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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ遺骨1箱返還へ 旭川地裁口頭弁論で北大意向

2018-03-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/07 05:00
 【旭川】北大が研究目的で保管するアイヌ民族の遺骨2体の返還に応じないとして、旭川アイヌ協議会(川村兼一会長)が遺骨の返還や慰謝料などを求めた訴訟の口頭弁論が6日、旭川地裁(湯川克彦裁判長)であった。
 北大側は、鑑定した結果、新たに同大で見つかった頭蓋骨のない遺骨2箱分のうち、1箱の骨が過去に同協議会に返還した遺骨5体のうちの1体の一部であることを明らかにし、返還する意向を示した。同協議会は、残り1箱にも「旭川」との記載があることから、合わせて返還を求めていく方針。
 遺骨5体は、旭川市内の墓から掘り出され、1951年から同大が研究目的で保管し、85年に同協議会に返還された。その後、別の遺骨2体が同大に残っていることが判明し、同協議会などがこの2体の返還を求めて昨年7月に提訴。訴訟の中で、新たに2箱分の遺骨が同大にあることが分かった。
 原告側は閉廷後、記者会見し、北大側は、和解に応じれば同協議会がこれまで求めてきた遺骨2体は返還するが、慰謝料は払わないとの意向を示していることを明らかにした。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/169945

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「ラテンアメリカ五〇〇年」清水透著

2018-03-07 | 先住民族関連
日刊ゲンダイ2018年3月7日

「リアルな歴史」にこだわる著者は、40年近くにわたってメキシコのマヤ系先住民社会に通い、その土地の歴史を考えてきた。その体験を踏まえ、ヨーロッパによる「発見」以降の約500年のラテンアメリカの歴史を、これまでの征服者や宗主国の視点とは異なるアプローチで描き出す講義集。
 歴史も文化も人種構成も多岐にわたる広大なラテンアメリカを3つの「場」に分類。その上で征服を正当化するためにいけにえや人肉食などの野蛮なイメージを捏造した征服者らのイメージ戦略や、強制されたキリスト教を再解釈して、新しい宇宙観をつくり上げていったインディオたちの文化の創造力など、発見された側に寄り添った考察が、歴史の見方、捉え方を変えてくれるお薦めの書。(岩波書店 1200円+税)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/224548

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アイヌ語車内放送4月から 平取町走るバス 冊子配布も

2018-03-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2018/03/06

 【平取】町内を走る路線、都市間バスの車内アナウンスで、アイヌ語によるあいさつや行き先、注意事項などの紹介が4月から始まる。アイヌ語に触れる機会を増やし、身近に感じてもらう狙いだ。アイヌ語由来の地名などを記したリーフレットも車内で配り、親しみを持ってもらう予定だ。
 アイヌ語放送は、内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室が企画。道内でも、アイヌ文化の伝承活動などに積極的な町がふさわしいと判断し、道南バス(室蘭)に協力を呼び掛け準備を進めている。
 放送は、日高と札幌を結ぶ都市間バス「高速ひだか号」、日高と苫小牧を結ぶ路線バス「特急ひだか号」、日高富川高校線で1日計8便。いずれも平取町内の区間のみで、日本語とアイヌ語を放送する。「イランカラプテ」で始まるあいさつのほか、行き先や乗車案内などを行う。
 声の担当は、アイヌ語の弁論大会で優勝経験もある平取町出身の関根摩耶さん(18)で、録音は北大アイヌ・先住民研究センターの北原次郎太准教授らの監修を受け、2月に済ませた。今春、首都圏の大学に進学する関根さんは「緊張したが、貴重な経験をさせていただいた。多くの方に聞いてほしい」と話している。
 道分室は、アイヌ語由来の地名などのリーフレットも車内で配り、専用サイトでも紹介する方針。同分室の笹木裕子主査は「耳にやさしいアイヌ語に多くの方が親しんでほしい」と呼び掛けている。(升田一憲)
※イランカラプテの「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/169545

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国連の人権巡る勧告、日本は死刑廃止など拒否 見解公表

2018-03-07 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年3月6日13時20分
 国連人権理事会における人権状況の対日審査で出された勧告について、日本政府の見解が5日、公表された。各国から出された全217件の勧告に対して、145件を受け入れ、34件を受け入れ拒否、その他は留意などとした。
日本の人権状況、各国から218の勧告 国連人権理事会↓
https://www.asahi.com/articles/ASKCJ5HDGKCJUHBI01G.html?iref=pc_extlink
 日本政府が受け入れを拒否したのは、死刑制度の廃止や一時停止を求める勧告、核兵器禁止条約への署名を求める勧告などだった。
 死刑制度については、死刑制度を容認する国内世論を理由にした。また、核禁条約については「厳しい安全保障環境という現実を考慮していない」ことなどを拒否の理由に挙げた。
 また、複数の「先住民族」に対する差別防止対策の実行を求める勧告に対しては、「日本は、日本においてアイヌ民族のみを先住民族として認めている」との従来の見解を示した。
 この審査はUPR(普遍的・定期的レビュー)と呼ばれるもので、4年半に1回をめどに、193の国連全加盟国の人権状況全般を審査する。今回の日本政府の見解は、昨年11月の3回目の対日審査の勧告に対して出された。(松尾一郎)
https://www.asahi.com/articles/ASL357WL1L35UHBI05D.html

