はこの川から魚や水を得ている。レッドドッグ鉱山の近くから始まるレッドドッグ川は、ウリク川の支流の1つだ。鉱山から出た水は法律に基づいて、廃水処理後にレッドドッグ川に放流されている。(参考記事:「ブリストル湾、アメリカ河川の危機」)
「近年、特に新生児について、これまでにない病気を見たり聞いたりするようになりました」と、村の中心的な人物であるミリー・ホーリー氏。彼女によると、心疾患のある新生児が増え、数百キロ離れた病院に手術を受けに行った幼児もいたほか、ティーンエイジャーの腎疾患も問題になっているという。「子どもたちの病気は、私たちがこの25年間、レッドドッグ鉱山からの水を飲んでいるせいだと思います。けれども、その証拠がないのです」(参考記事:「米Wバージニア、ケミカルバレーの現状」)
キバリナ村の不安
 ホーリー氏によると、キバリナ村は2014年にこの地域の汚染について環境アセスメントを実施するよう環境保護局に申し入れをしたが、NANAとテック社にそのことを知られ、アセスメントはまだ実施されていないという。村は現在、NANAやテック社と非公式の話し合いをしている。「まだ取り組みの途中なので、話し合いの結果についてお話しすることはできないのですが、私たちが特に心配しているのは村人の健康です」とホーリー氏は言う。
 キバリナ村は、以前からレッドドッグ鉱山と対立してきた。鉱山からの鉱石は80トントラックに載せられ、鉱山とチュクチ海の港を結ぶ全長80キロの道を運ばれる。港に着くと、鉱石は建物内に保管され、その後、はしけで沖合の大型運搬船に運ばれる。運搬道路はケープ・クルーゼンシュテルン国定公園の一画を通っている。米国国立公園局は2001年の報告書で、この道路沿いと港の保管エリア付近の植生に含まれる鉛、カドミウム、亜鉛の濃度が上昇していると指摘した。特に鉛とカドミウムの濃度は、「中欧と東欧の高汚染国の多くとロシア西部全域」の汚染レベルを超えているという。(参考記事:「ロシアの川が真っ赤に、工場の排水が原因か」)
 この報告書によりキバリナ村の汚染が懸念されるようになり、テック社は汚染防止に力を入れるようになった。運搬道路を走るトラックは徹底的に覆われるようになり、道路沿いの排出量はテック社が監視し、アラスカ州環境保全局に報告されるようになった。鉱山はまた、アラスカ州魚類鳥獣部と協力してカリブーの肉や内臓に含まれる汚染物質を分析し、カリブーを食べるハンターの健康に影響を及ぼす恐れがないか評価している。スタンネル氏によると、先住民のハンターからなる独立の委員会も定期的に会合を開き、鉱山がカリブーの群れに及ぼしうるリスクについて話し合っているという。(参考記事:「動物の命を脅かす有毒物質の流出」)
「汚染があることは事実です」
 それでも、米国立公園局の科学者らが2017年に科学誌『PLOS ONE』に発表した論文によると、2001年から2006年にかけての運搬道路沿いの重金属濃度を分析した結果、「一時的な粉塵の飛散量は大幅に低下したものの、運搬道路沿いの亜鉛、鉛、カドミウムの濃度はいまだに高い」ことが明らかになったという。国立公園局のアラスカ地区の生態学者で2017年の論文の共著者であるピーター・ネイトリック氏は、「ケープ・クルーゼンシュテルン国定公園内の汚染物質は重大な問題で、特に監視に力を入れています」と言う。(参考記事:「オバマ大統領が非常事態宣言、水道鉛汚染の現実」)
 国立公園局のマイヤ・カタク・ルーキン氏は、ケープ・クルーゼンシュテルン国定公園、ノアタック国立自然保護区、コバック・バレー国立公園を含む北極圏西部草原地帯を担当する監督官だ。彼女はネイトリック氏の研究を引用して、「汚染があることは事実です」と認めるが、「『汚染』という言葉を使うと恐ろしいことが起きているように聞こえますが、許容限度内です」とも言う。
 ルーキン氏は、レッドドッグで採掘されている鉱床は常にテック社と国立公園局が確認していると指摘する。「鉱物の採掘には責任ある採掘と無責任な採掘の2種類がありますが、レッドドッグ鉱山は環境への影響を和らげるために全力で取り組んでいる段階に入ったと思います」と言う。(参考記事:「むしばまれる自然:エルクバレーの炭鉱」)
 ルーキン氏は、クルーゼンシュテルン岬の先端で電気も水道もなく狩猟生活を営む「シェシャリク」という小さなコミュニティーで育った。「先住民は、大地が人間を生かしていて、人間が生きるために大地の世話をしなければならないことを、生まれたときから知っています。その歴史は私たちのDNAに刻まれています」と彼女は言う。
「私が国立公園局で働こうと思った理由の1つは、この仕事がイヌピアトと非常に近い価値観にもとづいているからです」
アラスカの鉱業の未来は?