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武四郎の人生を1冊に 記念館の山本学芸員

2018-03-07 | アイヌ民族関連
中日新聞 2018/03/06

「松浦武四郎入門」を手にする著者の山本学芸員=松阪市の松浦武四郎記念館で
 北海道の名付け親で松阪出身の探検家、松浦武四郎(一八一八~八八年)の生誕二百年を記念し、生涯と功績に光を当てた著作「幕末の探検家 松浦武四郎入門」が公刊された。著者は研究の第一人者、松阪市武四郎記念館主任学芸員の山本命さん(41)。旅に生きた偉人の足跡を、地図や写真など豊富な資料を交えて紹介している。
 武四郎が松阪市で生まれた後、二十代から四十代にかけ計六回、北海道を旅し、七十一歳の時に東京で亡くなるまでの生涯を八章で解説している。
 旅人が多く通る伊勢街道沿いの実家で自らも旅を志したことや、北海道への旅の後、アイヌ民族の人々が暮らす地という意味を込めて、道名の元となる「北加伊道」の名を提案したことを紹介。全国を旅する間に、長崎で大病を患って出家したエピソードも盛り込まれている。
 アイヌへの差別意識が強かった江戸時代に、アイヌを擁護しようとした武四郎。幕府の政策で、アイヌの頭髪をそらせようとする「和人」の姿を武四郎が絵に描き、告発しようとしたことも取り上げている。
 武四郎がアイヌ語で聞き取った道内各地の地名をカタカナで記した地図「東西蝦夷山川地理取調図」を二十八ページにわたって詳しく載せている。
 道内に残る五十以上の記念碑や、二月に新たに公開が始まった松阪市小野江町の実家も写真入りで掲載。関連書籍も案内している。
 山本さんは「武四郎の人生すべてを分かりやすくまとめた。武四郎の魅力を知ってファンになって」と話している。A5判、百四十四ページ。税込み千八十円。全国の書店や武四郎記念館で販売中。
 (作山哲平)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180306/CK2018030602000028.html

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ヴィーガンシェフへの10の質問。食べものを通じて地球と人々の暮らしを守るには?