 アラスカの鉱山をめぐる論争は終わらない。現在、アラスカ北西部ではアンブラー・ロードをめぐる論争が激化している。アンブラー・ロードは、内陸の鉱業地域をアラスカ中心部のダルトンハイウェーと結ぶ全長340キロの産業用道路だが、計画されている道路のうち約30キロが国立公園局の土地を横切ることになっている。また、アラスカ南西部では、ペブル・リミテッド・パートナーシップが金、銅、モリブデンを豊富に含む鉱床の採掘を計画していたが、2014年にオバマ政権により差し止められた。昨年5月に環境保護局のスコット・プルーイット長官が再考を発表したものの、100万人以上におよぶ関係者の声を受け、この1月に再び中止された。(参考記事:「アラスカの鉱山、最大サケ漁場を汚染?」)
 環境保護局が1月26日に出した声明には、「パブリックコメントからコミュニティーミーティングまで、利害関係者が強調していたのは、すばらしい鉱山ベンチャーと、世界最大級の商業用漁場へのリスクとをはかりにかけることの重要性だった」と記されていた。
 レッドドッグ鉱山は2031年まで採掘を許可されている。ミラー氏は、この鉱山が「スーパーファンド・サイト(環境汚染がひどく、閉鎖後の除染に巨額の資金が投入される鉱山)」になるのではないかと心配している。テック社のスポークスマンであるスタンネル氏は、レッドドッグ鉱山は閉鎖後にスーパーファンド・サイトになるのかという質問には直接答えず、テック社は「閉鎖後の完全な再生を約束する」とだけ説明した。(参考記事:「米国 汚染地に暮らす」)
 アラスカの住民の多くがNANAの哲学を受け入れ、ひとつの地域から鉱物と食料の両方を安全に得られると信じている一方で、ACAT(有毒物質問題に取り組むアラスカ・コミュニティー・アクション)のミラー氏は、資源採掘経済に批判的な目を向ける人々が増えていると感じるという。「彼らは、鉱業は短期的な経済的恩恵をもたらすだけで、長期的には州の自然やコミュニティーに悪影響を及ぼすのではないかと心配しています」
 アラスカ出身でコッツビュー在住のベストセラー作家セス・カントナー氏は、「私はこのブルックス山地で、大地の恵みを受けて生きてきました。狩りをし、漁をし、罠を仕掛け、ベリーや薪を集め、小川のきれいな水を飲んで暮らしています。私は芝土の小屋に住んでいますが、グリズリーが屋根の上を歩き、カリブーの群れが玄関の前を通っていきます」と言う。(参考記事:「【動画】クマが森から飛び出し、突進してきた」)
「多国籍鉱山会社は、そんなアラスカを手に入れたがっているのです」(参考記事:「鮭を獲るか金を掘るか、アラスカで対立」)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/022300155/

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(白球の世紀:35)神風、冒険機の名だった 高校野球

2018-03-01 | 先住民族関連
朝日新聞2018年2月27日16時30分
■ありがとう 夏100回 これからも
 1931年の夏、第17回全国中等学校優勝野球大会は、全参加校数が634校と前年から93校も増加。甲子園では8月21日、中京商(愛知、現中京大中京)が優勝を果たした。
 決勝で敗れた台湾代表の嘉義農林は、日本人、台湾人(漢人)、先住民の混成チームで台湾大会を制し、初出場。「KANO」と書かれたユニホームで、甲子園でも勝ち上がるごとに注目を集める。その活躍を描いた映画は、2014年に台湾で翌年日本で公開された。
 一方、航空界では、前人未到だった太平洋無着陸横断飛行の準備が進んでいた。8月7日付大阪朝日新聞はハーンドン、パングボーン両飛行士の「ミス・ビードル」号が立川に着いたと伝える。10月4日、青森県の淋代(さびしろ)飛行場から離陸した同号は、41時間12分で7910キロを飛び5日朝(日本時間6日未明)、米ワシントン州ウェナッチに胴体着陸。日米を無着陸で結ぶ。朝日新聞は、リンドバーグが大西洋を無着陸横断した時の、数倍に及ぶ紙面を割いた。