2018-03-07 | 先住民族関連
Greenpeace International
みなさんこんにちは。広報担当の土屋です。
今回は、ヴィーガンシェフのダニエル・ブラーヴォのインタビューを通して、私たちの一口ひとくちが、地球環境に与えられる変化について一緒に考えたいと思います。
そもそも、「食べること」は、人間の活動の中でも特に環境への影響が大きい行為のひとつです。肉の消費量を減らすことや、地域の農家を支えることなど、私たちは口にする食べものを通じて、地球と人々の暮らしを守ることができます。
ダニエルが、グリーンピースの船のシェフになって13年。
船上で料理を担当するほか、世界各地の「食の主権」運動に携わり、持続可能な農業を支援してきました。人々が食生活、つまり買うものや食べるものを変えれば、地元の農家が誇りをもつことができ、より健全で公平な社会をつくりだせる――ダニエルの使命は、それを世界に示すことなのです。
1. 子どものころはどんなものを食べていた?また、好きだったものは?
子ども時代のことで思い出すのは、学校から帰ると祖母のキッチンに漂っていたナツメグの香りと、「黒豆のソペス」の味。それから、母がつくる「スパイシートマトソースで煮込んだチラキレス」。
また、父が小さな菜園を持っていて、僕はそこが大好きだった。ミニトマトが熟して甘くなると、妹と一緒にこっそりつまみ食いしに行ったんだ。その菜園のすべてが好きだった。香りも、味も。それに、温室にやってくる生きものたちがみんな魅力的で。蝶に、昆虫に、鳥たちに……。そこには、最も純粋な自然の姿があったんだ。
2.ヴィーガンになる理由は人によってさまざま。あなたはどうしてヴィーガンに?
ヴィーガン、ベジタリアン、なんでも食べる人……これらは、社会において人々を区別するためのラベルにすぎない。重要なのは、工業的な食料生産によって、地球環境とそこに生きるすべての命が蝕まれている状況を理解すること。
飼料作物の栽培によって、森林破壊が進み、在来種は追いやられ、生物の多様性が失われている。こうした産業で作物を育てるのに使われる農薬は、土壌と水を汚し、そこに生きる命をおびやかすんだ。動物たちは、生きものではなく工業製品のように扱われている。
また、工業型農業は、気候変動の悪化にもつながってる。僕は北極で氷河を見たことがありますが、僕の孫たちがそれを見ることはないだろう。干ばつと洪水は、世界中で最も弱い立場の人々に被害をもたらしている。こうした理由から、食べものを選ぶことが重要になってくる。
3. 料理人、それもヴィーガンの料理人になろうと決めたのはいつ?そのきっかけは?
僕の育った環境では、食べものは愛の源だった。それはとても幸運なことだったと思ってるよ。父はよく、祖父と一緒に食事した場所に僕を連れて行ってくれた。祖母は、孫である僕たちの誕生日に、すばらしいごちそうをつくってくれたな。それで僕は、とても幼いころから、食べもので表現することを始めたんだ。
僕は家族経営の小さな会社で働き始め、そして、料理人として生きることを決意しました。料理業界で何年も経験を積み、自然や食品の生産過程について理解が深まるにつれ、もっと本格的に地球に貢献する方法を見つける必要があると感じた。そこで、グリーンピースにボランティアとして加わり、最終的に、調理アシスタントとして「アークティック・サンライズ号」に乗船することになった。
4.大海原で何日も過ごすときなどは、どうやって料理のバリエーションを確保してるの? 乗員たちのお気に入りのメニューは?
グリーンピースの船で世界中を旅して回ることは、自分の知識を広げる上で絶好の機会になりました。さまざまな料理や食材を試したし、多様な文化から非常に多くのことを学んだよ。ファーマーズマーケットでは、実にたくさんの食材に出会うことができるんだ!
豊かで新鮮な食材を使って料理するのは、この上ない喜びさ。船が出航したあとが試練の始まりだけど、それは、創造性と知識を発揮するときでもある。祖母はよく、こう言ってた。
「良い料理人っていうのは、極上の食材で最高の料理をつくれる人のことじゃない。そのとき手に入る食材で、おいしい料理をつくれる人のことなのよ」
乗員たちに人気のメニューは、「レンズ豆のセビチェ」。おいしくて、栄養価も高く、ヘルシーなんだよ。持続可能な食材を使ってこうした料理をつくるのが、僕の「マントラ(信念)」
5. 船の上で料理をする際に、一番大変なことは?
船が荒波にもまれ、食材が宙を舞っている中で料理をするのは、それだけでかなり大変。でも、左右に弾みながら床を掃除するのも、なかなか楽しい(笑)。
でも、何よりもつらいのは、愛する人たちを地上に残して旅に出ること。緊急事態が起こってもほとんど何もできないし、ちょっとしたこと、たとえば、娘が悲しんだりおびえていたりするときに抱きしめてあげることもできない。胸が張り裂けそうになるよ。何年も旅をするうちに、彼らと過ごす時間は貴重であり、彼らは唯一無二の大切な存在だと実感するようになった。
6.「虹の戦士号」で旅をするあいだに、一番刺激を受けたのは誰?
どの旅でも、すばらしい人々に出会ってきた。環境に対する情熱と献身ぶりで僕を感動させてくれる、他のクルーやボランティアの皆さん。現状を変えたいという思いで、船上での過酷な仕事に進んで取り組んでくれる、調理アシスタントの皆さん。自然とごく近い暮らしを送っている農家の皆さん。どの国に行っても、小規模農家の皆さんから、世界を変えるための行動のすばらしい実例を見せてもらってる。
たった一人の名前を挙げることはできないけど、こうした皆さんの存在が、「僕たちは世界を変えるための種をまくことができる」ということを証明し7.持続可能な農業と食を広げる活動をしていますが、それはあなたにとってどんな意味があり、どうして重要なの?
ここ数十年にわたって、工業型農業は世界の飢餓問題を解決する方法だと言われてきたね。しかし、それが間違っているのは明らかになってる。現行の食料生産システムは、森林破壊や土壌侵食、生物多様性の損失、水質汚染を招き、気候変動の悪化にもつながってる。
小規模農家や土地を持たない農民たちは、工業型農業のあおりを強く受け、世界的に見ても特に深刻な貧困や飢餓に苦しんでる。そのため僕は、生態系農業が世界を変える鍵になると考えた。その土地の在来作物を栽培することで、すべてが調和した環境が生まれる。そして、その農地が本来の生物多様性をはぐくむ。
8. これまでの旅で目にした、工業型農業の影響とは?
僕が訪れたいくつかの小さな町では、子どもたちが農薬の使用に関連した病気で苦しんでた。また、小規模農家の人々が、工業型農業との価格競争に太刀打ちできず、土地を放棄せざるを得ない状況も目にしたよ。てくれるんだ。