 だが、世情は暗さを増していた。9月に満州事変が始まり、10月8日、旧日本陸軍が中国東北地方の錦州を空爆。ビードル号飛行士の手記と、国際的に非難を浴びた航空作戦とが新聞の1面に並んだ。空は冒険の舞台から戦場へと変容を始めた。
 それでも空への挑戦は続く。朝日新聞社は37年4月、国産機「神風(かみかぜ)」号で東京―ロンドン間を飛行。機名は53万6千通の応募から選ばれた。11カ所に着陸して1万5357キロを実飛行51時間19分と、新記録を樹立。38年5月には東大航空研究所が設計した「航研機」が、周回コース飛行で1万1651キロの長距離世界記録を作っている。
 だが、37年7月に始まった日中戦争で軍の専横は強まる。41年12月、米英と開戦。敗勢濃厚ななか旧海軍は44年10月、「神風(しんぷう)特別攻撃隊」を結成。カミカゼは自爆攻撃の名に変わった。「空の大航海時代」に育った元球児たちは、相次ぎ空で命を落とした。(編集委員・永井靖二)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13379409.html

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なぜクジラやイルカを食べてはいけないのか?『ザ・コーヴ』の反証映画が映画賞受賞!

2018-03-01 | 先住民族関連
AbemaTIMES2018年02月28日 08:03
 今月17日にロンドンで開かれた国際映画祭の長編ドキュメンタリー部門で、『ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る〜Behind "THE COVE"』(現在、189カ国でネット配信中)の八木景子監督が最優秀監督賞を受賞した。
 八木監督が同作を製作する発端となったのが、タイトルの通り、映画『ザ・コーヴ(THE COVE)』(2009年、ルイ・シホヨス監督、米)をめぐる問題だ。立ち入り禁止区域に侵入し、イルカの捕殺場面を隠し撮りするなどして残酷性を強調、和歌山県太地町伝統のイルカの追い込み漁を批判的に描いた作品だったが、アカデミー賞・長編ドキュメンタリー賞を受賞した。その後、日本の捕鯨やイルカ漁に対する国際世論の厳しい見方が広がり、太地町の人々に世界中から"野蛮・虐殺者・変態民族"などの心無い言葉を浴びせられた。
 しわ寄せは近隣の町にまで及んだ。去年10月、同じ和歌山県の白浜町にあるテーマパークで、反捕鯨活動をする外国人2人がイルカショーを開催中のプールに飛び込んでショーを妨害し、威力業務妨害容疑で逮捕された。
 八木監督は、『ザ・コーヴ』の反証作品として、太地町に押し寄せるこうした反捕鯨活動家と町民の主張の双方を取材、作品を通して捕鯨を日本文化の一部として肯定的に描いてみせた。
 映画の中では、環境破壊や食の健康被害などを危惧する反捕鯨派が「西洋では黒人をサーカスに入れたり動物園に入れたりした。それは間違いだよね。いつかイルカも同じようになる」「学校給食からイルカ肉がなくなったのも自分の子供に毒を食べさせたくないからだ」など声を荒げる。『ザ・コーヴ』のルイ・シホヨス監督も、隠し撮りについての質問に「関係ない。太地町の間違った行いを世界は目撃したんだ」と回答、両者の議論はどこまでも平行線を辿る。『ビハインド・ザ・コーヴ』の公式サイトがサイバー攻撃されたこともあったという。
 そんな中、今回『ビハインド・ザ・コーヴ』を評価したのは、反捕鯨国であるイギリスだった。八木監督は「観た方のほとんどは日本側の意見を聞いたことがなく、今まで自分たちが聞いてきたこととは違う新しい知識を得られたということが高く評価された。バランスがいいということと、情熱が伝わってくるということと、映画として素晴らしいと言われた。欧米の人たちが素晴らしいなと思うのは、ちゃんとディベートしようとか、評価するところは評価するというところがある」と驚きを隠さない。
■日本の情報発信に問題?
 太地町は、紀伊半島南部に位置する人口およそ3200人の小さな町だ。日本の古式捕鯨発祥の地として知られ、かつては町民の多くが捕鯨や捕鯨関係の仕事に従事してきた。1982年以降、大型の鯨を対象とする「商業捕鯨」が全面禁止となり、町の水産業は著しく衰退した。
 それでも町はクジラを中心とした観光に力を入れており、捕鯨の歴史と技術を後世に伝えることを目的に「くじらの博物館」を開館させた。現在も和歌山県知事の許可の下、決められた数のイルカを追いこみ漁で捕獲。入場客たちは、そうした鯨やイルカに触れ合うことができる。桐畑哲雄副館長は、「太地町にとっては捕鯨、鯨というのは絶対切っても切り離せない存在。本当に太地町にとって重要なもの」と訴える。
 町民からも「太地から鯨をとったら何もないと思うし、命を頂くことに関してはイルカにしても魚にしても牛とかにしても一緒だと思う」「よその国の食文化をキャーキャー言う方がおかしい」と話す。
 水産庁によると、イルカとは体長4メートル以下の鯨を指し、基本的には同種の生物だ。捕鯨反対派はクジラやイルカが「かわいい」「知能が高い」「野生の生物」「残酷すぎる」「絶滅危惧」などを挙げる。
 日本の捕鯨文化に反対する一人、元読売新聞で調査報道記者のジェイク・エーデルスタイン氏は、水銀による健康被害の可能性や、調査捕鯨に税金が投入されていることを指摘する。
 捕鯨には、一般に食用肉に加工するなどを目的とする「商業捕鯨」、生活に必要な捕鯨としてIWC(国際捕鯨委員会)に捕獲枠を認められている「先住民生存捕鯨」などがある。日本が行なっている「調査捕鯨」は、頭数、年齢分布、食性などの調査が建前だ。
 八木監督は「国際会議で"いじめ"に遭ってしまっていて、日本の政治家はイエスかノーかハッキリ言えない理不尽な状況。資源は豊富にあり、商業捕鯨を再開しても全然おかしくないのに、感情論で決められてしまうので、仕方なく抜け道として調査捕鯨を行っている。リック・オバリー(『ザ・コーヴ』主人公)は、『反対理由は作る』と言っていた。結局、水銀の問題などが全てクリアになったとしても、かわいいからという理由で反対するのだろう」と話す。
 マグロ漁師の経験もあるリディラバ代表の安部敏樹も「日本の文化は、油、骨、皮までちゃんと使って、しっかりサスティナブルに消費していこうという考え方。クジラの頭数が増えてきたのであれば、商業捕鯨にして良いはず。"それなら捕っていいよね"と国際社会に言ってもらえるまで、水産庁も含め日本はしっかりコミュニケーションしなきゃいけない」と指摘する。
 これを受けた八木監督は、「農産物にも税金が投入されているのに、なぜ捕鯨だけ突くのかという、アンバランスさもある。捕鯨推進の人たちがちゃんと言い返さないから、『違法なんだ』『水銀で不健康なんだ』『税金が捕鯨だけにいっぱい費やされているんだ』という誤った情報がどんどん出て行ってしまう」と警鐘を鳴らしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
▶『AbemaPrime』は月~金、21時から放送中!