画像:先住民族のWichi族のリーダー、ドン・サイモン氏(アルゼンチンのサルタにて)
アルゼンチンのサルタで出会った先住民族のWichi族のリーダー、ドン・サイモン氏は、悲しい目をしていた。彼は僕にこう語った。
「若い人たちは、昔ながらの食べものを食べない。昔から食べてきた、森で採れる食べものをね。はちみつや植物、ハーブ、果物を集めることもしないし、自分の食べるものを畑で育てることもしない。砂糖や小麦粉、炭酸飲料といった、新しい食べもののほうが好きなんだよ。工業的農業に、森も、我々の土地も奪われてしまった。もうここでは生きていけないよ」
9. 植物性の食事に関して、一番の誤解はなに?
植物性の食事はまずい、力が出ない、タンパク質や栄養素が不足しているという思い込み、それから、地球や人間にとって何の変化も生まれないという思い込みだね。
これは断言できる、植物性の食事がまずいなんてことはない!当たり前だけど、料理のしかたでまずくもなるし、おいしくもなる。それに、力が出なくなるどころか、前よりも健康になるし、体が軽やかになる。なぜなら、植物性の食生活にすれば、それまでよりも多様な食品を食べることになり、より多くの栄養素を取ることができるから。
ただし一番重要なのは、「何を口にするか」ということも含めて、自分たちのすべての行動が、自分たちの暮らしと地球に影響を与えているのだと認識することです。
10. お気に入りのレシピを教えて!
特に気に入っているのが、「キヌアと海藻のコロッケ」。それには理由があるんだ。海藻は、沿岸部の集落にも環境にも重要だし、栄養素も豊富。他の豊かな食材をなかなか入手できない人々にとって、多くの栄養素を手軽に摂ることができる、ありがたい食品なんだよ。
ダニエルが携わる「Feeding Freedom」は、世界の持続可能な農業従事者を支援し、彼らのエピソードを伝えるプロジェクトです。活動についてもっと知りたい方は、ダニエルのFacebookページをフォロー。
グリーンピースは、地球環境に脅威となっている工業型農業から、自然と調和した生態系農業へのシフトを応援しています。特に工業的な畜産は、森林破壊、水質汚染、地球温暖化、健康へのリスクとなっています。植物ベースの食事を増やすことで、私たちの健康、コミュニティ、そして地球を守ることにつながります。
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グリーンピースは、政府や企業からお金をもらっていません。独立した立場だからこそできる活動で、私たちの知らないところで進む環境破壊や生態系への影響を明らかにしています。寄付という形でも一緒にグリーンピースを応援していただけませんか?
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/10/blog/61207/

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オーストラリア先住民の食材、国内で見直し 輸出も好調

2018-03-07 | 先住民族関連
サンケイビズ2018.3.6 05:00

オーストラリア南部アデレードの中央市場にあるブッシュタッカーの専門店「サムシング・ワイルド」(共同)
 オーストラリアの先住民アボリジニが数万年間にわたり、伝統的に食べてきたカンガルー肉やハーブ、木の実など「ブッシュタッカー」と呼ばれる同国原産の動植物が国内で食材として見直されている。飲食店が新しいメニューや味付けを考案し、需要が増加。臭みなどがなく食べやすいものもある。国外から注目され、輸出も好調だ。
 南部タスマニア産の唐辛子を添えたカンガルーの腱や、カキの薫製とサボテン、ユーカリを使ったデザート-。
 ブッシュタッカーを使った料理を提供するレストラン「オラナ」は2017年9月、南部アデレードで「今年のレストラン賞」を受賞した。調理師のジョック・ゾンフリローさんは「ブッシュタッカーはB級食材と考えられていたが、おいしいということを示したかった」と胸を張る。
 斬新なメニューがたくさん紹介され、国内では需要が増す。アデレードの中央市場にある専門店「サムシング・ワイルド」では、さまざまな食材を扱う。先住民の店主、ダニエル・モトロップさんは「一番売れるのはカンガルーとヤギの肉」と話す。
 産地は僻地(へきち)が多いため、都市部まで輸送するのが大変だが「先住民の食べ物がこれまでと違う方法で調理され、提供されるのは喜ばしい」。最近、地元の蒸留所と協力して、ブッシュタッカーの一つであるミドリアリで味付けした蒸留酒ジンを商品化した。
 業界団体は「この5年間で業績が40%成長し、アジアからも関心が寄せられている」と説明。中でもカンガルー肉の人気が高く、日本への輸出量は06年に6799キロだったが、16年には1万5050キロに増えた。
 先住民は、国民と認められた1967年まで地位が低く、現在でも貧困や失業に直面する人もいる。そうした中、モトロップさんは40人の先住民農家らを雇用し、ゾンフリローさんも財団を設立した。食材としてのブッシュタッカーの見直しを機に、先住民支援にも力を入れている。(アデレード 共同)
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/180306/mcb1803060500003-n1.htm