http://blogos.com/article/280577/

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柏崎刈羽原発事故なら風下の三条市の被曝は避けられない 福島県双葉町の前町長

2018-03-01 | 先住民族関連
ケンオー・ドットコム (2018.2.26)
未来の生活を考える会・三条は18日、三条東公民館で「福島を考える講演会&コンサート」を開き、80人余りが来場して福島県双葉町の前町長、井戸川克隆さんの講演を聴き、ネイティブアメリカンフルート奏者マーク・アキクサさんの演奏を楽しんだ。
 井戸川さんは、2005年から13年まで双葉町の町長を務めた。「ふくしまから私が 今、伝えたいこと」をテーマに、11年の東日本大震災、福島第一原発の事故発生時の県外避難などの経験を踏まえて、行政や国の対応、自身の経験や思いを話した。
井戸川さんは、東日本大震災でまったく変わってしまった自分の人生を「何もできないようになってしまいました」と表現した。ホームグラウンドがなくなり、町長として双葉町のかじ取り、計画立案、予算執行などが全部できなくなった。「この許せない事故に対して、思いも含めて説明させてもらう」と始めた。
 事故後は、「福島は皆さんの意思で、皆さんの声をあげて何かを決めたことはほとんどありません。わざわざ皆さんの声を閉ざして、国が憲法に関わる生存とか財産とか全部、この事故で彼らが仕切ってきた」と不満を訴えた。
双葉郡は8町村あり、首長8人の中で井戸川さんは1対7と孤立した。容易ならぬ事故なので一緒に取り組もう、たとえば賠償問題も一緒にやろうと提案したが、「民間と民間の問題。皆さんと東電の問題だから、行政がかかわる問題ではない」という意見が出て、それを否定するのは自分だけだった。
「厳しいようですが、自分のことは自分で守ってくださいね、自学自習の中で」、「行政は何もやってくれませんから」。危機管理がしっかりしている首長がいればいいが、新潟県は福島県と違って、技術委員会があり、福島の事故を検証している。本来、福島県がやらなければならないこととで、これをしないで復興だ、風評だと言っているのは本末転倒と批判した。
 三条市は、柏崎刈羽原子力発電所の風下に位置しており、事故が起こった場合には、放射能はまともに飛んできて、放射能の被爆は避けられないとし、警鐘を鳴らした。
マーク・アキクサさんのコンサートでは、オリジナル曲をはじめ、アメージンググレイスなどおなじみの曲も演奏。ネイティブアメリカンフルートは、北米先住民に伝わる木製の縦笛で、自然の優しさや厳しさ、大きさを感じさせるような優しく深い音色が会場を包んだ。
さらに、楽器や曲を紹介しながら、楽しく話すマークさんの世界に観客は引き込まれ、曲が終わるたびに大きな拍手を送っていた。
http://www.kenoh.com/2018/02/26_fukushima.html

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異なる文化を学び、自分の社会を知る――人類学とはどのような学問なのか

2018-03-01 | 先住民族関連
龍谷大学講師、椿原敦子氏インタビュー
synodos.jp2018.02.28 Wed
遠く離れた地を知ることで、自分たちの社会が見えてくる――。人類学の魅力はそこに尽きる。フィールドワークを通じ、現地の人々にまざり、解釈を共有することで学ぶ人類学。その歴史、葛藤、そして最先端の調査手法について、ロサンゼルスのイラン人移住者を研究されてきた、龍谷大学の椿原敦子氏に伺った。(聞き手・構成/増田穂)
遠くの地から知見を得る
―先生のご専門は人類学と伺っておりますが、人類学とはどのような学問なのでしょうか?