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ボリビアの巨大湖が消えた、気候変動で「発熱」

2018-03-07 | 先住民族関連
日経BPネット2018.03.06
温暖化や水の使い過ぎが原因で世界の湖が枯れつつある

ボリビアの高地にあるポーポ湖では、塩の結晶に覆われた湖底が、はるかかなたまで続いている。ボートは放置され、魚や鳥は姿を消し、湖の恵みに頼っていた漁民たちは、ほかの土地へ移っていった。PHOTOGRAPH BY MAURICIO LIMA
 東京23区の5倍ほど、面積3000平方キロにおよぶ巨大湖の水が消えてなくなった。
 ここは、かつて南米ボリビアで2番目の広さを誇ったポーポ湖。ボートのそばには黒いゴム長靴が転がり、真っ白になった魚の頭骨には、照りつける太陽の光が反射している。水が生命の源なら、ここは水も生命もない死の世界だ。
 アンデスの高地から巨大な湖が消えたのはなぜか。
発熱する湖
 ボリビアのアルティプラノは、アンデス山脈を構成する2本の山脈に挟まれた高原地帯だ。高原の北端近くには、海抜3810メートルの地点にペルーとボリビアの国境にまたがってティティカカ湖が広がる。一方、南端には世界最大の塩湖、ウユニ塩湖があり、ポーポ湖はこの二つの湖の間に位置している。
 ポーポ湖と運命をともにしているのが、「水の民」とも呼ばれる先住民ウルの人々。近年は湖が縮小して魚が減り、漁をするにも湖の中央部まで出なくてはならない状態だった。2014~15年には、水温が上昇して湖面がさらに下がり、死んだ魚が大量に浮かび上がった。ボリビア保健省から派遣されているフランズ・アスクイ・ズナは、水温が38℃を記録したのを受け、湖は「発熱している」と表現した。
 湖に生息していた鳥たちは、食べ物がなくなって餓死するか、ほかの土地へ移動した。そして2015年に、温まった湖水がアルティプラノ高原の風にあおられて大規模な蒸発を起こし、ついに湖は姿を消した。
 一帯を災害地域に指定し、周辺の村々に食糧などを配給した政府は、雨が降って水位が少し回復した2017年初頭には、誇らしげに空撮写真を公表した。しかし、湖の水位が低ければ蒸発も速い。現地を視察したエボ・モラレス大統領は、地元住民ならとうの昔に知っていたその事実を目の当たりにするのだ。同年10月の衛星画像で、湖は再び消失寸前であることがはっきりした。ポーポ湖とその周辺に暮らす貧しい人々の生活は、ますます厳しい状況に陥っているのだ。
世界の湖が危機に
 気候変動により、世界各地の湖の水温は、海水温や気温を上回る勢いで上昇している。蒸発が加速し、さらに人為的な要因も加わって、水不足や汚染、鳥や魚の生息域の喪失は深刻さを増すばかりだ。
「気候変動はあらゆる地域で確認されていますが、湖に与える影響はさまざまです」と話すのは、米イリノイ州立大学の水域生態学者キャサリン・オレイリーだ。彼女は、64人の科学者が参加する世界的な湖沼調査の共同責任者を務めている。
※ナショナル ジオグラフィック3月号「巨大湖が消える日」では、世界の湖が直面している危機をレポートします。
文=ケネス・R・ワイス
この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2018年3月号の特集から抜粋したものです。全文は、雑誌を単号あるいは定期購読してお読みください。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/030200098/

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ミュージカル 美輪明宏「全身全霊で歌う理由」 インタビュー後編

2018-03-07 | アイヌ民族関連
AIIABOUT 3/6(火) 12:20配信
舞台『愛の讃歌』でエディット・ピアフの半生を演じる美輪明宏さん。劇中では表題曲をはじめ、数々のシャンソンが美輪さんの熱唱で蘇りますが、シャンソンを歌う際、心得ておかなければならないこととは? また本作では、どのような曲が選ばれているでしょうか。そして美輪さんがどの舞台、どの公演でも“全身全霊”で演じ、歌う理由とは。“美輪明宏さん”の真髄に迫ります!