かつて社会学と人類学が未分化だった時代、社会学は国内問題を扱うもの、人類学は国外、とくに植民地統治下の国々を学ぶもの、という大まかな棲み分けがありました。いずれも自分たちの社会が抱える問題を解決するために行う研究で、そのヒントを海外に求めたものが人類学だったと言えるでしょう。
初期の人類学は植民地統治と深く結びついていました。なぜなら、植民地の行政官や、布教に渡った宣教師たちの残した記録を、主な資料としていたからです。「安楽椅子の人類学者」と言われますが、欧米にいる白人の研究者たちが間接的に収集した報告書や手紙、資料を通じて、自分と遠く離れた未開社会を知り、人類とは何か、人間の本質とは何か、といった問いの答えを探していたのです。
19世紀末のヨーロッパでは、西洋が進んでおり、それ以外が遅れているという考えがありました。つまり、植民地にある未開社会とは、進化論的に人類のもっとも古い地層だと考えられていたのです。その根本の資料を集めることで、人類に関する知見を得ようとした。それが人類学の成り立ちです。
――異国の地の文化を学ぶことで、自分たちが抱える問題の解決につなげようとした。
はい。たとえばマルセル・モースという20世紀前半の人類学者は、メラネシアや北米先住民社会を研究対象にしていました。彼は自国フランス社会の変革を目指す活動家でもありました。モースの代表作『贈与論』の狙いは、現代人の生活においてすら、お金で測られるような損得を超えた贈り物とお返しが、生活の大部分を占めていることを思い起こさせることにありました。
社会学が国内で起こっている課題を直接的に扱い、解決策を探るものだとしたら、人類学は遠く離れた地のことを学ぶことで、自分たちの社会を再考する機会を与えてきたのです。
――問題解決型のアプローチが多かったのですね。
そういえると思います。たとえば、人類学者マーガレット・ミードの初期の著書で、1928年に出版された『サモアの思春期』では、サモアの若者の間には、アメリカの若者が抱えるような思春期の葛藤がない、なぜならサモアは性的に非常に開放されているからだ、ということが語られています。
このように、彼女はつねにアメリカ社会を意識した研究を行いました。事実、彼女は女性解放運動にも積極的でした。性に関するアメリカ社会が抱える問題は、研究をする上でつねに念頭にあったと思います。今でも自分の抱えている問題と結び付けたフィールドを研究される方は多いですよ。
「安楽椅子の人類学者」からフィールドワークへ
――人類学というとフィールドワーク、という感じがしますが。
もちろん今の主流はフィールドワークです。ただ、最初期の人類学は文献に頼る研究が多かったんです。フィールドワークは、20世紀初頭から行われています。このころ活躍した人類学者のブロニスワフ・マリノフスキは、パプアニューギニアなどに実際に赴き研究しました。彼はフィールドワークを行ってエスノグラフィー(民族誌)を書くという方法を確立し、「近代人類学の父」と言われています。
マリノフスキはフィールドワークを大変重視していました。行政官や宣教師による報告には、誇張や偏見が含まれているし、文脈を欠いた断片的な情報だと考えたからです。彼は現地社会を理解するためには、実際に出向き、自分で見聞きしなければならないと考えていました。これは今でも見習うべきフィールドワークの姿勢として参照されています。
――よりバイアスのないかたちで、「未開の地」の文化を学ぼうとしたのですね。
はい。とはいっても、先ほど申し上げたように、初期の人類学では植民地が多く研究対象とされました。これは、当時足を運びやすい異国として、植民地先が選ばれがちだったことが関係します。しかし、結果として、当時社会に浸透していた宗主国と植民地の力関係が、研究にも内包されてしまう側面がありました。
――どういうことでしょうか?
こちらにそのような意図がないにせよ、研究という行為を通じて、現地を搾取する行為、相手の不利益になるような行為をしている可能性があるということです。
1980年代以降は、人類学でもこうしたポストコロニアル的な思想が広がり、調査の上での立場の違いや現地への影響などを再考する動きが生まれました。それ以降は、調査方法自体をより精緻化させ、よりよいフィールドワークを実現するための試行錯誤が繰り返されています。
もっとも、フィールドワークは人類学の専売特許というわけではなく、社会学などの隣接分野でも実践されています。アメリカの都市社会学にシカゴ学派というものがあり、その流れに位置づけられるウィリアム・ホワイトはマリノフスキの影響を受け、フィールドワークを取り入れたそうです。
――人類学の実践が共有されていっているのですね。
はい。ホワイト以前にも都市の社会構造を現地調査によって解明する社会学的研究はありましたが、彼は参与観察とよばれる手法を取り入れ、現地の人々の感覚を体得し、それを記すという方法を取りました。質的調査に人類学の知見が活かされたのです。
移住者はなぜそこに集まる?
――椿原先生はどのようなご研究をされているのですか。
イラン出身のロサンゼルス移住者の研究をしています。
――いわゆる、「移民」の研究ですか?