インタビュー前編では、エディット・ピアフの生涯を描いた『愛の讃歌』を通して伝えたい“愛”、そしてピアフの歌手としての特徴についてうかがいましたが、この後編ではシャンソンの極意、そして劇中、美輪さんが歌うピアフのレパートリーについて、丁寧に解説。さらに美輪さんの“全身全霊”のパフォーマンスの理由をうかがいます!
フランス人の“民族性”の理解無しにシャンソンは歌えません
――美輪さんやピアフの歌に触発され、シャンソンを歌ってみたいと思う若い世代も少なくないと思いますが、その真髄、芯にあるものは何でしょうか。
「シャンソンの真髄というのは、やはりフランス人の民族性ですね。ヨーロッパに行くと“これじゃあ戦争は永久に終わらないな”と思うくらい、彼らはとにかく自分たちの民族が一番だと思っています。スペインで公演旅行をやった時に、マドリードの次にバルセロナに入って、三日間のチケットがもう売り切れていると聞いて喜んでいたら、関係者が急に“公演はキャンセルだ”と言うんです。どうして、と尋ねたら“バルセロナはカタロニアであってスペインではない、マドリードの後塵を拝するなんてとんでもないことだ”と言うんですって。
またある時、イギリス人のダンサーたちと仕事をしていて、彼らと仲良くなろうとパーティーを開いたら、一組の親子だけ来ないんですよ。どうしたんだろうと思って迎えに行ったら“私たちはイングリッシュではない、スコティッシュだ、だからイングランド人たちと同席のパーティーには出たくない”と言うんですね。“だってあなた、一緒に“God Save The Queen”を歌っているじゃない”と言ったら“私たちが歌っているクイーンのはエリザベス女王ではない、メアリー・スチュアートだ“と言うんです。メアリー・スチュアートって、約500年前にエリザベス1世に殺されたスコットランド女王ですよ。まだそれを恨みに思っているんです。
そういったことがあるから、最近、アメリカの無知な大統領がエルサレムをイスラエルの首都として認める認めないという発言をして大問題になっているのも当然だし、フランス人にはフランス人の歴史と誇りとがあります。それを理解せずにシャンソンを歌うわけにはいかないんです。日本で有名な歌手が、若い時に不勉強で、器用さや才能だけでやってきて、ある日パリでピアフのコンサートを聴いて“私には何もない”と打ちのめされたそうですが、そのつらさはわかりますね。自分にきちんとした基盤が無くて、いい加減な鼻歌を歌ってたと自覚したときのつらさは。」
――美輪さんご自身はそういった思いを抱いたことは?
「私は無いですね。お隣が映画館で、小さいころからフランス映画はしょっちゅう観てましたし、小学校の頃からクラシックを先生について学んできました。フランス語も中学で3年間やって、実際にフランス人たちとお付き合いしてボーイフレンドもいましたし(笑)、ヨーロッパに行って演奏もしましたしね。譜面も読めますし、作詞作曲もできますから」
――美輪さんの舞台『愛の讃歌』にお話は戻りますが、本作では「愛の讃歌」「バラ色の人生」をはじめ、ピアフのレパートリーが6曲程度歌われます。どのように選曲されたのでしょうか。
「(数を絞り込んだのは)何十曲も歌う必要はあるだろうか、彼女の生涯に一番かかわった曲だけ選べばいいと思ったわけです。まず「バラ色の人生」ですが、ピアフはこの曲で世に出たんですね。無名のピアニストの引き出しから譜面を見つけて、彼女が詞を書いて。それが(第二次大戦後の)占領下のパリで、アメリカの兵隊たちにもてはやされ、アメリカにわたっていろんな歌手が歌ったことで、彼女は世界的な大スターになったんです。だから1幕の最後は「バラ色の人生」で終えています」
――2幕終わりの「愛の讃歌」についてはインタビュー前編でお話いただきましたが、そのほか「ミロール」「アコーディオン弾き」「水に流して」または「愛する権利」といった曲が歌われます。
「「ミロール」はジョルジュ・ムスタキの作品だけど、彼もピアフのボーイフレンドの一人であったんですね。(結婚に敗れた男ミロールを励ます)娼婦の歌だけど、ピアフは子供の頃、(祖母がやっていた)女郎屋さんに預けられていて、そこでの生活が体にしみこんでいたから、こういう歌を表現するのはお得意でした。ユーモアソングが流行っていたころの昭和初期の歌にも、ちょっと似ているんですよ。
「アコーディオン弾き」は間接的な戦争反対の歌です。娼婦が愛するアコーディオン弾きが兵隊にとられて帰ってこない。彼のいない場所では別の男がアコーディオンを弾いている。彼女はそこで踊るのだけど、たまらなくなって“音楽をやめて!”と絶叫するという歌ですね。従来、この曲を入れていた場面を今回は変えるかもしれませんので、この曲をどうするか、稽古場で決めようと思っています。
「愛する権利」はメッセージソングです。もともとは普通の男女の愛する権利を歌っていて、“誰も私たちの愛を引き裂くことはできない”というメッセージソングだったのですが、今はグローバリゼーションの世の中だからもうちょっと広げた方がいいなと思って、LGBTが叫ばれるずっと前からの、私のイデオロギーを付け足したんです。ホモセクシャルであろうとレズビアンだろうと、人間が人間を愛している、誰かを殺したわけでも盗んだわけでもない、それの何が悪いんだ、それをしたり顔して裁くようなこと言ってる人は傲慢であって、宇宙の法則を知っていればたじろがないのだ、ということを。
宇宙の法則を少し説明すると、太陽、月、火星水星木星金星……星々でさえ、一つ一つ全部違いますよね。地上の動物だって、同じイヌ科と言っても狼もいればシェパードもチンもチワワも、トイプードルも秋田犬もいて、花だって百花繚乱、一つとして同じものはないんですよ。それだのになぜ人間だけが、ナチスみたいに同じ思想で同じ性癖、同じ趣味で同じものを食べて“ハイル・ヒトラー”なんですか。今もクローン人間みたいに大勢で同じ方向を向いて同じ顔をして同時に笑顔を見せる国があるけれど、気味が悪い。
人間をみんな同じにしようというのは傲慢以外のなにものでもないし、いずれそういうものは滅びます。それを訴えるべきだと思ったから、女が女を、男が男を愛したって、人間同士が愛し合うことに変わりはない、殺したわけでも盗んだわけでもないという歌詞を入れたんです。後で作家のなかにし礼さんが“原詞より素晴らしい”と絶賛して下さっていましたけれど。
公演によってはこの曲でなく、「水に流して」を歌うこともあります。「水に流して」というのは、テオ・サラポに支えられてピアフが再出発した時に歌った曲なんですね。“自分の人生で後悔することは何もない、あなたと二人で再出発していくんだ“という歌詞です。サラポの看病で元気になって、再出発した時、彼が20歳年下だというのでスキャンダルになったんですね。“子供をだまして”と心無い人に言われて、それに対する反論として私は最初に「愛する権利」を歌うことにしたのだけど、一般的にフランスでは「水に流して」のほうが彼女の代表曲として浸透しているんです。エッフェル塔の上で彼女が再起した時に歌ったのが伝説になっていますね、音源が残っていますが。すごい巻き舌で歌っています」
――もう一つ、劇中に登場する曲として「群衆」という曲がありますが、群衆の中で“私”が出会いと別離を体験するという、ちょっと抽象的で幻想的なナンバーですね。
「そういった曲も、よく“美輪さんが歌うと目の前にその光景が広がります”とおっしゃる方が多いですね。この曲はシャンソンではなく、もともと南米の歌なんですよ。ピアフが南米に演奏旅行にいった時にこの曲を聴いてパリに持ち帰って、フランス語の詩をつけて歌うようになったんですね。
わたくしが歌う時に頭の中で描いているのは、一つには『天井桟敷の人々』という映画なんです。ナチスに反抗する映画人たちが結集して作った映画で、世界の最高傑作のひとつだと思っていますが、一部・二部に分かれていて、膨大に長い作品なんですね。その最後で、伯爵の囲い者になっているギャランスという鉄火な女が、パントマイムの名優とつきあっていて、女房子供がいても平気なんです。それが、祭りの日に彼の奥さんが、子供をつかいによこすんですよ、“パパを返してほしい”というようなことで。
ギャランスは、女同士だったら張り合って別れないつもりでいたけど、子供を見た時に決心してね。何も言わず、彼が追いかけてきても馬車に乗って、祭りの最中の群衆の中へと行くんですよ。その場面が、ものすごく遠くの方まで、撮影監督の目が行き届いているんです。よくぞ戦争中にこんなに莫大なお金をかけて作れたなと思うのだけど、それもナチスに対する反抗心からだったらしいんですね。主演女優のドレスの布地がなくて、カーテンを壊して作ったという逸話もあるくらいで。その群衆の中を馬車がだーっと走って行って、主人公が“ギャランス、ギャランス”と叫びながら群衆に突き飛ばされるというシーンがあるんですよ。それが一つ。
もう一つ、戦前のアメリカ映画で、こういうものがあったんです。不細工なお針子の女の子が、祭りの日に仲間はみなボーイフレンドに連れられていくのに、一人だけしょんぼり町を歩いていて、お面を売っている店に通りかかる。きれいな女のお面に惹かれて店に入ると、誰もいないのに“それを貸してあげるから祭りに行きなさい”という声が聞こえるんです。ドレスのほうは、その前にお客が置いていってしまったのがあったから、それを着てマスクをして祭りに出かけてゆくと、押し合いへし合いの賑わい。その中に一人すごいハンサムがいて、恋愛になるのだけど、祭りが終わって店にお面を返しに行くんですね。
素顔の自分を彼が見たらこの恋は終わるのだろうと思ってお針子は悲しいけれど、借りたものだからと置いていくと、“鏡を見てごらん”と老人の声がする。お針子の顔が、きれいな女の顔になっているわけ。そして彼女は喜んでボーイフレンドと町へ消えていく……。この映画とも重なっているんですよ。こうした、私の頭の中の映像を、歌うことで写し絵のようにね、テレパシーでお客様に送れたらいいと思っているんです」
――今回の『愛の讃歌』は、全体的にブラッシュアップされるそうですね。