「移民」という言葉は意図的に使っていません。対象としている人々のなかには、移民や難民、亡命者など、多様な肩書の人々がいるからです。定住する人もいますし、中継地として一時的に滞在している人もいます。ですから「移住した人たち」という言い方をしているんです。
――流動的な人の動きを見てこられたのですね。
はい。私の研究は流動性もあって、対象人口や地域が固定されていないので、前提条件を聞かれたときにはとても困りました。昔ながらのフィールドワークでは、対象地域内の全戸を調査して、全世帯把握しますからね。基本が成り立たない研究でした。
もちろん統計上は数字があって、ロサンゼルス、南カリフォルニアに住んでいるイラン人は、2世3世を含めて30万人程度と言われています。普通はもっと規模やテーマの絞込みを行うはずですが、あえてそのままで。ですからいちおう、フィールドとしてはそのくらいの人をそのへんの地域でやっています、とお伝えするのですが……。なかなか納得はしてもらえないですね(苦笑)。
――ご研究のテーマとしては、どのようなものを扱ってらっしゃったのですか。
南カリフォルニアって大きいですよね。これだけ広い地域で、イラン移住者たちはどのようなネットワークをつくっているのか、という研究をしていました。
具体的には、商業活動や、宗教儀礼などでの人々の関わり方、そしてそうした「場」の立ち上がり方を分析していたんです。さまざまな種類のつながりが多層的に組み合わさることで、多くの人がネットワークを築いています。これだけ大きな地域のなかで、なぜその「場」が人々のつながる場所として成立したのかを調べる、というのがテーマですね。
――実際にロサンゼルスに行かれてフィールドワークをされた。
そうです。ロサンゼルスのなかにイラン系の移住者がよく利用するウエストウッドという一角があります。そこはエスニックタウンでも、生活がそこで完結するような「飛び地」のような地区でもありません。そこで、通算16か月くらいの実地調査を行いました。1~3ケ月くらいのフィールドワークを繰り返した感じですね。
面白いんですよ。ロサンゼルスのイラン系移住者、流動的でモビリティが高いという話をしましたよね。そうすると、何か月かして再度調査に行くと、前回お世話になった人がいなかったりして困ったりして(笑)。
――それは困りますね(笑)。
でも、それが興味深いんです。つまり、人は変わるけれど、その場所に集まるんです。ロサンゼルスはイランの国外でもっともイラン系住民の多い土地です。さらに、そのなかの特定の場所に、彼らが集まる場所があります。そこに興味をもったんです。
集まる場所といってもイラン系の商店だとかならまだしも、大通りを隔てて二軒あるコーヒーショップのこちら側はいつもイラン人でいっぱい、あちら側にはほとんど行かないという例もあります。どうしてそうなっているのか、その文脈を探っていきました。【次ページにつづく】
https://synodos.jp/intro/21158

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<金曜カフェ あのころこれから>漫画家ちばてつやさん 18年ぶり単行本、半生描く

2018-03-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/27 18:25
 「立て! 立つんだジョー!」「まっ白に…燃えつきた…まっ白な灰に…」。数々の名文句を日本人の脳裏に刻んだボクシング漫画「あしたのジョー」は今年、連載開始から50年。国民的人気を誇る名作を生み出した漫画家ちばてつやさんは79歳になった。年齢を重ね、近年は執筆活動を抑えてきたが、2月に自伝的漫画「ひねもすのたり日記」1巻(小学館、1200円)を出した。“ちば漫画”の原点と言える戦争体験や、大ヒット作を飛ばした往事の思い出、現代の若き漫画家に望むことは―。漫画界の重鎮に聞いた。
 「ひねもすのたり日記」は、ちばさんにとって18年ぶりの新作単行本。漫画誌「ビッグコミック」に2016年1号から連載中の作品をまとめた。現在と過去を行き来しつつ、自伝風に物語を進める。
 今回発売された1巻は、旧満州(現中国東北地方)からの引き揚げ体験が中心だ。終戦の夏、ちばさんは6歳。両親や弟3人とともに、飢えと危険にさらされながら丸1年かけて日本にたどりついた。「6歳から7歳までの記憶が一番つらい。身近にいる人がバタバタ倒れたり死んでいった1年」と振り返る。