「以前は3時間半もかかっていて、お客さんも役者さんも大変だから(笑)、もうちょっと凝縮してと、刈り込みをやっています。ただ、ただ短くなったから薄められたような感覚は持ってもらいたくないので、そこは構成をやり直して、気を遣っていますね」
『黒蜥蜴』写真提供:パルコ劇場
――舞台を拝見していますと、美輪さんはどの作品、どの公演でも全身全霊で演じていらっしゃると感じます。
「個人的には何も思ってないんですよ。ただ、なぜでしょうね。人形浄瑠璃の人形みたいに、なにものかに突き動かされちゃうんですよ(笑)」
――その原動力は何なのでしょうか?
「深層心理をたどって行くと、それは私の(歩んできた)歴史でもあるし、責務でもあると思いますね。
最初に気が付いたのは、銀巴里(注・1951年から90まで銀座にあったシャンソン喫茶店。三島由紀夫ら文化人のサロン的役割も果たした)にいた時です。ここは階段の下に受付があって、お客さんがお金を出して切符を買い、中に入って飲み物を飲んで歌を聴いて帰るというシステムだったんですが、そこに冬場、アイヌの青年たちがやってきていたんですよ。夏場は(彼らの故郷に)観光客が来るけれど、冬場は吹雪や何かでスキーの有名なところ一か所くらいしか人が来なくて暇だから、東京に仕事を求めてきていたんですね。その中の何人かがシャンソンのファンで来ていて。
ある日、受付のおばさんと私がお喋りしていたら、彼らが来たんですよ。握りしめていたらしくてくしゃくしゃになったお札を出して、恥ずかしそうにして中に入っていったんです。次の男の子も同じようにくしゃくしゃになったお札を出して、それをおばさんが一枚一枚のばしていた。あの子たちが汗水たらして働いて得たお金がこれなんだと思った時に、それまで“上手でしょう、聴いてください”みたいな気持ちで歌っていたのが、頭を殴られたような気がして、急に恥ずかしくなっちゃったんです。自分はこのくしゃくしゃのお札に値する歌を歌っているんだろうかと。これは一生懸命、このお金と同じ分量で、精魂込めて歌わないと私は詐欺師になってしまう、と思ったんですね。それが、一番の根底にありますね。
それから、実家の隣には劇場があって、幼いころしょっちゅうそこで遊んでいたのだけど、芝居小屋には丸山の女郎たちとか、いろんな連中が来て、それぞれに事情を抱えているんですよ。芝居を観ていると、その筋によっては自分の経験と重なって泣いている人もいて、お客さんの一人一人が、芝居の登場人物と重なってくる。その“共感”に、芝居が入場料をいただくだけの価値が出てくるのだと思うんですね。そうでないと詐欺ですよ。ふんだくるだけじゃ(笑)。
家の隣が劇場で、小さいころからフランス、ドイツ、日本の素晴らしい映画をたくさん見させられて、家の前にはレコード屋さん。ドイツ映画の主題歌から端唄長唄まで、毎日聴かせられていて、近所の料亭からもちんとんしゃん(三味線)が聴こえてくる。暁星の姉妹校のカトリックの中学に行ったら、それまで禁じられていた英語フランス語の授業が復活してフランス語を勉強して。東京に来て銀巴里で歌うようになったら、江戸川乱歩さんと知り合って。
後に、江戸川乱歩さんの書いた『黒蜥蜴』を当時、売り出し中だった三島(由紀夫)さんが戯曲化して、水谷八重子さんがおやりになった(主演した)んだけど、“これあんたがやったほうがいいような役よ”とおっしゃって、やる気がなかったけどやることになってしまって。そこにもう一人、寺山修司も来ていて、私のために戯曲を書いてくれて“芝居をやろう”というので、(『毛皮のマリー』等の)アングラの芝居をやって。やったものは全部大当たりして映画も撮って。
それから、子供の頃、近所に……学校のそばに貧しい人たち、ヨイトマケのおばさんたちの集落があって、その子供たちが同級生にもいたことで、後年「ヨイトマケの唄」を作詞作曲するに至った。まるで神様が、全部おぜん立てしてくれていたみたいに……。
そういうものすべてに、私は突き動かされているのかもしれません。『愛の讃歌』もそれらの結晶、というわけです」
*公演情報*
2018年美輪明宏版『愛の讃歌』~エディット・ピアフ物語~ 3月31日~4月15日=新国立劇場中劇場、4月20日=日本特殊陶業市民会館ビレッジホール、5月26日=福岡市民会館、6月1~3日=梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
美輪明宏 長崎県出身。16歳で銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー、「メケ・メケ」のヒットの後、不遇の時代を経て自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」が話題に。寺山修司の舞台作品や三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』など、多数の舞台・映画に出演。87年にはヨーロッパでもリサイタルを開催。12年にはNHK紅白歌合戦に史上最年長で初出場した。撮影:御堂義乗
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