 つらい体験は、漫画家としての原点にもなった。逃避行の途中、父親の同僚だった中国人が3週間、一家を屋根裏にかくまってくれた。外に出られず暇をもてあます弟たちのため、絵を描き、物語を作った。「弟たちが『次、どうなるの』って聞いてくる。こっちも予想を裏切るような、あっと驚くような話にしたいし。漫画家になってからも同じですね」と笑う。
 命がけで日本にたどり着いたところで1巻は終わる。先走って“その先”を聞いてみた。
 漫画家デビュー後まもなくは少女漫画をメインに執筆していた。1963年に少女漫画誌に連載した「ユキの太陽」は、主人公の女の子の父親をアイヌ民族の猟師という設定にした。「インディアンや沖縄の問題もそうだけど、ちょっと悲しい運命を持って、ひっそり昔の文化を守りながら生きているのが神秘的に思え、あこがれがあった」
 その後、活躍の場は少年漫画、特にスポーツ作品へと移る。いわずと知れた代表作「あしたのジョー」は、68年から5年間、少年漫画誌「少年マガジン」に連載された。原作の故・梶原一騎さんとのタッグ。「私はどっちかというと明るい部分、梶原さんはちょっと影のある、大人の部分。人によっては水と油と言われたけど」。真っすぐなひた向きさを描くちばさんと、格闘技や裏社会に通じる梶原さんが、絶妙に融合し、人気作となった。
 主人公矢吹丈のライバル力石徹が激闘の末に亡くなると、“葬儀”が行われるなど社会現象になった。ファンから「この先展開はどうなるのか」と問い詰められたことも。「私は物語が最後どうなるかまで考えず、それぞれのキャラクターの日記を編み込むつもりでドラマを作っていた。明日のジョーだけど、明日のことは分からない」。そんな風に答えると「そんなことで作っているのか」とヤジが飛んだ。
 その後も「おれは鉄兵」「のたり松太郎」「あした天気になあれ」などヒット作を連発。多くはスポーツを題材にした。「汗をかいている人間、冷や汗だったり、熱い汗だったり、何かを一生懸命やろうとしている人間が好きなんです。どうしてもスポーツになりましたねえ」と感慨深げに振り返る。
 2005年から文星芸術大(宇都宮市)マンガ専攻で教授を務める。「ちばてつや賞」の選考で、後進の作品を目にする機会も多い。若手について「画力、演出力、キャラクターを描く力はすごい」と評価する一方、「時代のせいか、暗い作品が多いのが気になる」と言う。「もっと読んで元気になる作品がたくさん出てほしい」
 現在、北海道出身の漫画家が多数活躍し、漫画家を夢見る少年少女も数多い。彼らに送る言葉は?
 「漫画はそんなに材料はいらないし、場所もとらないのに、その辺の映画より感動するものをつくることができる。面白ければ世界中で読まれる、やりがいのある仕事。素晴らしい媒体なんだから、意欲をもって、自信をもって漫画に挑戦してほしい」(東京報道 原田隆幸)
 <略歴>ちば・てつや 1939年、東京生まれ。2歳で旧満州に渡る。終戦後日本に引き揚げ、高校時代に貸本漫画家としてデビュー。代表作に「紫電改のタカ」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」など。現在、文星芸術大教授、日本漫画家協会理事長。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/167821

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<おたる水族館 楽しい仲間たち>「魚の神」オオカミウオ こわもて でも餌おねだり

2018-03-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/27 17:00
 北海道の先住民アイヌ民族の人々は豊かな自然をカムイ(神)の恵みとして大切にしてきました。野生動物の呼び名などにもその精神が現れています。シマフクロウ=コタンクルカムイ(村の守り神)などがよく知られています。
 水族館にも神の名を冠した魚がいます。有名なところだと、サケ=カムイ・チェプ(神の魚)。同じような呼び名で チェプ・カムイ(魚の神)と呼ばれた魚が今回紹介するオオカミウオです。英語名はWolf fish(ウルフフィッシュ)と和名そのままです。強大な牙(犬歯)がオオカミを連想させるところから付けられた名前なのでしょう。
※「チェプ」の「プ」は小さい字
(続きあり)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/167759

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